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安西先生、私は文章が上手くなりたいです。「誰かの文章を読みまくろう期間」を過ごして変わったこと
文章を書く仕事をしてきて、それなりに躓いたこともある。でも、それを表にわざわざ出さないと決めている。その理由は、機嫌のいいところに人と仕事は集まると、私が理解しているからだ。
いつも楽しそうな雰囲気を、X(旧Twitter)やnoteでは出すように心がけている。時には沈んでいる時もあるので、表の顔が嘘偽りの時もある。それでも私は、ビジネスの世界で活動しているライターだ。
家族といったプライベートな問題なら、まだしも。仕事のネガティブな話や、細かい情報は書かないと決めている。理由は、口が軽いと思われたら信用をなくすからだ。
フリーランスの世界は、信用で仕事が回っていると思っている。信用を一度失えば、どんなに実績を積んでも奈落の底だ。そこに落ちないよう、私は今も必死で手綱を持ち続けている。
そんな私が、数ヶ月前にこのままじゃだめだと、強く思うようになった。理由はさまざまな事情により割愛するが、とりあえず文章の上達が必要な状況になったのだ。
このままじゃ、ダメだと思った。だからこそ、私はここでもう一度再生しなければならない。では、一体どうすればいいのか。
そこで私が自分に課したのは、人の文章を読みまくること。
私自身も薄々感じていたが、これまでの私は言い回しも似たようなものが多かった気がする。語彙力もない。このままでは、生成AIの時代とともに、私は泡になって消えるだろう。
文章を読めば、語彙や言い回しも増えると思った。ビジネス系の文章、書籍、雑誌、同業者さんの記名記事のみならず、noteの創作作品に至るまで、膨大な数の文章を読み続けた。
文章や作品を多く読んでいくうちに、心を鷲掴みされる文章の数々と出会い、私の人生はアイスクリームみたいに溶けた。
やるべき仕事はもちろん優先にして、隙間時間などを利用してnoteの作品もかなり読んだと思う。
みんな、凄い人ばかりだ。私は今までWEBライターとして活動してきたし、さまざまな業界第一線の人たちと共に仕事してきたこともある。
その人たちが、特別なのは理解していたけれども。もっともっと色んな可能性を秘めた人たちが、ネットの世界にはたくさん転がっていた。まるで宝探しみたいだ。
そして多くの作品を見ていくうちに、自分にもある変化が訪れた。それはある日、いつものように本屋へ訪れた日に起きた。
書籍になるものは、これまで一定のクォリティを満たしたものばかりだと思っていた。その感覚が崩れたのは、この数日前だ。
その日も、いつものように本を買おうと本屋へ向かった。少しパラパラめくって、面白そうなら購入する。ふとパラパラめくった時に、いつもと違う違和感があった。
文章が合っているかどうかまでは、わからないけれども。いや、本になっているのだから、綺麗にはまとまっていると思う。
でも、これははたして面白いのだろうか。小説にしては、説明が多すぎやしないか。もっと、表現で見せて欲しい。
プロの作家に対し、私はツッコミをしていた。
いくらなんでも、唐突に立ち読みしておきながら、生意気すぎやしないか。人の作品にダメ出しをするなら、せめて買ってからにしなさいと、もう1人の私がキレている。
昔なら、そんなことはなかったはず。きっとたくさんの文章に触れて、目が肥えたのかもしれない。それとも、私の嗜好が変わったのだろうか。後者なら、まだ救いがある。
しかし、前者になると大変だ。これから先は、読む作品が限られてしまうかもしれない。私は生きている限り、できれば多くの作品に目を通したい。どんな作品にも、必ず個性や魅力、可能性が眠っているのだから。
ここ最近だと、少し読んだらこの人はいいものを書くかどうか、ちょっとだけわかるようになった。冒頭で「いい」と思う人は、期待を大体裏切らない。素晴らしい文章を書く人は、冒頭から魅せられるんだと思う。
でも、売れ筋のコーナーに並んでいる限り、この本が売れるには理由があるはずだ。そんなことを分析してしまう自分は、ちょっぴり意地悪なのかもしれない。
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