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「好き」を仕事に

好きなことを仕事にしたいと思っている人が多い。
たぶん、それが平成の教育なのだと思う。
私の時代(昭和!)は、好きなことを仕事にできる人はわずかだから、そんな夢みたいなこと言ってんじゃない!みたいな風潮だった。
終身雇用制と年功序列が日本経済の強みであり、特色だったのだから、とにかく若いときは言われたことを嫌がらずに何でもやって、与えられた仕事の中に、ほんの1%でも好きなことを見つけられたら頑張れと。
シニアになっていくにつれてやりたいことの割合が増えて、20%になり、50%になり、管理職になるとやりたいことを全面的にやらせてもらえるようになる、と言われていた。

でも、現実には、若い頃の我慢時期が過ぎると、中間管理職の我慢が増えてきた。
平成に入ると若い世代は我慢ができず、仕方ないから残業代がつかない中堅どころが若手が嫌がる雑用を引き受けることになった。

結局私は「好き」を仕事にしたいという贅沢な考えで、働き方を変えていった。我慢のバランスというのだろうか。どこにストレス(負荷)を掛けるか、その選択をするしかないのである。
やりたくない我慢に時間を掛けないという選択をする場合、「不安定な生活」という我慢を選ぶことになる。リスクを自分で抱える覚悟が必要だった。
もっとも、私が「好き」な国際協力を仕事にし続けられたのは、独身を通すという「捨てた部分」があったせいもあるが……。

さて、厄介なのは、私には「好き」がもうひとつあったことだ。「書くことが好き」が小説家へとつながり、今は更に「音楽が好き」「絵を描きたい」「動画作ってみたい」まで加わった。

NOTEには、「好き」を仕事にしているクリエーターが多く集っているようだ。今は副業が認められる時代になってきた。稼ぐ手段としての仕事だけでなく、趣味の領域だった素人創造者でも、ブログやユーチューブでプロ並みの表現が可能になってきた。動画の編集も、音楽のミキシングも、自宅でやろうと思えばできる。やりたいことの仲間を募ることも可能である。

数年前から、ステージイベントを作るようになった。大筋を自分が決めて、サラリーマンで鍛えた事務処理能力を生かし、アーチストを集めて適材適所のパフォーマンスをお願いする。収入的には微々たるもので、むしろ赤字持ち出し(苦笑)もあった。でも、こうした活動のおかげで、一緒にやろうと声を掛けられた。俳優や音楽家、カメラマン、ヘアメイクアーチストなどと短編映画を作る計画である。

私ができるのは議事録を書くこと。企画書を書くこと。スケジュール管理、プレゼンし、みんなで実施すること。
これらはすべて国際協力の仕事で培ってきたものだ。意外に、表現することにも応用が利く。文章を書く小説家としてしか表現方法を持たなかった私が、サラリーマンを長く経験したことで、より複雑で包括的な表現方法を得られるようになった。

人生50年時代の昭和から、100年時代の令和へ。
サラリーマンを忍耐で過ごした人々が、第二の人生として表現者へと転身する時代かもしれない。

まだ遅くない。
「好き」を仕事にして、世界を広げよう。

*写真は私が企画プロデュースしたステージイベントを幕裏から自分で撮影したものです。
*小説も絶賛ン発売中です。



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