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夫。

私の夫は写真の通り若く見えるが来年五十路だ。

夫の父は五十で死んだ。癌だった。
その父の兄達も全て五十前に亡くなった。癌だった。

百手前まで生きた夫の祖母はいつも言っていた。

「なんで全ての息子達に先立たれ、私は生かされとるんだろかね…」

結婚を決めた時、夫は言った。

「俺は多分、五十で死ぬよ。すまんがそれでも良いか」

良い訳なんかあるもんか。
それでも若くて馬鹿な私はものを軽く考えて居た。

ハタチの私に20年後の事なんて来生の話の様で現実味も無く、
「だいじょぶだいじょぶ、長生きするよー」なんて受け流していた。

私が三十路になっても四十路になっても
彼の口癖は変わらなかった。

「俺は五十で死ぬ気がするが、すまんな、許せ」

彼の予感が変わらなくとも、
それを聞く私自身はだいぶ変化をして来た様だ。

若く馬鹿なうちには右から左。
少し歳を取った私は「私を置いて死ぬ気だなんて薄情なのね」
もう少し歳を取った私は「やめてよ不安になるじゃないの」
三十路になる頃には「それが魂の計画ならば仕方ない」
四十路になる頃には「それでも私は生きていきます」と。

すっかり後家になる覚悟が出来ていた。

「家系の呪い」を彼自身が受け入れるなら仕方ない。
私には彼を変える事など出来なくて
ただ全てを受け入れ、
「あるべきように」と覚悟するだけだ。

彼が死のうが生きようが、私の愛に変わりは無い。


夫は、私が人生で初めて出逢った美しい男だった。
若かった彼は容姿も美しかったが、
何より私を貪ろうとはしなかった。
清々しいまでに美しく清潔な男だった。

手を繋ぐ前に「結婚を前提に出来るか」と私に尋ね、
YESと答えるとその七日後には指輪をくれた。
私の生い立ちもそれ故の無教養も全て受け容れてくれた。

若い頃の私は自分でも嫌気が差すほどに馬鹿女だったが、
それでも。三十路前から、私はずっと思って居る。

【こんな男が出逢ってくれた。それだけで一生分のギフトを頂いた。
 これ以上何も求めるものは無い。求めようもない。
 夫が他の女に走っても、私を置いて死のうとも・・・!】


彼が五十で死ぬとしても、今この時は生きている。
ならば奇跡だ。

【今生きているならそれで充分!】

それだけは忘れないように生きてきた。


すっかり未亡人になる覚悟が完了した今、
「置いて行っていいのよ。心配要らない」
が私の心の口癖になっている。


声に出して夫に伝えたりはしない。
それをすれば呪いになるから。

ただ、心で神に伝えるのだ。
「この20年があれば私はこれから先も大丈夫」と。

それを想う度、心が温かくなる。
永遠は無いけれど、この20年に永遠を感じることが出来る事も
この一瞬が永遠にもなり得る事も知って居るから。

幸せだ。

そんな気持ちに浸っていたある日。

夫が唐突に言った。


「俺はお前に恩返しは何も出来そうにないが、
 お前より先には死なんと決めた」


その言葉を聞いた瞬間、感情より先に涙が溢れた。

嗚呼、神よ!!!

こんな私に、何故、これほどのギフトをくれるのでしょう!


止まらない涙の対処に困るダサい私に、
彼はいたずらっぽく言った。

「お前を看取るのは俺の仕事だ。俺がお前を独りにさせない。
 残念ながらお前を看取りたがっている若い男の出番は無いな(笑)」


涙と嗚咽が止まらない。
観念して大声でしゃくり上げた。


この泣き声が、私から神に捧げる感謝の歌だ。





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