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田舎生まれ、2人姉妹の長女。罪悪感が、魂からやりたいことに変わった瞬間。

こんにちは!シンガポール在住の元保育園施設長、みはやしゆきです。

お久しぶりの投稿なのですが、先日、noteを見てくださってインタビューのお声がけをしてくださった方との出会いがありました。筆不精担っていましたが、やはりどんな時も、自分の夢や気持ちをアウトプットして、届けることって、出会いを広げるチャンスにもなるとと、改めて実感。
これから、頻度を改めて上げていきたいと思います。

書きたい。
そう思えたのは、

魂レベルでチャレンジしたい夢を発見したから。

という理由もあります。

魂レベル・・・なんだそれ(笑)と思う方もいるかもしれませんが、つまりは、人生でこれをやらねば後悔するな、というパズルのピースです。

(✳︎シンガポールとも、保育士とも、遠く離れたところからの導入になってしまいますが、お許しください〜!いずれ全て繋がってきますので、ご覧いただける方がいらっしゃったら、嬉しいです)

私は、ずっと、今までの人生を一所懸命、必死に生きてきました。

今一瞬を溢さぬよう、スパークする。それがモットー。

いつ何時も人生謳歌している(しなくてはいけない)と、自分でもある意味生き方への誇りを思っていた(はずだった)。

その一方で、”モヤモヤのシコリ”が心にあった。

モヤモヤは、自然治癒で、消えると思っていた。

でも、かれこれ、もう15年ほど消えなかった。

***

今日は、そのモヤモヤ離脱体験を綴りたいと思います。

モヤモヤ正体を明らかにするために、半年かかった。

きっと分かってはいたけど、どう扱えば分からなかったから、避けてきたものなんだと思う。

その正体とは、

”故郷を捨てた罪悪感”であった。

***

私は、二人姉妹の長女。

生まれは、和歌山。

育ちは、和歌山に程近い、大阪(とは思えないほど)河内長野という自然豊かな、いわゆる田舎町。

事業家の家でもなく、普通のサラリーマン家庭だったが、2人姉妹の長女であることは、将来養子を迎え、家系を継ぐというのが習慣として残っていた。

”将来は、婿をとるんやで”

無言の圧力を、小さい頃からずっと抱えてきた。

”なんで?なんで自由に選べやんの?”

そんな反発があったからこそ、大学は田舎から東京へ出た一つの理由だったのかもしれない。

今は結婚し、長男である夫の妻となり、子どもを授かった。実家は随分と離れているが、妹夫妻が父母のそばにいてくれている。

でも、やっぱり消えないのは、

”故郷を捨てた罪悪感”

愛してくれた祖父母、父母、家族。見守ってくれているご先祖様。

そんな先祖から受け継ぐバトンを、私は手放してしまったのだろうか。

この罪悪感を、人生でどう消化するべきなのだろうか。。


いや。問いかけを変えてみよう。そう思ったのだ。

・・・

もし、故郷を出たからこそ、自分の使命があるとしたら?

この問いかけで、涙が出た。

そうだ。

”故郷と関わって、生きよう。生きたいんだ。”

それは、魂から出た言葉だった。

もう一生、故郷に関わって生きることができないと思っていた。

でも、違う。

”罪悪感”という言葉で故郷を表現したくない。

身を置いて住まうことを選択しなくても、

関わって、想って、生きることが、できるじゃないか。

あの愛溢れた、素晴らしい人たちと自然と伝統、地域と、もう一度。

そう思った瞬間、罪悪感が、故郷への”感謝”という気持ちに全て塗り変わった。そして、今までの人生の体験のピースが、パズルにパチパチっとハマって、人生の一枚の絵になったのだ。

次回は、私の故郷とアイデンティティについて、について書きたいと思います(続きはこちら)↓




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