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国教化したキリスト教

なぜローマが、ミトラ教ではなく。そのパクリであるキリスト教を国教にしたのか・・これは熟考すべきテーマですが、ここではそれに触れない。
国教となった以降のキリスト教につしいて話したいと思います。

まず。国教となることでキリスト教には課税義務が無くなりました。
「生き甲斐産業」としての宗教は、原材料の仕入れも加工費もない。そのうえ流通経費は極小です。きわめて事業効率の高いビジネスです。そのうえ消費者のロイヤリティが高い。一度ユーザーになると大半がライフタイムなリピーターとなる。つまり資産形成がし易く、きわめて急速に、鼠算的に売り上げが伸びる商売です。
これが国教化することで、富の集約が公然と許されるようになったわけですがら、商品(信仰心)販売拠点となる教会も、ローマだけではなくアレクサンドリア、アンティオキア、イェルサレム、コンスタンティノープルにも巨大なものが次々と建立されました。五大教会の成立です。
しかし、販売されるべき信教は、未だ統一されないまま「宗派対立」という形で、利権に絡む内部闘争がひたすら続いていたというのが実情でした。儲かるからこそ起きる"陣取り合戦"だったと云えましょう。

特に313年にローマがキリスト教を公認したことで、地中海沿いに無数にあったキリスト教教会が顕在化し、夫々「これぞ正統/キリストはかく言えり」という経典を乱発しました。これを統合するために第一回目の公会議が開かれたのが325年5月20日から6月19日まで。ここで数百あった経典のうち、これは正典/これは異端、これは偽書という仕訳が為され、現在の新約聖書としての統一見解が出来上ったのです。
しかしそれでも根本的な問題、三位一体については統一見解が取れないまままでした。
三位一体とは「父(神)と子(イエス)と精霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという考え方です。しかしこの"精霊/pneuma"というものについて様々な見解が乱立し統合が図れなかったのです。
これはある意味仕方ないことだとも云えましょう。
客体的に存在を確定されていない"精霊"について、俺は会ったことあるぞ!という人が乱立し、たがいに「精霊はこんな奴」という話をぶつけ合ったわけですから。
この「言った言わない」話が教団の中の確執を強め、相互憎悪をもたらし、教団として分裂の危機まで進んで入ったのは、いかにもキリスト教らしい気質かもしれません。

時の皇帝テオドシウス帝はこれを危惧し、381年に第1コンスタンティノープル公会議にを開き「アタナシウス派の三位一体説がキリスト教の正統である」と裁定しました。そして392年、彼はアタナシウス派キリスト教以外の異教の祭礼と供犠を法的に禁止したのです。僕はここに教父アンブロジウスAmbrosiusの影を強く感じるのですが、ここでは触れません。
この勅令によって、伝統的に信仰に対して柔軟であったローマは一転し、伝統的なローマ多神教を含め、すべての宗教を自国から排除しました。
その背景に有ったのはやはり、東から絶え間なく進入してくるゲルマン人/北からのケルト人などの異教徒異民族への牽制、そしてサーサーン朝ペルシャ(ゾロアスター教が国教)との深刻な相克だったと僕は考えてしまいます。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました