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ノアの葡萄について02


"J"は大洪水の章を書いた時、ノアを葡萄畑の農夫としました。
ノアは、箱舟がアララト山の頂上に漂着した後、その麓に葡萄畑を作っています。
創世記9章に「9:20さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 9:21彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」とあります。
これが聖書の中に出てくるワインの話の最初です。
カナンの地に移り住んだへブル(ユダヤ)人たちは、サントリーニ島大爆発によって滅んでしまったカナン(フェニキア)人の遺したものをそのまま手に入れてます。フェニキア人は海洋交易の民でしたが、出自から葡萄とオリーブを携えていました。彼らは根付いた土地に必ず、広大な葡萄畑とオリーブ畑を作っています。何れも物々交換の為の貨幣として極めて有効だったからです。へブル人たちは、それを引き継いだ。"J"が南ユダ王国の司祭として生きた時代には、きっと葡萄畑もオリーブ畑も活き活きと生い茂っていたに違いありません。

さて。この「ノアの葡萄畑」ですが、現存します。アルメニア・アララト山の麓ですが、ロスチャイルド家の厳重管理の上で今でもワインが作られています。もちろん我々が手にすることは不可能ですが、その存在があることは隠されていません。
そして実はこの「ノアの葡萄」ですが、きわめて重要な意味を持っています。つまりワインを作るための葡萄は、ノアの葡萄を始祖として西へ西へと広がったものだということです。広げたのは、もちろんノアの子たちです。どうやって広げたか? ワインを作るための葡萄の木は、必ず接ぎ木されます。種からでは、葡萄汁が完全なバランスをもったワインにならないからです。
完全なバランスとは何か? それは葡萄汁内の糖分が酵母の力によってアルコールに変えられ、そのアルコールによって酵母が全て殺菌されてしまう瞬間、葡萄汁内の糖分が全てアルコールに変わってるという尖った特異点にあるということです。
完全に酵母が死滅したときに、糖分が残っていれば甘たるしいワインになります。糖分が少なければ全てがアルコールに替えられた後も酵母が残り、舌触りの悪いものになってしまいます。
「ノアの葡萄」の木は、その完全なバランスを持った木なのです。だからノアの子らによって、世界へ広がっていった。
その特異点を守るために、現在でも葡萄の木は必ず接ぎ木によって維持されます。種から作ることはありません。

6200年前の大旱魃によって、西へ西へとチグリス・ユーフラテスの北側から小アジアへと広がり、地中海に至る人々が携えた葡萄の木は、必ず枝として運ばれて、住み着いた地に植えられ、ワインを作るためのものとして育てられていったのです。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました