見出し画像

「天然恐怖症」かもしれない。

さぁ、大型連休も終盤に差し掛かりました!三原さんは長野県のド田舎にあるお婆さんの家に帰ったよ!!٩( ᐛ )و

ところが・・・



「天然恐怖症」の概要

「多分あるだろう、こういう類の○○フォビア」。気楽にググってみたけれど、案外それっぽいものがヒットしないんだ。誰か助けてくれぃと、このnoteというフィールドでSOSを投げかけてみることにした。

勝手に創った用語

「天然恐怖症」
いや、絶対あるだろうこういうの。「自然恐怖症」と言い換えても良いのかな。「まーた都会の人間が変なことを言っている・・・」と呆れられても仕方がないのかもしれないわね。多分共感してくれる人もいるとアタイは信じて、今回この記事を投稿するよ。なぜか検索しても出てこないのよね、調べ方が下手なのかしら。それとも持病の統合失調症による、症状の一種なのかしら。いずれにせよ、それっぽい用語が他に見当たらないので、順を追って書いていこう。

執筆よりも事前に、ウィキペディアで「恐怖症の一覧」なるものを全部読んだのよ。「雷恐怖症」とか「高所恐怖症」「森林恐怖症」とかが少し近いのかなぁと思ったけれど、何か違う。もっと上位概念の「まだ言語化されていない嫌気」が、アタイの中に確かに存在している。

自然が怖い

本稿を書いている現在は、ゴールデンウィークの終盤。2022/05/04,みどりの日という祝日でもあるわね。アタイはこの連休で、前半から今日にかけて長野県の山奥は上信越高原国立公園(アタイのお婆さんはある意味「公園に住んでいる」)に里帰りしていたところ。

視界360度、見渡す限りの山。さすがnational parkなだけあって、空気は多分美味い。山奥で杉が大量に植えられているので、強い風が吹くと枝がしなって花粉がめっちゃ舞う。東京にいる時点でのアタイは、過去に花粉症は克服したと思っていたけれど、ここに来てから未だに鼻がムズムズするし、長野にいた時は鼻水が止まらなかったわ。鼻のかみ過ぎで心做しか肌が荒れた。折角温泉に入ったのに。。。


さて、今回の最大のテーマは受け入れられる自然に程度差があることを強調したいのよ。

山奥で外灯もほとんど無し。カモシカもニホンザルも、時には熊もやってくるような世界。

猿が1,2,・・・5匹、いや、6匹か・・・?


庭に出れば、蛇口で水をひねるのと同じくらい容易く山菜を採ることも出来る。取り柄は都会の喧騒から離れて静かに過ごせる事と、温泉があるくらいかしら。水も飯も美味いし。空気は美味いと思うけれど、勢い良く吸い込むと花粉で鼻水が止まらなくなるわね。

山菜がタダで食べられる!そりゃあ美味いよ。採れたて、しかも無農薬。軍手をしながらも、アタイは家族と一緒にタラの芽やコゴミ、山椒なんかを採取したわ。

コゴミ

採りたての山菜を、お婆さんが茹でたり、天ぷらで揚げてくれたりする。Amazonで価格を見ると、山菜の相場は大体1パック1,000円前後かしら。それが庭に生えているんだから、コスパで見れば物凄いことが分かるでしょ!
どっかの料亭でこれが出されたら、お会計で2万くらいは行くんじゃないかしら。(そういう料亭には行った事がないので良く知りません)

タラの芽の天ぷら

ここで大事なのは「お婆さんが調理した」ってところね。山の恵と、お婆さんの調理スキルに感謝して美味しく頂きました。

そして今日、東京に戻る際にコゴミを自宅で食べるために持って帰りました。

アタイは「田舎にはこんな美味いもんがタダで食えるんだぞ、すげーだろー」って自慢するつもりは一切ないです。帰りの高速バスの中でも正直、「自宅で採りたての山菜が、しかも東京で1人で食べられる!」という事に対してワクワクしていたのよ。

高速バスが池袋に到着して、そこからアタイの住まいのあるアパートまで移動。荷解きをして、いよいよ「コゴミを茹でて、醤油かドレッシングで味付けをしてお酒でも飲みながらAmazon Primeで映画でも見ちゃおうかー!
٩( ᐛ )و」と本気で思っていました。

ところが・・・


他人が加工してくれると、受け入れられる

お婆さんが調理してくれた物は、感動するくらい美味しくて残さず全部食べたのよ。「都内のスーパーじゃまず売っていない」とも話したわ。

新鮮なコゴミを23区のとあるアパートで展開した時、不意に「すんげぇ気持ち悪い嫌な感じ」がしたのよね。吐き気とかそういうのじゃなくてさ。ほら、「あの人気持ち悪い」みたいな、ああいう感じの嫌悪感。

え、これからアタイがこのコゴミを調理するの・・・って。


程度の差

お婆さんが作ってくれた時は何の抵抗も無くモリモリ食べたわ。お陰で早朝のウ○コも緑っぽい、そういや今日はみどりの日・・・ ってくらいに。上段は兎も角、自分が野菜を調理するとなると、途端にコゴミが気持ち悪く見えてきた。なんだろうな、大量のアゲハチョウの幼虫を見ている気分でさ。

そもそも持って帰る段階で、お婆さんが事前にゴミみたいなものは取り払ってくれたし、変な虫も付いていないはずなんだけれどね。けれど、言語化出来ないすんげぇ嫌な感じがしてきたのよ。「え、これアタイが食うの、今から・・・?」みたいな。

まぁ取り敢えず茹でて柔らかくするじゃないですか。ああ、山菜の香りがしてきたなぁとか思いながらも、「マジで気持ち悪ぃ」と思っている自分がいるわけよ。

それである程度の柔らかさになったところで、水で締めて「さぁ、食べよう!」となった瞬間に足腰に力が入らなくなるくらいの恐怖心が出てきた。

箸で触れているだけなのに、背筋がゾクゾクしてくる。見れば見るほど気持ち悪い。採取している時はなんとも思わなかったのに、お婆さんの家では美味しく食べたのに、1Kのアパートで茹で上がったコゴミを見て拷問かパワハラに近い何かを体験していた。

売れば3,000円くらいにはなりそうな量を、しかもわざわざそれを食べるのが目的でドレッシングまで買ってきたのに、結局一口も食べることが出来ず、処分してしまった。反省はしているが、どうも食べられない。別に腐っているわけでもない。心身が全力で拒絶しているのだけは分かる。

個人的な気付き

現在、コゴミを食べずに空腹状態だけは続いている。つまり帰ってから何も食べていない。同じコゴミなのに、何故か全く別のものに見えてしまう。あれは国立公園補正だったのだろうか。今も背中が少しゾクゾクしている。

一体何が違うのかを考えてみた。

  • 調理した人が違う(アタイなのか、お婆さんなのか)

  • 使用した水道水が違う(東京か長野か)

  • 熱源(IHかガスコンロか)

  • 鮮度(採取から30時間くらい経過しているが、特に腐ってはいない)

  • 疲労度(高速バスで5時間かけたのか、温泉から上がってリラックスした状態なのか)

  • 周囲環境(今自分が1人の状態か、家族と一緒にいたか)

が、ざっと思い浮かんだ。



野菜の調理問題

アタイは別に野菜が嫌いなわけじゃない。焼肉屋に行けばサラダもレタスもバリバリモリモリ食べるし、外食に関しては大嫌いならっきょう以外は原則残さず全て食べる。

しかしながら、アタイはこの上なく葉物野菜の調理が嫌いで仕方がない。だから一人暮らしの現在、基本的には自炊はカレーくらいで、あとはネギを刻むことは出来るが、キャベツや白菜の外側を剥ぎ取る行為が最高に最悪なくらい嫌で、どうしても食べるのならばカット野菜か、市販のキムチを食べている。

