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ささやかな暮らし #5

ふと、あの頃が懐かしくなる時がある。
世界中を飛び回って……いや、ほとんどが発展途上国だが、
でも、とにかく、2ヶ月に一度のペースで飛行場にいた。
数か月後、自分がどこの国に飛んでいるのかわからない。
行く、と決まったら、怒涛のように準備をしてスイッチを入れ、
成田エクスプレスでギアをドライブに入れる。
ソウルやバンコクやドバイでトランジットして、目的地へとひたすら突き進む。
手荷物はパソコンと書類。ビジネスクラスで優先搭乗して、少しずつ任地の仕事へ気持ちを持っていく。時々、自分がどこに行くのかわからなくなる。先月はエチオピアだったのに、今日はカンボジア、来月はパキスタンか……、みたいな生活。

それが私にとっての日常だった。

最近、日本で災害が頻発するようになっている。
そのたびに、「何気ないあたり前の日常がいかに幸せか」と話す人をテレビで見る。
そういうニュースを見ながら、「当たり前じゃないのに」と一人で呟いている自分。今の私たちの暮らしが、決して当たり前で未来永劫安全なものではないと気づいて欲しい。祈るような気持ちで経済小説を書く。

発展途上国でインフラ建設や社会開発の仕事をしてきた私にとって、電気やガスや水道がある生活は決して当たり前ではなかった。だから、幸運なことに、日本に帰国するたびに「ありがたい」と思うことができた。蛇口をひねれば出てくる水に感謝したし、電気が24時間使えることに感謝した。
誰かが、日本の当たり前を支えるために頑張っている。
ありがとう、と。

私たちが立っている生活は壊れやすい繊細な技術のたまもので、これが滞りなく機能していることこそが奇跡的なのだと思う。社会基盤を支えている人々がいることを、つい忘れがちだが、そろそろ危うい時代が来るのではないだろうか。
1960年代の高度成長期に作ったインフラは、耐久年数を超え始めている。補修や修繕にコストがかかるようになり、その人材も少ない。建設現場を支えているのは、すでに外国人になってきた。エッセンシャルワーカーの数も足りない。みんながテレワークで仕事ができると思ったら大きな間違いだ。

カンボジア人の親友が数年前に再婚したスウェーデン人は自動車会社に勤めているが、彼が「車のデザイナーである僕より清掃員の方が給料が高い」と話していた。「本当に必要な職業ってことかもしれませんね」と、妙に納得したものである。

今、私は週に3日、徒歩10分の会社で働き、残りの4日は母親の世話と自由な創作活動に充てている。ほぼ、近所で日々を過ごしている。
日が西に傾く頃、二本の杖をついた母の散歩に付き合う。
一時間かけて、ゆっくりゆっくり歩く。
4月から空路を変えた羽田便が空を横切っていくのを見上げていると、無性に世界が懐かしくなり、アフリカや中東や、様々な国で見た空が思い出される。あの頃は、空を眺めながら故郷を想っていた。

ささやかな暮らし。
でも、世界を忘れない。

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*写真は農村電化の調査時に自分で撮影したものです。左下のかまどの燃料は家畜のフンです。
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