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【mature世代のシネマ】未来よ こんにちは

フランスの大統領にマクロン氏が就任したとき、日本では25歳年上のブリジット夫人が注目を集めた。

女性に年齢を尋ねない、女性を年齢で評価しないと言われているフランスの男女の在り方の代表例のようなふたりで、何かと年齢で評価されがちな日本の女性にとっては、「さすがフランス!」と膝を打ちたくなるような話題だったのかもしれない。


主人公ナタリーは、50代も終わろうとしている今になって、夫から離婚を切り出される。パリで哲学の高校教師を務めるかたわら、教材を執筆する仕事も手がけているが、何ごとにも「手軽さ」が求められる時代、彼女の哲学に対する考え方が古い、堅苦しいと出版社からも遠ざけられるようになっていく。はたまた、ずっと手を焼いてきた母親が突然他界し、気がつくと彼女はひとりになっていた。

そんな主人公が離婚直後に信頼する教え子から「先生ならすぐに新しい恋人が見つかるさ」と励まされたときに、こう答えた。

「40過ぎた女なんて、生ごみと一緒よ」

実も蓋もないこのセリフって・・・
フランスでは、女性は年齢ではなく、経済的に自立していること、自分自身の考えを持った生き方をしていることが、恋愛や人間関係で重視されると言われているが、それは表向きの話しで、結局のところ男は若い女を選ぶのよね・・・というのが、フランスの女性たちの隠された本音のようにも思えた。

とはいえ、主人公の日常は淡々と続いていく。ときに母親が遺していった猫と格闘し、ときに信頼する教え子と意見が対立し、ときに娘が出産し、孫をその腕に抱く日もある。どんなときにも、主人公のかたわらには、分厚い哲学の本があった。

彼女にとって“哲学”とは、決して浮世離れした“学問”ではなく、彼女の生活の一部であり、“生き方”そのものなのだ。それを端的に表しているのが、信頼する教え子と政治的な行動を伴う思想・哲学の在り方を巡って議論で対立し、静かに答えたときの言葉だ。

「私は革命家になりたいのではない。自ら考える人を育てたいだけ」

自ら考えたことに自らの脚で立ち、自身のなすべきことを見つめ続けた人の言葉。これこそが、私が思う自立した人の言葉であり、フランスの女性の強さであり美しさではないか。

哲学というと、日本では高校で学ぶというよりは、大学の一般教養の科目であり、睡魔と格闘しながら聴いている授業という印象で(最近の大学では教養的な科目は減っているらしいが)、高校で哲学を教える、学ぶということが意外だった。

少し調べてみると、フランスでは、自ら物事を考え判断する力を身につけるために、高校3年次に哲学の授業が設けられているという。授業のスタイルも、日本の大学のように学生が一方的に聴いているだけではなく、論理的に考え、話す、書くための訓練をし、ときには教師と学生あるいは学生同士で、あるテーマについて議論することもあるようで、映画の中でも、学生が好戦的に主人公に質問する場面があった。

私生活はいろいろとありながらも、「自ら考える人を育てたいだけ」といって学生たちの前に立ち続ける主人公の清々しさは、フランスの高校の哲学の教師というものが、学生たちにとっては手本とする“大人”の在り方であり、ある意味、憧れの存在なのかもしれないと思わせる。

ブリジット夫人も高校教師(一説には中学の教師とも)だったとのこと。そんな主人公と夫人を重ねてみると、マクロン氏が“大人”の夫人に恋し、パートナーにと熱望し、それを実現したことも分かるような気がした。


それにしても、最近観にいく映画の主人公たちは50代の女性ばかり。その観客層も、私の母と同じくらいの白髪のご婦人が多く、自身の通ってきた道を再確認しているような様子が印象的だ。一方で、私にとっては往く先を見すえる老い初めの準備なのかもしれない。


『未来よ こんにちは』
監督:ミア・ハンセン=ラブ
キャスト:イザベル・ユペール、アンドレ・マルコン、ロマン・コリンカ
作品情報:2016年/フランス・ドイツ/102分



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