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月と六ペンス

読んだ




ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。



とても好き



画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれている。


大好きなゴッホのお友達、ゴーギャンがモデル



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全然関係ないけど読んでて思ったこと、やっぱり女性ってちょっと荒々しいというか奔放?強引?というか、いわゆるクズな雰囲気(言葉悪くてごめん)を漂わせる男性に惹かれること多いよね、自信がある人って輝いて見えるからなのか


ストリックランドはとても静かに眠った。寝返りも打たずに眠る姿は死んでいるのかと思うほどだ。森に棲む獣が、長い狩りのあとに休んでいるようにもみえる。ブランチは、彼のみる夢を想像しただろうか。ストリックランドはそのとき、ニンフの夢をみていたのかもしれない。ニンフは必死で駆けるが、サテュロスは一歩また一歩と距離を縮める。やがて熱い吐息がニンフの頬にかかる。ニンフは無言でなおも逃げ、サテュロスもまた無言で追う。ついに捕らえられたとき、ニンフの胸を震わせたのは恐怖だろうか、それとも恍惚だろうか。


ここの文章めちゃくちゃ好き


サテュロスとニンフはギリシャ神話で絵画にもある、解説を見つけた








ストーリーなんだけど、平凡な株式仲介人だったストリックランドが、職も家族も捨てて画家になることを決める

彼はもともと本当に平凡で、最初は「つまらない男」「世渡りが下手そうな男」として描かれてる


恋愛に振り切った物語でもないし、特別キュンとくることがあるわけでもないし、かといってミステリーとかサスペンスみたいな要素が強いわけでもないし、だけどとっても面白くて読み耽った


「好きな本は?」って聞かれたらもう多分「月と六ペンス」って答えると思う。好きな本は他にも沢山あるけど、群を抜いて好き



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ロマンスとかラブストーリーとかがメインではないとはいえ人間関係の中で恋愛や結婚、夫婦の話は出てくるの。ストルーヴェの価値観とストリックランドやわたし(書き手)の価値観の違いが面白い




ネタバレだけど(今更)、ストルーヴェの妻ブランチは、夫を捨ててストリックランドについて行く

なんかみんな捨てがち


最初は直感からか危機感からか、嫌いだったはずのストリックランドを選ぶ


そんな状況でもストルーヴェは純粋


「妻に僕と同じだけの愛情を期待していたわけじゃないからね。僕は道化だ。女がほれるような男じゃない。そんなことはずっとわかっていた。だから妻がストリックランドを愛したからといって、責めることはできないよ」「きみほど虚栄心のない男はみたことがないね」「僕は自分自身よりも、はるかにブランチを愛している。虚栄から生まれる愛なんて、自己愛の産物にすぎない。それに、結婚している男がほかの女と恋に落ちるのはよくあることだ。男が家庭にもどると妻は夫を受け入れるし、世間でもそれが当たり前だと思っているじゃないか。女が同じことをしてなぜいけない?」


後半は大反対だけど、でも確かに妻は夫を受け入れる、海のような心の寛大さを持ち合わせた女性であるべきで、どんな夫も受け入れるべき、みたいな、男尊女卑とまでは言わなくてもこういう考え方強かったんだろうなあ。特に当時1900年代のイギリスとか

ここまで真っ直ぐに人を愛せるのはすごいけど、愛は自己犠牲って言うよね。自己愛から来る他人への愛と、自己犠牲から来る他人への愛、似てるようで違うよね


対照的なストリックランド

「愛などいらん。そんなものにかまける時間はない。愛は弱さだ。おれも男だから、ときどきは女が欲しくなる。だが、欲望さえ満たされれば、ほかのことができるようになる。肉欲に勝てないのが、いまわしくてしょうがない。欲望は魂の枷だ。おれは、すべての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。そうすれば何にも邪魔されず絵に没頭できる。女は恋愛くらいしかできないから、ばかばかしいほど愛を大事にする。愛こそ人生だと、女は男に信じこませようとする。愛など人生において取るに足りん。欲望はわかる。正常で健全だ。だが、愛は病だ。女は欲望のはけ口に過ぎん。夫になれだの、連れ合いになれだの、女の要求にはがまんならん」

「愛などいらん」な考え方で、人生に意味はないって信じてるストリックランドは、優雅な暮らしも居心地の良いソファも他人の死も何もかも興味がなくて。ただ「今」を生きて、「自分がしたいこと」に忠実で、そのために誰かが悲しもうと何かを捨てることになろうとかまわないような人

ストルーヴェは快適な家も優しい妻も暖かい家庭もお気に入りの服も何もかも大切にして、「今」に繋がる「未来」も大切に考えていて、自分自身も他人も悲しませたくないし喜ばせたいような、博愛主義的な感じがある人


正反対

あとここに共感

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(巨大化するから横)








