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【ネタバレ有】トイ・ストーリー4はヒット作!ただ賛否両論?!おもちゃから《人生の決断に向き合う場面での心構え》を学ぶ!

◆遂に、トイ・ストーリー4観ました。

いや〜〜やっとです!過去作も観ていたのと、『バズ・ライトイヤー』が今夏から上映し始めるので観なきゃ!とで、家事の合間合間で観終わりました。
1作目から吹き替え声優さんも変わらず、唐沢寿明さんのウッディ、所ジョージさんのバズ、そして今作からパワーアップした戸田恵子さんのボー・ピープ!ジェシーやミスター・ポテトヘッド、レックスなどいつもの仲間達にも会えました。
吹き替え声優でいうと、大好きなお笑い芸人のチョコレートプラネットが声をあてた新キャラ「ダッキー&バニー」の掛け合いもツボでした。日頃のチョコプラを見ているようなボケとツッコみ、、、そして物語の終盤にはウッディやバズらと一緒に活躍する場面もがっつりあって、チョコプラファンはニヤニヤしながら観れるのではないでしょうか。

今作はトイ・ストーリーシリーズのラストだと言われていますが、まさにラストにふさわしい終わりだと個人的に思います。
1作目を幼少期に観ていた親世代と、3,4作目から観た子ども世代、どこにも刺さるメッセージ性。
片山個人は以下3点について考えさせられ、学びました。

<作品から学んだこと>
・生きることは絶え間なく変化する事
・少数派である事は向かい風があり、それを受け止める覚悟が必要
・最後は誰でも一人で自分で人生を決断する事

!ここからネタバレします!ご注意ください!

うーーーーーん、観た人は分かると思うんですけど、あの終わり方どう思いましたか?日本人のレビューしか見ていませんが、まあ賛否両論!(笑)
あのエンドに賛成派、反対派、皆さんはどちらでしょう?
今まで「アンディやボニーのため!(1人の持ち主のために)」と今まで活動してきたウッディが、数年前に別れたボー・ピープからの「子供はおもちゃをすぐなくしちゃう。狭い子供部屋に囚われるより、広い世界でたくさんの子供たちの為に生きていこう!」という言葉に感化され、自分のステージを変えていく、というエンドでした。
片山個人としては、一次(反射的)感情としては否定派!
過去3作でウッディが大切にしてきた価値観は「持ち主であるたった1人の子供のために」だったし、その為にバズと協力して多くの困難を乗り越えてきました。
「えー!ウッディとバズのコンビはそれぞれの道に行くの!?」
「今までの考え方と全然違うじゃん!」

と、作品を見ている最中は反対派でした。
ただ、よくよくトイ・ストーリー4でのウッディ側の気持ちになると、最終的には賛成派です。
アンディのお気に入りでリーダーシップを張っていたと比べると、ボニーのお気に入りは違うおもちゃで、活躍頻度も減り、自分の存在価値を問い始めていた序盤。フォーキーの出現により、「ボニーの為にフォーキーの面倒を見るんだ!」と奮闘していた時に、新しい価値観をもったボー・ピープとの出会い。そして終盤にはおもちゃとして、自分はどう生きていきたいのか、内なる言葉に従い、ボーと共に多くの子供たちの為に、と決断する終盤。
ウッディの立場になると、「まあそういう道もありだよね。」とよくよく考えて、賛成派になりました。

◆おもちゃを通じて、人生とは、を学ぶ。

ウッディ役を担当してきたトム・ハンクスはこう語っています。

生きるということは、絶え間ない変化にあるということ。まさか、こうしたおもちゃの映画が、人間らしくいるということを教えてくれるなんて。とても素晴らしいことです。これを実現させてくれたピクサーのイマジニアの皆さんには脱帽です」。

https://theriver.jp/ts4-why-this-ending/

今作を通じて、親しい仲や長い付き合いの人こそ、身近な人の変化には最初マイナスな印象を受けるんだなあと自分自身の反応から学びでした。
1作目のトイストーリーが公開されたのは1995年。27年前から知っている片山としては「いやいや、今までたった1人の持ち主の為に生きてきてたやん。」と、言葉を選ばなければアンチウッディ派(笑)
今まで信条にしてきた事と違うやないかい、と。
ただ、トム・ハンクスの言う通り、人生は変化の連続。
自分自身に置き換えても、幼稚園、小学校の時の自分と今の自分は多少変化しているし、昔の交友関係や性格がそのまま、まるっと続いている人はいないのでは、と思います。
そう思うと、自分とはレイヤーの違う場所で生きてきたボーの言葉に感化され、今まで変えてこなかった事を変えようとしているのも、人生振り返ったら私にも皆さんにもあったのではないでしょうか。

