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夜の納屋橋と味噌フォンデュ

 前回のあらすじ。下戸なのに飲みすぎて、天井が回る。まさかの続きものである。僕は荒っぽく吹き荒ぶエアコンの冷風を全身に浴びて熱を覚ましていた。浴衣の隙間へと流れ込む冷たい風が気持ちいい。

 午後七時、外はようやく夕闇が訪れ始めたところか。窓のない部屋ではそれがわからない。都会のど真ん中で温泉を掘ってみたら掘り当てたという、本当かどうか疑ってしまうエピソードを持つこのホテル。名古屋クラウンホテル。レトロな作りだが部屋は綺麗で過ごしやすい。そしてなんと言っても安い値段も魅力的だ。

 なにせ朝食バイキング、温泉付きで一泊六千円ほどなのだ。周りに飲み屋が多く、施設も充実していて低価格、つまりどういうことかと言うとサラリーマンの利用者がものすごく多い。この日もチェックインの時に僕以外の人らはみなワイシャツ姿だった。私服で浮かれ切っている自分が少し恥ずかしい。

 本当なら夜にもう一度街へと繰り出して飲むつもりだった。しかしこの天井の回転量ではそれは叶わない。メリーゴーランドかな?う、うう、と情けない呻き声を上げて顔の熱さと回転が収まるのを待つしかない。

 何分経ったのだろう、脳内メリーゴーランドは営業を終え、ようやく立ち上がれるようになった。体中にべたべたとまとわりつくような汗を感じる。酒を飲んだ時にかくタイプの汗だ。こういう時はそうだ、温泉だ。

 夜十時の温泉はそれはそれは混んでいて、僕と同じような疲れたおじさんたちが皆一様に目を瞑り、それぞれの疲れを全力で癒していた。癖のない、とろりとしたやさしい泉質が酔い疲れた体にありがたい。

 風呂上がりにはフルーツ牛乳。これは法で定められている。じわじわと温まった体に芯の通った甘さが喉を撫でまわし、遅れて冷涼の咆哮が脳内に響く。最高だ。これよこれ。

脳が溶けますぜこれは

 再びベッドに傾れ込むが、天井は回っていない。むしろ目が冴えている。外に出てみたい。自然にそんな思いが巡る。思いは衝動へと変わり、じわりと汗ばむシャツへと再び着替え、レトロなホテルキーを持って外に出た。

 どうも僕が部屋で苦しんでいる間にひと雨通り過ぎていたようで、夏夜の納屋橋には季節と似合わない涼やかな風がさらさら吹いている。澱んでいた肺の空気がたちまちと入れ替わる。

 時計を見るともう二十三時を回っていた。濡れた地面をぱちゃぱちゃと歩く音が静かに響く。ほとんど、通行人はいなかった。怪しい風俗店と酔い潰れたサラリーマン、夜に駆けるウーバーイーツの自転車。それくらいだった。東京の新宿へ行った旅行を思い出すと、その夜の雰囲気の違いに驚く。ふらっと立ち寄ったドンキホーテも閉店ギリギリで閑散としている。

誰もいない

 遅くまでやっているラーメン店もあることにはあったが、小腹は空いているものの、なんだかそこまで食べる気は生まれなくてスルーした。

実はご当地ラーメンらしい。今回はスルー。

 夜の散歩を終え、帰宅。部屋に戻る前にホテルのアイスの自販機が目に入る。うまそう。この小腹を満たすにはちょうど良すぎる。しかし普段ならとても食べるタイミングではない。さっきフルーツ牛乳も摂取している。だが今日は旅行なのだ。えい。

 浴衣に着替え、裸足をベッドに放り出して食べるアイスは格別だ。しかもハーゲンダッツだからなおさらなんだ。食べ終わると繰り返し脳にぶち込んだ糖分が一気に襲いかかってきて、まぶたのカーテンは強制的に閉まっていった。

約束されすぎたうまさ

 なんだか廊下からガサガサ音が聞こえる。もしかしてもう朝か?スマホを見ると朝の七時半ほどであった。ああ〜、よく寝た。酒も残っていない。大丈夫だ。よし、あれに行かねば。

 このホテルは朝食が有名だ。名古屋名物を取り揃えたビュッフェが幾多の宿泊客、主にサラリーマンの活力へと繋がっていった。朝食会場へと行くと予想通りワイシャツ姿が溢れていた。うまいうまい言いながら食べる彼らを見て期待が高まる。

 焼きサバと、ひきずり鍋と、味噌煮込みと。そういえば昔、友人から

「名古屋で飯を食べるとテーブルが茶色まみれになる」

 と言われ、そんなことあらすかと反論したのだが見事に茶色になってしまった。これも味噌国家、名古屋県の宿命だろう。しかしうまい。焼きサバは皮がぱりっぱりのあつあつだし、ひきずり鍋は滋養に満ちた味だ。そして味噌煮込みは文句なしの安定感。このホテルが大人気なのもうなずける。

茶色い

 おかわりだ。次は何にしよう。おっ、そうだそうだこれがあった。キラキラと目を輝かせた僕の前には味噌フォンデュがあった。

 味噌フォンデュ。愛知県民なら当たり前に知っているそれの前には串カツが置いてあった。これを手に取り、味噌にどぼん。そして食べる。うまい。こんな感じのものだ。

 僕の後ろにいた、おそらく他県から来たであろう夫婦は僕がフォンデュしている様子を見て大変興奮していた。「嘘でしょ」「本当に名古屋って味噌なんだ」「どれくらい付けたらいいんだこれ」とキャアキャア楽しんでいる。

 テーブルに戻った僕はしみしみの味噌かつをぱくりと頬張った。ああ、うまい。愛知県を感じる。甘めの味噌が衣によく合っている。噛むと滲み出るかつの脂と合わさって、更なる幸せが訪れた。

これが味噌フォンデュ。ここのは鍋がちいさめ
じゅわじゅわしみっしみの味噌かつ。うまい。

 僕の横ではワイシャツの集団が

「まだ出発って時間あったっけ。このあとまた温泉行かない?」
「いや〜課長それは攻めすぎでしょ。仕事っすよこれから。し・ご・と」

 など談笑しながらわしわしとご飯を食べていた。いい朝だった。部屋に戻る。たらふく食べたせいで再び眠気が襲ってきた。チェックアウトまではしばらく時間がある。念の為に目覚ましアラームをかけてゆっくりと目を閉じた。

今日の予定は何もない。何も気にすることはない。ああ、いい日が始まるんだ。

今回行った場所:名古屋クラウンホテル
住所:〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄1丁目8−33
料金:一泊朝食付きで6200円くらい。駐車場代込み
食べたもの:名古屋ビュッフェと味噌フォンデュ
今度食べたいもの:また同じもの食べてえ

あなたのそのご好意が私の松屋の豚汁代になります。どうか清き豚汁をお願いいたします。