で、ブランチは結局正反対の荒々しいような、自分を大切にしてくれないストリックランドに惹かれてついていって、最期は何を思ったんだろう

「これで良かった」と思えるのか、わたしなら


やがてブランチは、たまにみせる情熱を除いてはストリックランドが依然としてよそよそしいことに気づき、不安でたまらなくなったはずだ。情熱的に愛されるときでさえ、ひとりの女としてではなく、快楽の道具としてだけ扱われていることに気づいただろう。相変わらず、愛人は他人のままだった。ブランチは彼を自分に縛りつけようと、不器用に策を弄した。快適に暮らせるよう骨を折り、相手が快適であろうとなかろうとどうでもいいという事実を理解しようとしなかった。いくらおいしい物を手に入れようと苦心したところで、相手が食べ物に興味を持たないという事実を理解しようとしなかった。ストリックランドをひとりにすることを恐れた。神経を尖らせてストリックランドにつきまとい、手を尽くして彼の情熱をかき立てようとした。抱かれているときだけは、相手を自分のものにしているという幻想に溺れることができたからだ。賢い女性だから、ストリックランドをそんなふうに縛ろうとすれば、破壊本能を刺激するだけだとわかっていたはずだ。ガラス窓をみると石を探したくなる気持をそそるようなものなのだから。だがブランチは理性を失い、感情に流されて破滅につながるとわかっている道を突き進んだ。ブランチは辛くてたまらなかったにちがいない。だが、愛に目がくらんでしまい、自分が望むものは存在すると信じこんだ。相手を愛するあまり、同じだけ愛してもらえないなどとはとても信じられなかった。


(ストリックランドから感じるふたご座み)

(破壊本能)


愛は自己犠牲だよね~~とか呑気に書いたけど、押し付ける愛は違うよね。って冷静な時はわかっていても、相手への愛が強すぎて、与えるものと受け取るものを比べた時は理性よりも理論よりも感情が勝つ







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作中一番好きな部分はここ。問答無用








ストルーヴェの「ただのいいやつ」感も好きだった。読んでいて頭の中に浮かぶの、肌がツヤツヤでニコニコしてて、ちょっとぷっくりした頬で、周りがついついいじりたくなっちゃうみたいな、本人はとっても前向きで純粋で、っていう愛されキャラ


ディルク・ストルーヴェは、ロミオの魂を持ったサー・トービー・ベルチだった。優しく寛大であるにもかかわらず、つねにへまをしでかす。美しいものを見極めるたしかな感性があるくせに、当の本人は陳腐な作品しか生み出せない。一風変わった繊細な心を持ちながら、立ち居振る舞いは無神経。他人のことならじつにいい働きをするくせに、自分のこととなるととたんに不器用になる。造物主も残酷な悪戯をするものだ。これほど多くの矛盾を乱暴に寄せ集めた人間を、複雑で冷淡な世界に放りこむのだから。


「他人のことならじつにいい働きをするくせに、自分のこととなるととたんに不器用になる。」ってちょっと耳が痛いというか目が痛い

ストルーヴェはどうか幸せになって欲しい、もっと単純で温和な世界で生きて欲しいって読みながら思ってた



ストリックランドがブランチにほれたとは考えられない。あの男が人を愛せるはずがない。人を恋う気持ちには、かならず優しさが伴う。だがストリックランドは自分にも他人にも優しくない。また恋に落ちると、気が弱くなり、相手を守りたい、役に立ちたい、喜ばせたいと思うものだ。利他的とはいわないまでも、人が恋をするとき、利己心はみごとなまでに姿を隠す。恋には、ある種の気おくれがつきまとう。ストリックランドがこうした感情を持ち合わせているとは想像もできない。恋をすると人は夢中になり、われを忘れる。どれだけ聡明な者でも、頭ではわかっていても、自分の恋がいつか終わるということが信じられない。本人でさえ幻想だとわかっているものに、恋は形を与えるのだ。幻想以外の何物でもないとわかっていながら、人は現実以上にそれを愛してしまう。恋する人間は個性を失い、目的を達成するための道具と化す。その目的は、自我とは無関係だ。人を愛してしまえば、どうしても感傷的になる。だがわたしの知るかぎり、ストリックランドはそのような弱点とは無縁だ。


自己犠牲


わりとずっとストリックランドは人間性に欠ける、何かが欠けている、みたいな「サイテーなダメ男だけど素晴らしい(?)芸術家」みたいな描き方をされてる

でも芸術家ってちょっと変わった人多い気がする、よくも悪くも

ゴッホとかゴッホとか、あとゴッホとか







芸術とか美とかについても、読みながら自分の価値観とか感覚とかと向き合えるような気がしてた


人はみな、美についてあまりに軽々しく話す。適切な表現を考えることもせず、安直に美しいといい、美が持つ力を失わせてしまう。そしてまた、人々に美しいと評された対象は、多くのありふれた美といっしょくたにされ、本来の重要性を失くしてしまう。人々はドレスを、犬を、牧師の説教を美しいという。そのくせ、いざ本物の美を前にしたときには気づかずにいる。見解の軽薄さをごまかそうと、口先ばかりの美辞麗句を並べた結果、自分たちの感受性を鈍らせてしまうのだ。たまに感じるだけの霊的な力を大げさにいいたてる詐欺師と同じで、乱用して効果を薄れさせてしまう。


何でもかんでも「かわいい~!」って言う人(主にわたし)いるけど、乱用すると効果薄れるのはわかる

常に何に対しても「かわいい」って簡単に言ってたら、本当にかわいいと思ったときに「いつも言ってるじゃん」「本当に思ってるの?」なんて思わせちゃうかもしれない

けどかわいいもんはかわいいから仕方ない。暴論






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好き








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好き



共感とか感服とかもそうなんだけど、読書の好きなところって、こうやって比喩とかを使った語彙力で「なるほど~~~」ってしっくりくるから好き。すとんって入ってくるというか、腑に落ちる?っていうか、言葉にできないけど

わたしも語彙力上げたい










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作中二番目に好きな部分はここ











なんかいろいろ書いて迷子になりかけたけど、本当に好き。芸術とか人間性とかわたしが好きな分野っていうのもあったけど、言葉の選び方とか例えの仕方とかがどれもこれも好きだった

登場人物にも感情移入できる




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