◆少数派である事は向かい風があり、それを受け止める覚悟が必要。

片山個人の経験としては台湾留学や上京する際に、「いいね!」と言ってくださる賛成派もいれば「危ないから止めろ。」と忠告していただいた反対派な人もいました。私の場合は反対派の大ボスが両親でした。
事あるごとに「考え直せ。」と特に上京時には口酸っぱく言われ続けた記憶は鮮明です。
振り返れば、同級生の多くは留学なんて行かないし、就職も九州内に留まる人が大多数。両親からしたら実家に帰ってくる留学ならまだしも、いつどうなるのか分からない、また本人らも経験ない地に娘が1人で行く!と聞いたら、「なんでやねーん!」とツッコみたくなる気持ちも今なら分かるなあ、と思います。
社会人3年目くらいまでは「何で自分の両親なのに、私の人生の邪魔をしようとするんだ。」と喧嘩腰でしかありませんでしたが、やっと相手の立場に立てるようになりました。

作中でもボーの考え方は、まさに少数派。
レックスやミスター・ポテトヘッドらの反応からも「え?そんな道を選ぶの?」とボーやウッディへの最初の反応は、良いとは思えません。
<おもちゃは持ち主の側にいる事が当たり前。>という世界で生きてきたおもちゃ達からしたら、「子ども達に愛されるビジョンが見えない。(将来に対する不安や未確定要素への恐怖)」、ウッディにとってその道は本当に良い事なのか?と、今までアンディ、ボニー、様々な経験を共にしてきた旧友だからこそ、ウッディの身を案じての心配からきているものなのでは、と思いました。

◆内なる声を聞く、そして自分で決断していく。

さらに掘り下げるなら、
・たった一人の持ち主と共にいる事(多数派)
・多くの子ども達と共にいる事(少数派)
今作ではこの2意見がぶつかり合います。
ただ整理していくと、どちらもおもちゃとしてもミッション(使命みたいな)は「子どもと共にいる事」。
この2意見に関して、正しい!とか、正義だ!とかって言えるのかなと問いたいです。

たった一人の持ち主を求め続けたギャビー・ギャビーが迷子の子に辿り着いた事も、ウッディが内なる声に従ってボーと共に子ども部屋の外の世界に飛び出した事も、第3者からのそれは良否だ!という声ではなく、その人(ここではおもちゃ)にとって、内なる声(どうしていきたいのか?)に耳を傾ける事が大事。
何故なら、その選択の責任を最後に取っていくのはその選択をした自身だからです。外野でやんや言っている第3者はそこまで考えて発言している人は少ないかと考えます。

人生って白黒で判断できるほど、イージーじゃないと思うんです。
選んだ時は「これが正解だ!」と思ってますけど、じゃあその後、数十年が安定で何も不安もなく、何の壁もなく過ごすって、ないのではないかと。
選んだ先には、選んだなりの何かがある。むしろ、選んだ段階で白黒つくなら、逆に面白くなさそう(笑)映画であれば、起承転結の「承」あたりで、「転結」も分かっちゃうようなものです。

◆個人的好きなポイント

片山的には、バズの相変わらずなマイペース具合が愛おしかったです。
ウッディから「内なる声に従うんだよ。」と言われて、自分に内蔵されている音声の事だと勘違いして、決断するたびに何度も何度もボタンを押す。
ただ最初は1回しか押さなかったボタンが、決断が重なる度に、バズにとっての「内なる声」が出てくるまで、何度も何度も「それじゃない!」とボタンを押す場面が、バズなりに内なる声に従っているんだな、と感動を覚えました。

フォーキーがウッディと過ごす中で、「自分はゴミ。」から「自分はボニーのおもちゃ。」と存在意義が変わっていく過程も、そのフォーキーにどこまでも呆れずに「ボニーの為に」と辛抱強くコミュニケーションを唯一取り続けたウッディにも、トラウマと戦ったデューク・カブーンも!
思い返せば書ききれないくらい、愛されキャラが要素が出ていますね。

◆7月1日(金)から新作がスタート!

トイ・ストーリーでは、マイペースでおっちょこちょいなバズのオリジンストーリー。バズ、というより【バズ・ライトイヤー】とは?にフォーカスされた作品のようです。これもまた楽しみ!





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