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嫌ならやめてしまえばいい

こんにちは。ふらふらとnoteを散策していて、えらく攻撃的なnoteを見つけてしまったライターで作家の浜田です(@Mika_Ham1977)。

いくつか記事を読ませてもらって、勝手にその人を分析し始めるという悪癖が顔を覗かせたので、さっさと撤退してきましたが……。

よほど、今身を置いている環境に期待が大きいのだなぁと思ってしまいました。
作成者さんは学生さんらしく、記事から察するに高校生。かなり学校や教師、教育制度に嫌悪感を滲ませた文面になっていますが、本人無自覚に期待感が膨らんでいるのが見て取れる。

彼同様に学校を嫌いな人って、たくさんいると思うのですが、ハッキリ言って学校の在り方なんて変わりませんよ。おそらく、この先あと数十年は。
VRやAR、MRと色々なIT革新がありますけれど、それらがいずれドラえもんの世界みたいに当たり前のものとして導入されるまでは、変わらないでしょうね。

だから、そんなに嫌なら辞めてしまえばいいと思います。学校は行きたい人が行けばいいし、学びたい人が学べばいいと思っています。
学校を辞めた後、ニートになって親のすねをかじって「俺は組織に属さず生きる」と偉そうに叫ばないのであれば、自己責任の下で退学すればいいのです。

それでも、現代の日本では大半は高校卒業なんて当たり前。ほぼ義務教育並みの扱いなのが、社会の現状です。
けれど、自分の努力次第で、自分の居場所を確実に作られるのも社会に出た人間への特権。

自由には制約があるように、学校という社会にも当然規則という名のルールが学生だけでなく、教師や学校組織そのものにも適用されるもの。
そのルールには、無駄や矛盾が含まれていることはありますが、そうしたものは会社組織、もっと広く言えば国のルールにもあるのです。

それに対し、ただ何も考えずに受け入れろというわけではありません。
取捨選択は自分がする。
ただし、他人の取捨選択の権利を奪わないこと。
この2つさえできていれば、端から見てどんな暴論であろうとも、それは言論の自由という権利で守られる。

冒頭の彼は、自分が守られている側にいることに気が付いていないのだろうなぁ。
本気で嫌なら辞めて、自分の思うように生きればいいだけなんだから。
そこに本気で足を突っ込む覚悟がないなら、グダグダ賢そうに理屈ならべてもかっこ悪いだけだぜ。


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