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李家に生まれて

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「三木才代」という人間がどんなルーツを持ち、どんなことを想い、どう生きるかを決めたか、を記憶を掘り起こして書いています。 自分の過去を大事にお伝えすることで、同じような経験や感覚…
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2023年4月の記事一覧

李家に生まれて #7

李家に生まれて #7

今はもう私の母校だった中学校は存在しない。
片道1時間半かけ3年間通った学校は
今はもう帰国子女のための中高一貫校になっているという。

運良く合格した学校のおかげで私は合法的な家の離れ方を覚えた。
校則では許されていなかったが、できる限り寄り道した。
私と同じルートで通学する生徒がおらず、存分にひとりの時間を楽しめた。
できる限り怪しまれない程度に、できる限り遅く帰る。

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李家に生まれて #6

李家に生まれて #6

学校のテストは100点を取らなければならない
男に負けるな
食事はできるだけ早く食べろ
学校から帰ったら遊びに行ってはいけない
友達のお家にお呼ばれしても断るべし
20時からは机に向かわないといけない
一度の説明で理解できないといけない
友達はいない、競争相手と思え
勉強以外のことはしなくていい
嘘はつかない
感情が昂っても泣いてはいけない

これが当時の親から言われた言葉の一部。
暴力はもちろん

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李家に生まれて #5

李家に生まれて #5

早く大人になりたい。
早く家を出たい。
なんて、子どもって無力なんだ。
10代の私は常にそう思いながら家で過ごしていた。
その無力感や束縛感を感じたからこそ、
子どものころの感情を一生忘れないように持っていくと決めている。

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李家に生まれて #4

李家に生まれて #4

帰化すること、とはどういうことなのだろうか?
当時の幼い私はただ単純に「日本人の名前になれる」と無邪気だった。

では、私の両親は?祖父母はどうとらえたのだろう?
「国」に対する個人の気持ちを慮れるようになったとき
帰化の動機があまりにも複雑だったのではないか、
と向き合うことが怖くなってしまい、本当のことを訊くのに
私は約30年もかかってしまった。

私のおぼろげな記憶や家族の言動を照らし合わせ

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李家に生まれて #3

李家に生まれて #3

隠したくても隠せない名前を持ったことで、
自分は何者か、自分が決めたことは正しかったのか、
常に自問自答していた私に転機が来た。

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李家に生まれて #2

李家に生まれて #2

自分の子どもが、自分の母語を話さないと決断したら
親はどう思うのだろう?
記憶では、中国語の発音記号が書かれたカードや
「ご飯粒は農家の方が丹精込めて作ったものだから、大切に食べなさい」
といった教訓めいた絵本を
母親と一緒に読んでいた覚えがある。
しかし、一切の中国語を学ばず話さないと決断した時、
親からの無理強いはなかった。

とはいえ、実はここからがスタートであったとも言える。
親が台湾人で

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李家に生まれて #1

李家に生まれて #1

私の名前は李建瑩(り けんえい)。

もうほとんど使わなくなった戸籍上の名前以外、
私にはもう一つ、
「冠品」
という親戚で呼ばれるあだ名のようなものがある。

当時祖父が私の名前に「建」をつけ
どうもその字が男の子にしかつけない
女の子が男の子のように育ってしまうという
謎の迷信のような懸念から
私には別の名がつけられ、
周りから呼ばれるようになった。

私自身は特にそこに違和感はなく、
なぜか

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