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ジクムント・フロイトの出エジプト記02

人の上に神あり、神の上に天あり」とした一部のエジプト人は、天理=マアトMa'atを擬神化し、これをアテン神としました。アテン神は具体的な何か他の生物と合成した容姿の神として描かれずに光として描かれることが多い。もともとは夕日の神だったので、エジプトの最高神である太陽神ラーと一体化していきました。その過程の中でアテン神は唯一神となった。
こうした神に対する考え方は、アメン教団を核として八百万の神を奉じ、王もまたその一部として必ず名前の中に「アメン」を加えていたエジプトにおいては、かなり異質な考え方でした。かなりの迫害が有ったはずです。

しかし天理=マアトMa'at=真理に魅せられた王が出ました。アメンホテップ四世です。彼は人の本質に善あることを信じ、アテン神を奉じました。そして多神教から一神教・アテン教へエジプト国教を替えてしまったのです。これは既存利権者/アメン教団とそれにブル下がる利権者たちを大きく揺さぶりました。それでも人の心の善を信じる王は、アメン教団を潰さなかった。共存を認めたのです。その結果、陰に回ったアメン教団から様々な嫌がらせ・邪魔が繰り返された。謀略もあった。そのためにアメンホテップ四世が治世した時代は、とても短期間に終わってしまいました。そして、それに続く嫡子トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)の時代も短かった。ちなみに彼は、アテン教からアメン教団に転身したことを示すために、その名に"アメン"を入れたのですが、多神教と一神教の動乱の中に彼もまた翻弄され続けたのです。
彼の死後、治世は軍属だったハムナプトラ王の手に移ってしまいます。そしてアテン教を奉じた王らは徹底的な歴史から抹殺されてしまうのです。

フロイトは、このアメンホテップ四世と一神教であるアメン教に魅了されました。彼自身も発掘に参加するほどでした。そして次第に、エジプトを脱出したモーゼとそれに従ったヘブライ人たちが、唯一神になった経緯に没頭するようになったのです。

唯一神を報ずる人々は、その独善性のために、まま狂信的・過激になります。キリスト教・イスラム教を見ても彼らの信仰への情熱は凄まじいものです。たしかに謀略によってアテン教は引き摺り倒された。しかし強く信じる集団は残ったはずです。
その指導者の一人がモーゼだった可能性は高い。彼が王家に育てられたという聖書の言葉から、王族であった可能性もある。
しかしあまりにも客観的な資料が少ない。どうしても推察の域を超えられない。その状況は現在でも殆ど変わりません。
傍証から見つめるしかない。
おそらくですね。「出エジプト記」を見つめる限り・・

①エジプトからの脱出は有った。指導者はモーゼという男だった。
➁ごく普通にセム・ハム語族らしい多神教集団だったはずのへブル人を「汝らは神に指名された」と言って、唯一神に改心させたのはモーゼだろう。
③脱出したへブル人は、男子だけでも60万人と書かれているが、おそらくもっと少数だったろう。
④カナンに達するまで、40年かかったと書かれているが、これもそれほど長くはないはずだ。
➄カナンで勇猛な戦いが有ったと書かれているが、おそらく同地はサントリーニ島の爆発の被害で瓦解していたはずだから、それほど抵抗なくへブル人たちは侵攻出来たはずだ。
⑥かくしてフェニキア人が去った後の、地中海東海岸南部はへブル人(ユダヤ人)のものになった。
・・という経緯だったと考えられます。
この経緯の中で、カナンへの移住後は、ユダヤ人とフェニキア人の間に、相当の確執があったようです。旧約聖書の中に多数フェニキア人たちを誹謗する言葉を見つけることが出来ます。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました