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聖書の話をしよう

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聖書の考古学/アンドレ・パロ

聖書の考古学/アンドレ・パロ

いま我が家は引越しでバタバタしてる。本がね、大変なんだよ。相変わらずね。で、書棚から発掘したアンドレ・パロAndré Parrotの書いた三冊の本を手にしながらしゃべってみたい。70年代、みすず書房が日本の"知"に大きく貢献していた頃に翻訳されたものだ。

パロは、ルーヴル美術館に在籍していたフランス人考古学者である。彼はオリエント世界を発掘し、それを系統だてて理論づけた嚆矢である。多数の論文を

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最初は麻布十番の裏路地で、世界平和のために侵略者と戦っていたセーラームーンの叫ぶ「愛」と「おしおき」を考えながら初期キリスト教の進化を見つめる

最初は麻布十番の裏路地で、世界平和のために侵略者と戦っていたセーラームーンの叫ぶ「愛」と「おしおき」を考えながら初期キリスト教の進化を見つめる

西暦476年の西ローマ帝国滅亡はキリスト教を存亡の危機へ追いこみました。
言うまでもないことですが、ローマの地を席巻したゲルマン人は全くの異教徒の群れです。一部キリスト教異端派の教義を取りこんでいた一派は有りましたが、乱立したゲルマン人の国家で使用されていた宗教は彼ら独自のものだったのです。
当然、被征服者であるローマ人は、そのゲルマン人が持ち込んだ宗教に強く揺らいだ。元来、ローマは多神教の国家で

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モーゼの「出エジプト」というアイデア03

モーゼの「出エジプト」というアイデア03

「人の上に神あり、神の上に天あり」とした一部のエジプト人は、天理=マアトMa'atを擬神化し、これをアテン神としました。アテン神は具体的な何か他の生物と合成した容姿の神として描かれずに光として描かれることが多い。もともとは夕日の神だったので、エジプトの最高神である太陽神ラーと一体化していきました。その過程の中でアテン神は唯一神となった。
こうした神に対する考え方は、アメン教団を核として八百万の神を

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モーゼの「出エジプト」というアイデア02

モーゼの「出エジプト」というアイデア02

唯一神というきわめて特殊な考え方の(おそらく)始祖であるアテン神信仰が生まれてくる背景について、少しだけ触れたいと思います。
先ずメソポタミアとエジプトにおける治世構造の違いから見てみましょう。
エジプトは、周囲を砂漠と海に囲まれ外威が少ない地形だった。彼らの覇権闘争は常にナイル川流域の王たちによって行われた。ある意味で自己完結的です。比してメソポタミアは常に外威との戦いだった。チグリス川を越え、

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モーゼの「出エジプト」というアイデア

モーゼの「出エジプト」というアイデア

旧約聖書は「創世記」のあとに「出エジプト記」が続きます。
「出エジプト記」は、へブル人(ユダヤ人)が迫害を受けながらも生活していたエジプトを脱出し、神に与えられし約束の地カナンへ向かう、長い苦難の旅路を描いた章です。岩波文庫から独立した一冊として出ていますから、もしよろしければ手にしてください。非常に示唆に満ちた本です。モーゼという男が目指した40年に渡って続くカナンへの旅路は、これ以上のものはな

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国教化したキリスト教

国教化したキリスト教

なぜローマが、ミトラ教ではなく。そのパクリであるキリスト教を国教にしたのか・・これは熟考すべきテーマですが、ここではそれに触れない。
国教となった以降のキリスト教につしいて話したいと思います。

まず。国教となることでキリスト教には課税義務が無くなりました。
「生き甲斐産業」としての宗教は、原材料の仕入れも加工費もない。そのうえ流通経費は極小です。きわめて事業効率の高いビジネスです。そのうえ消費者

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ジクムント・フロイトの出エジプト記02

ジクムント・フロイトの出エジプト記02

人の上に神あり、神の上に天あり」とした一部のエジプト人は、天理=マアトMa'atを擬神化し、これをアテン神としました。アテン神は具体的な何か他の生物と合成した容姿の神として描かれずに光として描かれることが多い。もともとは夕日の神だったので、エジプトの最高神である太陽神ラーと一体化していきました。その過程の中でアテン神は唯一神となった。
こうした神に対する考え方は、アメン教団を核として八百万の神を奉

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ジクムント・フロイトの出エジプト記01

ジクムント・フロイトの出エジプト記01

旧約聖書は「創世記」のあとに「出エジプト記」が続きます。
「出エジプト記」は、へブル人(ユダヤ人)が迫害を受けながらも生活していたエジプトを脱出し、神に与えられし約束の地カナンへ向かう、長い苦難の旅路を描いた章です。岩波文庫から独立した一冊として出ていますから、もしよろしければ手にしてください。非常に示唆に満ちた本です。モーゼという男が目指した40年に渡って続くカナンへの旅路は、これ以上のものはな

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ノアの葡萄について02

ノアの葡萄について02

"J"は大洪水の章を書いた時、ノアを葡萄畑の農夫としました。
ノアは、箱舟がアララト山の頂上に漂着した後、その麓に葡萄畑を作っています。
創世記9章に「9:20さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 9:21彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」とあります。
これが聖書の中に出てくるワインの話の最初です。
カナンの地に移り住んだへブル(ユダヤ)人たちは、サントリーニ島大爆

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ノアの葡萄について01

ノアの葡萄について01

ノアの葡萄について、少し書きたいと思います。
創世記の中に書かれるノアの葡萄の話は短い。大洪水の後、アララト山の麓に"それ"を植え、出来たワインを飲んで酩酊し寝込んでしまったという話です。しかし"J"が、わざわざそれを挿話する意味は大きかったに違いない。僕はそう思っています。

実はですね。そのノアと葡萄の話ですが、もう少し詳細に書かれているものがあります。バルク書です。
同書は、旧約聖書の正典・

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旧約聖書はだれが書いたか#08/単性生殖(処女懐胎)ならイエスが男性なはずはないでおわりたい

旧約聖書はだれが書いたか#08/単性生殖(処女懐胎)ならイエスが男性なはずはないでおわりたい

蛇は農神である。農耕と豊穣を司る神だ。メソポタミアの中にもフェニキアの中にも蛇は登場するが、すべて地祇に結びつく繁栄の象徴である。そして原則的に女神に関わる。
"J"が語る、メソポタミアの神話世界の中に作られた「エデンの園」だが、異神の影が色濃く残る"蛇"がいることに、何ら不自然さはない。なおかつ「生命の木と知恵の木」というメソポタミアの神話を源流とするモノについて、蛇がその存在と意味を知っていた

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旧約聖書はだれが書いたか#07/エデンの園

旧約聖書はだれが書いたか#07/エデンの園

「エデンの園」の章を書いたのは"J"だった。その文体から彼だと云われている。最も古い聖書作者である"J"は、ここから話を始めたのだ。後代の祭司たちがこれに天地創造の7日間を加えた。そしてそれがまるで一つの話のように見えるようにするため、文の途中で繋ぐという離れ業までやった。
すなわち

「1:1はじめに神は天と地とを創造された」から始まる第1章すべて。これはバビロン捕囚じだいの祭司たちの創作部分だ

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旧約聖書はだれが書いたか#06/キメラとしての聖書

旧約聖書はだれが書いたか#06/キメラとしての聖書

聖書は四つの文書を組み合わせです。
①最も古い部分は紀元前950年頃に南のユダヤ人の王国で作られました。使われている神の名称がヤファウエであることから"J"文書と呼ばれます。
②これに続くのが紀元前850年頃に北のユダヤ人の王国で作られた"E"文書です。こちらは神をエロヒムと呼んでいるので"E"文書と呼ばれています。
③そして"D"文書。これは紀元前750年頃に南の王国で起きた宗教革命時に書かれた

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旧約聖書はだれが書いたか#04/バベルの物語02

旧約聖書はだれが書いたか#04/バベルの物語02

聖書作家の一人である"J"が生きた紀元前950年頃の南ユダ王国は、エジプトとメソポタミアを繋ぐ交易の交差点とも云える地域だ。ごく普通に"J"とその時代のへブル人(ユダヤ人)たちは、多言語の世界で生きていたはずである。おそらく"J"自身も多言語を駆使したに違いない。五書の中に描かれるオリエント世界もエジプトも色彩豊かで、具体性が濃い。ただの伝聞だけではこうはなるまいという文体だ。かなり深い知性に裏付

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