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故郷高野山と、自分のアイデンティティへの目覚めについて。

こんにちは!シンガポール在住、元保育園施設長のみはやしゆきです。

昨日、”魂からやりたいことの発見”という記事を書かせていただきました。

私にとって、魂からやりたいこと。つまり、このままでは人生を終えることができない!というパズルのワンピースは、”故郷と関わって生きる”ということでした。

魂からやりたいこと(使命)を見つけるのには、2つの方法があると、最近流行のclubhousで聞いた時にやっぱりそうだ、と腹落ちしたことがあります。

それは、一つ目は自分の今までを振り返って、お金や時間を使って情熱を注いできたもの(仕事だったり趣味だったり)、もう一つは、自分の先祖やルーツを辿ること。

私の場合は、一つ目は、割と見つけやすく、経験として情熱を注いできた、保育の分野や、英語(多文化の中での)教育だった。

でも、後者の”先祖やルーツを辿ること”は、使命とは全く別物として考えてきたような気がする。いや、むしろ、故郷を出てしまった罪悪感から、関わることを避けてきた。

それが、故郷と共に生きたい思った時、私の中では全ての経験(つまり1つ目と2つ目)がつながっていく感覚を覚えました。

■故郷について

私の生まれは、和歌山の高野山の麓。育ちは、お隣の大阪ではあるものの、小さい頃から週末は、ほぼ両祖父母が住む和歌山で過ごしました。

高野山は、弘法大師(空海)この地で真言密教の修行(瞑想)の地として開き、その歴史は、1200年。

私が生まれ育った地域も、今なお真言宗の文化が色濃く残っています。祖先に感謝し、皆で仏壇を囲み、毎晩手を合わせ、お経をよみ、お坊さんが定期的に来てくださっては、命の繋がりの感謝や死生観を教えてくれる。

(般若心経を読めるのは、日本のスタンダードだと、子どもの頃は勝手に思い込んでいました。笑。これが地域の文化なのだと気づいたのは、東京の大学へ出てからです。)

生を受けた有り難さや、死ぬことを悲しむのではなく、生きることを喜ぶことを小さい頃から、家族からも、教わってきました。

私の人生では、出会ってきた大切な人の尊い命が、目の前から突然消えてしまうこともありました。

でも、その度に、今を喜んで、命を大事にしよう

そう思えたのも、この地域の文化風習、命の教えに支えてもらったからだと思うのです。

そんな故郷を誇りに、私の子どもへ、次世代へ伝えたいといつしか思うようになりました。


■私のアイデンティティについて

故郷のことを、こうやってnoteで開示してみようと思ったのも、つい先月のこと。

36年かかりました。

それまで、故郷の高野山のことを、誰かに積極的に話そうと思ったことはありませんでした。

なぜか?

それは、”高野山”と言えば、多くの人が、”宗教”というイメージを想像するだろうと思ったから。

日本では、ともすれば、”宗教”という言葉が浮かぶと、ちょっと倦厭されるに違いない、と思い込んでいたのだ。

私は、宗教家でも、熱心な宗教研究者でもないが、

”高野山→宗教→普通じゃないと思われたくない”。

このような方程式を自分で勝手に、作っていたことに気づいたのだ。

これは、自分の誇れるものへの自分自身への差別や偏見だったのでは。。

衝撃だった。涙が出た。

自分を愛溢れる環境で育ててくれた故郷の文化風習、思想、繋がりは、かけがえのないものだったのに、だ。

それは、自分のアイデンティティそのものだった。


■多様性豊かな国、シンガポール

その気づいたきっかけを与えてくれたのは、シンガポールという国だった。

シンガポールでは、仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥ教・・・もうそれはたくさんの宗教・文化・民族が入り混じっている。

宗教文化を色濃くうけたファッションも、美しい。

街を歩いていると、それぞれの生き方やルーツに感謝や信念や愛を持っているように感じた。

私はどうか?

自分の故郷やルーツへ想いがあるのにも関わらず、胸を張って誰かに伝えたことがあっただろうか。

そう問うた時、今までの答えは、NOだった。


■空白のアイデンティティの経験

日本人が海外に行くと、自分の国のことをよく知らないということに気づくと言われている。私もそうだった。

27歳の時、初めて海外留学を経験した時だった。

自分の国の文化や政治、地域のことを熱く語る彼らを見ながら、例の如く、私の自国の無知さに恥ずかしいと思った経験がある。

自分が意見を言えないのは、日本を知らないからか?じゃあ、海外からみた、THE日本文化と言われる知識をもてば、私は胸を張れるだろうか。ずっと、しっくりこなかった。

そして、ようやく10年越しに、今気づくのである。

あの時、感じた”恥ずかしい感情”は、

日本を知らないのではなく、自分自身の無知さからだったのだ。

もっと言うと、自分のアイデンティティを誇れてなかったからだったのだ。

自分の故郷と関わって生きたい。

そして、故郷にこそ、私の誇れるものがある。

そう自分で認められた時、ようやく見る景色が変わった。

故郷を知り、感謝すること。

ここに、私の人生の大事な魂の1ピースがあるのだと確信した。


■差異を誇ろう、多様を楽しもう

”日本は、本来、最も多様性ある国なんだよ。”と先日出会ったシンガポール在住の日本人の方から聞いて、ハッとした。

地域ごとに文化風習、季節の行事もたくさん。方言も、ジェンダーも。

日本という文化風習民族を、まるっと一つに捉えるのはもったいない。

私自身、学生時代から、”みんなが言ってるから正解”、”普通が心地いい”、”差異が恥ずかしい”。そんな風潮を、違和感持ちながらも、はみ出すのが怖かった。

だから、流行りも意見も”みんな”に合わせた。

嫌われないように。目立たないように。普通になろうと必死だった。

大人になると、その”みんな”にも慣れてきて、いつの間にか、自分のアイデンティティそのものが、見当たらなくなった。

だから、あえて、noteを書こうと思いました。

差異こそ、素晴らしいんだって。

”自分だけ”をもっと大事にしてみようって。

私の気づきで、そう思える人が増えたらいいなって思ったから。


自分を知ること。認め、誇りに思うこと。

口で言うのは簡単かもだけど、私の場合、意外に頑固だった。

でも、自分で向き合わなくちゃ、他に誰ができるのだろう。

全てはここから。

この誰にも持っていないオリジナルの太い根っこが、今の時代にこそ大事な気がする。

(✳︎次回へ続きます!)

次回は、シンガポールの国家戦略である教育アプローチについてです


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