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職人の仕事と笑顔

半年ほど通ったお茶のお稽古が一段落し、総まとめのお茶事に着物をきていこうと準備をはじめた。下駄箱の奥から草履の箱を取り出してみると、思っていた色とまったく異なる色の草履が収まっているのに驚き、わが目を疑った。

母が大学の卒業式と謝恩会用にと買ってくれた草履は、たしかシルバー色だったはず…なのに、なぜかゴールド色の草履が入っている。

8年前の同僚の結婚パーティーで履いたときは、たしかにシルバー色だった。鼻緒の色や柄に見覚えがあったので、まちがいなく自分のものであることは分かったけれど、外装のビニール素材が劣化して黄ばんだのだろう、まさかこんな色になっているとは思わなかった。

とはいえ、着物が黄色なので、かえってゴールドの方がいいわよ、という母の不思議な励ましで気をとりなおした。

ただ、実際に鼻緒を足の指のまたに差しこむと、親指の付け根にあたって、痛くて歩くことができない。

しかたがないので、購入した百貨店で修理に出そうとしたところ、この草履を作った工房の職人が鼻緒のすげかえを実演販売する日があるといわれ、そこでお願いすることにした。

職人:これ20年前?いやもっと前のものですね〜? 外装はかなり劣化しているけど、あまり履いていないのかな?

私:はい、25年くらい前、こちらで買い求めたもので、それから数回程度しか履いていません。

職人:そう。長い年月が経つと、色だけでなく接着剤も劣化してくるので、雑な歩き方をすると、ここ(靴でいうところの、ソールとかかと部分)がポロッとはずれることがあります。おしとやか歩いてくださいね。で、今日はどこが悪いの?

私:履くと、親指の付け根に鼻緒があたって、痛くて歩けないのです。鼻緒を少し伸ばしてください。

職人:(じっと見て)うーん、親指と人差し指ではさむこの部分を「まえつぼ」っていうんだけど、多分これが劣化して硬くなっているだけだから、鼻緒は伸ばさない方がいい。少しまえつぼを柔らかくしましょう。

といって、「まえつぼ」なる部分に手ぬぐいをあて、専用のペンチでもみだした。それを履いてみると、だいぶラクになった。でもまだ親指の付け根にあたって痛い。

すると、今度は鼻緒全体をほぐすようにねじっていく。縒り(より)の反対方向からもねじっていく。私が自宅でも調整できるようにと、そのやり方を手ずから指導してくれた。

もう一度、指のまたに差しこむと、今度はスルッと入った。少し歩いてみたところ、あたるところがなくなって、快適に歩けた。

そのあと、家のペンチを使ってまえつぼを柔らかくする方法や、劣化を防いで長持ちする保管方法などを教えてくれた。でも、お直しのお代は取らなかった。

この日、百貨店の対応が要領を得ず、私は少々イライラしていた。しかし、問題がこれほどあざやかに、的確に解決するなんて、なにか魔法をみているようで、職人の物事の本質を見極める目と技術にすっかり魅了されてしまい、それまでのイライラが吹き飛んでいった。

家で再現できる調整の方法も指導し、本人に実演させるところまで面倒をみてくれる職人を、私は数人しか知らない。

「モノづくり大国」と称する日本のシロモノ家電ですら、1回の修理ではなおらず、何度も修理の人が来ることがあり、うんざりしたこともある。身体の、人生のさまざまな問題を解決したいと、士業や師業のもとを訪れても、どうにもならないことはたくさんある。

もちろん、単一の工房ですべての工程をまかなっている草履と、さまざまなメーカーが作った部品からなる現代のシロモノ家電と、問題のあり方が複雑化している身体や人生の問題解決を同列に並べることは無意味であることは、百も承知している。

けれども、それぞれが生業とする対象に向き合っている時間はそれほど違わないと思われるとき、どれだけ真剣にその対象と向き合い、どれだけ目の前の顧客の役に立てるか?を問える人だけが、その職を全うしうるのだと思った。

「ありがとうございました。これで安心して、お茶事に出席できます」と頭を下げると、

「とてもいい品なので、保管方法さえちゃとしたら、もう少し長く履けますよ」と笑顔でいってくれた。

その笑顔には、私が知る数人の職人が共通して見せる、「満足」という名の深いシワが刻まれていた。



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