野菜嫌いとは、また違う

過去に何人か友人で「一切野菜を食べない人」というのを見てきた。逆ヴィーガンとでも呼ぼうか。断じてアレルギーとかではなく、本当に肉と米、後は小麦の加工したものしか口にしない人がいるのを見てきた。かけ蕎麦の上にちょっと載せられたネギでさえも、箸で避けながら食べるほどだった。

まぁそれが悪いとか言うつもりは無く、アタイ自身は「野菜は食えるけれど調理したくない」人間だというのが今回の件で確信に至った。つまり、葉物野菜の葉の裏側に虫や異物が付着していた際のセレンディピティに遭遇することに対して、激烈な嫌悪感や恐怖心を伴うのである。前もって「虫がついています」と予告されたならば、その野菜を回避すれば良いだけだ。ところが、「虫がついているかもしれないし、いないかもしれない」という「どのタイミングで出てくるか分からない」という、一種の運ゲー要素に対して強いストレスと、急にビックリさせられるような緊張感が、恐らく常人よりも強すぎてこうした不快感が出てくるのだと推測する。

野菜に限らず、もっと言えば、釣った魚を自分でさばくことには抵抗がありつつも刺し身や寿司は平然と食べられる。ブルーチーズも普通に食べるし、納豆や塩辛も抵抗なく食べられる。なまこは見た目からして無理なので、食わず嫌いだが。
そう考えると、バナナは割と虫が湧く確率が高いものの、坊主めくりのような緊張感を伴いながら皮をむいてなんとか食べられる。

結局個人の気分の問題なのか

他人が調理してくれた野菜は食べられる。これは間違いないと思う。だからコゴミに関しても、事前にお婆さんが調理してくれたものをタッパーにでも入れて持ち帰れば、恐らく今頃こんな記事を書かずに酒でも飲みながら映画を見ていただろう。

肉にしても、誰かが見えないところで解体してくれているから、自分は抵抗なく食べることが出来るのだと思う。どういうわけか解体したマグロに対しては残酷だと思わないところには、家畜と魚類で何が違うのか考えてみるのも良いかもしれない。少なくとも、自分では解体しようとは思わないが。

スーパーでレタスが一玉で売っているものを買えば、量も多く安く食べられるのに、調理に抵抗があるせいでわざわざカットした、それも白っぽい高くて不味いものを買うことになる。
もやしや豆苗に対しては、なんの抵抗もなく普通に調理が出来る。

一体どうしてなのだろうか。単なる気分の問題か。
誰か分かる人がいたら、教えて欲しい。


それを踏まえてアタイはどうするか?

一応、葉物野菜の調理は出来る。出来るが、そこにはとてつもないストレスと恐怖心が伴う。即ち、大変疲れる。今の世の中はコンビニの弁当から冷凍食品、レトルトに至るまで大体の食べたいものは温めるだけで食べられる。本格的に美味いものを食べたいのならば、ウーバーイーツを使えばいい。

いや、それで良いのだろうか。
恐怖症に対しては克服するための治療法があるのだと、今回検索していたら広告として出てきた。「野菜の調理が嫌だ」というマイナーな恐怖症、広く言えば人が加工したものでないと口に出来ない症状。「天然恐怖症」なんて勝手に名付けたが、どうしたものか。

一応これでも子供の頃から母親の調理の手伝いはしてきた方だった。家庭科の成績は良かったし、レシピがあれば寸分の狂いもなく正確に調理くらい出来る。それでも野菜の調理だけは抵抗があった。
親がいれば野菜の調理も怖くない、そうした甘えみたいなものが一人暮らしになって支えがなくなったのだろうか。

自分で勝手に恐怖症を名乗りだしたものの、アタイは別に医者でも心理士でもない、一般人だ。治療すべきかどうか、また、それに近い恐怖症が見当たらない。漠然と分かっている事は、どうやら誰かが、或いは機械が加工してくれたものしか自分は口に出来ないらしい。

加工食品を避けている人も居ることは知っているが、では、逆にあなたはどこまで自然を受け入れられるだろうか。

じゃ、今回はこの辺で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?