松村美香(小説家)

国際開発コンサルタント。2008年「ロロ・ジョングランの歌声」で城山三郎経済小説大賞受…

松村美香(小説家)

国際開発コンサルタント。2008年「ロロ・ジョングランの歌声」で城山三郎経済小説大賞受賞 KADOKAWAより「利権鉱脈~小説ODA」「利権聖域~ロロ・ジョングランの歌声(文庫化)」 中央公論新社より「アフリカッ」「老後マネー戦略家族!」 海外舞台の経済小説やミステリーを出版。

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長崎を舞台にした演劇「マリアの首」を観た遠い記憶

私が初めて観た劇は俳優座の「マリアの首」(原作:田中千禾夫)であった。 まだ子供だったと思う。 当時、六本木で小さな印刷屋を営んでいた父が、 「観に行こう」と連れて行ってくれた。 私は「マリアの首」について、何の予備知識もなかった。 ただ、家族で出かけるという特別なイベントで、 俳優座という建物に入ることができるという高揚感があるだけだった。 当時、私はよく父の製本を手伝いに行っていたから、その帰りに家族で演劇を観に行くのはご褒美みたいで、六本木の坂を上る足取りは軽かった。

    • 仕事というアイデンティティ

      かつて私はワーカーホリックと言われていた。 仕事が好きだったのかどうかわからない。 むしろ、自転車を漕いでいるような、足を止めると失速して倒れて、そのまま動けなくなってしまうような危機感がそうさせていた。30代後半になると、このままじゃマズイと思い、婚活らしきものもしてみた。いい人が見つかったら、さっさと仕事を辞めてしまおうと思っていた。 それでも結婚せずに働き続けたのは、仕事以上に興味を持てなかったからかもしれない。 選んだ仕事がまずかったのか……。 結婚と出産を希望して

      • ワーケーションとか言うけれど

        最近、ワーケーションを推し進めようという動きがある。 できるなら、いいんじゃないかな。  かくいう私、もう15年も前からワーケーションを実践していた。 海外出張が主な業務だった私は、一か月ほどの滞在から帰国すると、日本では報告書をまとめる作業が待っていた。待っているのは報告書の〆切だけではない。日本で留守番していた母は、娘が帰国するといくつもの旅行パンフレットをテーブルに広げ「ここどうかな?」と言うのである。高齢になり、一人ではなかなか出かけられないため、私が連れて行ってく

        • 日本に投げ銭文化はあるのか……

          昨日、私ははじめてNOTEで投げ銭をいただいた。感銘を受けてくれた人がいて、それを投げ銭で表現してくれたのがとても嬉しかった。 NOTEでは投げ銭がシステムとして存在しても、そう簡単に、タダで読める文章にお金を払う人はいないだろうと思っていたし、今も、そう思っている(苦笑)。日本人は投げ銭するほどの余裕がないというか……確かに経済大国ではあるけれど、擦れ違った誰かに、「気にいった!」とお金を払う文化は風前の灯的という気がしている。 私の友人のミュージシャンは、投げ銭をもらっ

        長崎を舞台にした演劇「マリアの首」を観た遠い記憶

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        • ゆたかさって何だろう
          9本
        • そうだ、やっぱり小説家になろう
          8本

        記事

          はじめて投げ銭をいただきました!(^^)!

          NOTE投げ銭人のいくぱぱさんから、投げ銭100円をいただきました。すっごくうれしいです。こういうことができるのがNOTEなのですね。初体験です。システムがまだよくわかっていないのでもっと勉強します。 いくぱぱさんは特別低額給付金の使い道として、気に入った記事を書いたクリエーターに100円ずつ投げ銭をすることにしたそうです。 10万円だから、1000の記事に投げ銭ってことですね。すごいです。ちゃんと読んで、記録もしているのですから恐れ入ります。 ありがとうございました。

          はじめて投げ銭をいただきました!(^^)!

          「好き」を仕事に

          好きなことを仕事にしたいと思っている人が多い。 たぶん、それが平成の教育なのだと思う。 私の時代(昭和!)は、好きなことを仕事にできる人はわずかだから、そんな夢みたいなこと言ってんじゃない!みたいな風潮だった。 終身雇用制と年功序列が日本経済の強みであり、特色だったのだから、とにかく若いときは言われたことを嫌がらずに何でもやって、与えられた仕事の中に、ほんの1%でも好きなことを見つけられたら頑張れと。 シニアになっていくにつれてやりたいことの割合が増えて、20%になり、50%

          「好き」を仕事に

          創造の源について

          人はみなクリエーターの部分を持っている。 でも、クリエーター的な素質は、誰でも持っているわけではないし、持っていたとしてもそれを生かす機会がなければ、いつの間にか素質は消えていく。 おそらく、子供たちはみんなクリエーターで、自由な発想と自由な行動で新しいものを作り出している。でも、社会で生きるための作法や常識を身に着ける教育の中で、多くは埋もれていくのだろうと思う。 私にとって初めの創造は絵だった。 父が印刷屋を営んでいたので、紙だけは豊富にあったからだ。印刷失敗の裏紙が

          創造の源について

          球磨村の思い出~被災地への祈り

          小学校の夏休み、祖母の実家に遊びに行った。輝く夏の思い出。球磨村の夏だった。 母の従兄妹は獣医さんで、種豚の散歩が楽しかった。子豚さんはすごく足が速く、自由に走り回っていた。年長のまた従兄妹に球磨川に連れて行ってもらい、川で泳いだのが懐かしい。「あっちは流れが速いから行っちゃだめよ」と言われ、はい、と素直に返事した。東京の小学生が体験した、球磨村の思い出である。 熊本が豪雨で大変なことになっている。 人吉、球磨村、八代、津奈木、などに住む親戚はみな避難できたようだが、テレビの

