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あの日を忘れない~ダッカ襲撃事件から4年

あの日から、4年が過ぎようとしている。
もしかしたら、多くの人が忘れてしまったこと。
でも、ひっそりと、紫色の花のロゴマークが業界関係者の間で祈りを促している。
4年前の今日、バングラデシュのレストランで日本人7名を含む民間人20人、警察官2人がテロの犠牲者となった。
日本人の犠牲者は、国際開発コンサルタントであった。
私の同業者である。

国際協力の仕事は、いつも安全というわけではない。
安全教育を受け、生活に気を付けても、絶対に安全である保障はない。
何があるかわからない。
その覚悟はあったつもりだし、成田から飛び立つときは、いつも、帰国できるだろうかと心の中を不安と孤独がよぎったものだ。
私たちのような国際開発コンサルタントは、緊急支援など混乱期の乗り込みというよりは、ある程度落ち着いて復興へと向かうための支援が仕事なので、比較的安全な活動のはずだった。トラブルは日常茶飯事。でも、本当に、テロと言う形で業界人の命が奪われたことはほとんどなかった。
だから、命を落とす原因の多くは不慮の事故。流れ弾に当たることはあったけれど、これほど大規模に襲撃され、殺害されたことはなかった。

私は青年海外協力隊も経験しているが、先輩隊員から日本人は狙われないという変な楽観論を聞かされてきた。1970年代にラオスやベトナムの反政府軍が当時の政府を倒して撤退を余儀なくされたとき、日本人は現地の人々に支えられ、無事に国外に脱出することができた、と。ベトコンやパテトラオに拘束された開発コンサルタントの先輩社員もいたが、無事に解放されている。現地の人々との関係を大切にしていれば、彼らは必ず客人である日本人を助けてくれる、と考えられてきた。その教えを守り、現地の人々と仲良くなって情報交換することを大切にしてきたつもりである。

だから、私はテロに関してはほとんど心配していなかった。
怖かったのは病気と飛行機事故と自動車事故。
協力隊時代の同期3人は自動車事故で亡くなっている。

4年前のダッカ襲撃事件では、同業他社の方たち7名が亡くなった。直接の面識がない方ばかりだったが、他人ごととは思えなかった。日本人は狙われない、と信じてきた自分の常識が完全にくつがえされた出来事だった。

世界が変わり始めている、と思うようになった。
安全に対する自分の野生の勘はもう利かないかもしれないと、自信がなくなってきた。
そして、アフガニスタンでの中村哲先生の死。
日本人は安全だという神話は通用しなくなったのだと、現実を突きつけられたような気がした。

新型コロナ感染防止で移動が制限された社会になり、もう、自由に異文化を味わえる時代が終わってしまったのか、と嘆きたくなる。

でも、ここまで書いてきて、いかんいかん、と首を横に振る。
それでも海外に出ていくことは大切だ。
海外から来てもらうことも大切だ。
井の中の蛙では何も見えてこない。
怖がって縮こまっていたら何の進歩もない。

私は国際開発コンサルタントとして、明日への希望を仕事としてきた。
理不尽な現実もいっぱい見てきたが、まだ絶望するのには早すぎる。安全対策や情報共有など、JICAもコンサルタント会社もできる限りの安全対策を進めている。
きっと、亡くなった7人のコンサルタントも、希望を持てと励ましてくれるはずである。

あの日から4年が経った。
心から、ご冥福をお祈りします。
天国からこの地球を見守っていてください。

*写真は当時を忘れないために作られたロゴマークです。
*「利権鉱脈~小説ODA」(KADOKAWA刊)は国際協力の現場を描いたものです。

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