          球磨村の思い出~被災地への祈り

          あの日を忘れない~ダッカ襲撃事件から4年

          あの日から、4年が過ぎようとしている。 もしかしたら、多くの人が忘れてしまったこと。 でも、ひっそりと、紫色の花のロゴマークが業界関係者の間で祈りを促している。 4年前の今日、バングラデシュのレストランで日本人7名を含む民間人20人、警察官2人がテロの犠牲者となった。 日本人の犠牲者は、国際開発コンサルタントであった。 私の同業者である。 国際協力の仕事は、いつも安全というわけではない。 安全教育を受け、生活に気を付けても、絶対に安全である保障はない。 何があるかわからない

          あの日を忘れない~ダッカ襲撃事件から4年

          ブログとNOTEの違いは何だろう

          小説家デビューする前は、ブログをほぼ毎日書いていた。 ミクシィから始まり、OCNのブログに登録し、途中の民営化で契約変更などあってソネットに切り替え、SSブログになった今もアカウントは残してある。 海外出張三昧の日々だったので、多くは海外の話題だった。出張中は守秘義務があり、気を使ってプロジェクト内容に触れない日々の暮らしを綴っていた。小説の執筆は集中力を必要とするため、海外業務をしているとなかなか書けない。だから、1000字程度のブログを続けることによって、文章力、表現力の

          ブログとNOTEの違いは何だろう

          できることから始めよう #9

          今日で「ゆたかさって何だろう」が終わりとなる。 いろいろ考えて楽しかった。 最後に、映像を夢見てきた私が、 最近はじめた道楽を紹介したい。 道楽だからこそ、真剣ですよ。 仕事はそこそこ、道楽命って感じです。 子供の頃、漫画が好きだった。 どちらかというと漫画家になりたかった。 アニメーションも大好きで、声優スタジオを見学に行った。 1970年代だから、セル画の時代である。 自慢なのは、宮崎駿監督が高校の先輩ってこと。 この頃は、新海誠監督が大学の後輩っていうのが嬉しい。

          できることから始めよう #9

          いつか自分の小説を映像にしたい #8

          それが私の夢だ。 そんな夢かなうはずがない、と何度も自分で打ち消してみた。 夢破れて泣くのは自分だから。 でも、そうやって謙虚に縮こまっていてもいいことはない。 バカな夢だと笑うかもしれないけど(母とか……(苦笑))、 私はまだあきらめていない。 夢は、いつも寄り添って私のそばにいる。 はじめて映像化の話があったのは20年前のこと。 私の出版したエッセー「タイ、水牛のいる風景」を読んだ若い映画プロデューサーが、原案に使いたいと連絡してきて、フ〇テレビの企画ではいいところまで

          いつか自分の小説を映像にしたい #8

          老後資金2000万円のこと #7

          昨年、人生90年時代の老後資金は2000万円用意しておくことが望ましいという議論があり、国会で大騒ぎになった。私が「老後マネー戦略家族!」を出版したのは、その2年前の2017年3月ことである。ようやく時代が私に追い付いてきたかな、と思った。 まずは、小説の紹介文から。 「定年が近づく父、専業主婦の母、仕事を辞めた息子に学費のかかる娘……。老後や将来への不安から、山田家は顔を合わせればケンカばかり。しかし勇気を持って踏み出した先には、めくるめく財テクワールドが待っていた!

          老後資金2000万円のこと #7

          通勤が辛くて…… #6

          コロナ禍で在宅勤務になった人たちの中に、もう通勤したくなくなった、と言う人がいる。ゴールデンウイーク明けの鬱みたいな感じだろう。満員電車が地獄に思えるのもよくわかる。 私は何度か転職をしているが、主な原因は通勤時間だった。 一時間近く吊革にぶら下がって会社に移動するのが苦痛で、30分で行ける会社に転職し、さらには正社員を辞めてテレワークの契約社員になった。もう15年近く前の話だ。 国際開発コンサルタントは、管理職でなければ会社に行かなくてもできる仕事だ。その代わり、プロジ

          通勤が辛くて…… #6

          ささやかな暮らし #5

          ふと、あの頃が懐かしくなる時がある。 世界中を飛び回って……いや、ほとんどが発展途上国だが、 でも、とにかく、2ヶ月に一度のペースで飛行場にいた。 数か月後、自分がどこの国に飛んでいるのかわからない。 行く、と決まったら、怒涛のように準備をしてスイッチを入れ、 成田エクスプレスでギアをドライブに入れる。 ソウルやバンコクやドバイでトランジットして、目的地へとひたすら突き進む。 手荷物はパソコンと書類。ビジネスクラスで優先搭乗して、少しずつ任地の仕事へ気持ちを持っていく。時々、

          ささやかな暮らし #5

          「すみません」の文化と「ありがとう」の文化 #4

          長く海外で仕事をしていると、日本という国を外から見ることが多くなる。数えてみると、私が訪問した国は39カ国。アメリカやカナダなどの先進国は個人旅行で行ったが、アジア、中東、中南米、アフリカについてはほぼ仕事である。そして、プロジェクトとなれば、数年にわたり何回も同じ国に渡航して相手国の人と業務を遂行する。 だから、私の中で、日本の常識というものが、どこかズレている。同時に、「私って日本人だなぁ」と思うこともある。相手国の事情を理解しつつも、クライアントは日本政府機関なので、日

          「すみません」の文化と「ありがとう」の文化 #4