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もし今日が最後の日ならどう過ごす?の話
人生は限りがあるから頑張れると思う。サクラだって数日しか咲かないから愛おしい、儚い。そんな綺麗な花だからみんな見に行こうとする。だって今しか見れないから。
でももし桜が一年中咲いてて花も散らないとしたら、そんな花をみんな見たいと思うのだろうか。珍しいから、期間限定だからってやっぱり大切にしたいと感じてしまう。私は好きだけど、たんぽぽとかは桜みたいにフォーカスされない。たんぽぽはずっと咲いてる花だか
勝手に判断しない、無駄な悩みは作らないの話
私たちはたくさんのことを判断しないといけない。小さなことから大きなことまで。重要なことからどうでもいいこと。判断するのは本当に疲れることだなといつも思ってしまう。
決めつけ、思い込みも判断だとするとものすごい数の判断をしてることになる。これも他人に比較になっている。本当に無意識で色々してる。今比べてる。判断してるって思ってないけど実はしてることが結構、いやかなり多いに違いない。
しなくていい判断を
本当の豊かさってなんだろう?の話
人は他人から尊敬や賞賛を求めてしまう。そのため高級なブランドや高級車、高級な家を購入し、他人から尊敬や賞賛を求める。でも実際は思ってるより賞賛されることはないらしい。確かに、高いブランド品を持ってる人がいても、高いそうやなって思うだけ。私だけかもしれないけど、あんまりなんとも思いません。多分興味がないから余計なんやろうな。
確かにインスタグラムって成功を手に入れるまで、成功してるふりをするってまさ
他人と比較してもきりがない!!自分は自分の話
他人と収入を比較してもきりがない。ということだ。比較してる限り誰も頂点には勝てない。これは決して勝つことのできない戦いだ。唯一勝てる方法は最初から戦わないことだ。たとえ周りの人より収入が少なくても「自分はこれで十分だ」と満足することが大切なのだ
年棒50万ドルの新人野球選手がいる。一般よりは基準の収入は高い。同じチームに12年4億3000ドルで契約してるマイクトラウトがいてる。しかし投資の神様、
感謝の対義語は当たり前の話
感謝の対義語は当たり前。慣れてくるといろんなことが当たり前になってしまう。でも、今生活してることや、今過ごしてることっ今一緒にいてる家族、友達、パートナーって本当に当たり前になのか?当たり前すぎてそれすらわからないこともある。もう言わなくてもわかるやろって思っていても、相手には伝わらない。結局他人だから察してとか、わかるでしょっていうのはできないことなんだなって最近改めて思いました。いなくなって気
もっとみる私の常識は他人の非常識かもしれないの話
あの人は常識がない、非常識だという時は自分の中の常識をズレている時に使っている。でも私の常識は他人の非常識かもしれない。全てはその人の価値観によるものとなる。価値観の違う人とはどう頑張っても一致することはできないし、わかりあうことも難しい。「自分が合わせるか」「自分に合わせるか」しかないらしい。
(ローランドの名言みたいになってる。)
わかり合えない人にあったらこう思うと少しは楽になるのかもしれな
自分自身は特殊であると思ってるの話
私たちは自分のことをどうしても特殊だと思ってしまう。いい意味でも悪い意味でも他人とは違う。普通のひとではない。特別な人になりたいんだ。あなたとは違うから。など。他人のことは客観的に見れるのに自分のことになると全く客観的に見れなくなるもの。自分には当てはまる、当てはまらないとか勝手に決めてしまうと色んな可能性も無くなってしまう気がする。
(元々自分の視点でそれもよくわからん判断してるからな。)
自分
好き、嫌いの反意語は無関心。成功、失敗の反意語は行動しないの話
「好き」の反意語は「嫌い」。でも、好き嫌いも対象者へ関心があるという意味では同意語になるらしい。そしてその反意語は関心がないから「無関心」になる。
嫌いな人ってすごく嫌いだけど、なんか目についていまう。言動とか全て、することなすことイライラしてますます嫌いになる。でもこれってその嫌いな人への関心めっちゃない?どんなけ見てるねん、ってぐらい見てる。
職場でも揚げ足とるように小さいことまで指摘してくる
成功は自分の努力の結果、失敗は他人や環境のせいにしがちの話
成功した時はこんなに努力した結果です、私が頑張ったからですと言いたくなる。運や環境、周りの人のおかげで成功したこともあるけど、努力したと言いたくなる。失敗やうまくいかない時は環境のせい、人のせい、運のせいと言ってしまうことが多いなと改めて思いました。成功も失敗も自分行った結果であり、周りの環境や人のせいではないと思う。
失敗を他人に押し付けるひとは自分のミスを認めたくないから押し付ける。そんな人は
他人への批判、それって自分のことじゃない?の話
他人の欠点にイライラしてしまうことがあるとする。そこで考える。自分は人に批判できるような完璧なのかと。私があなたの欠点をしてしてるように、あなたも私も欠点を指摘してるんだと思う。そう思うとお互いさまなのかなって。
友達でも恋愛でも仕事でも、自分はこんなにしてるのに、してくれないって思うときよくあります。他人への不満やイライラするのって結局自分もできてなかったり、長い付き合いだからって甘えてしまっ
一年前の悩み覚えてる?の話
ストレスを感じるかどうかは自分で選ぶ。私は多分ストレスを自分に勝手に与えてしまってストレスに負けてしまう人間だと感じている。
人前で発表なんてもんなら本当に口から心臓が出そうになるぐらい吐きそうになって、真っ白になって何にも言えない自分を想像してしまう。実際は最悪なパターンではないにしても、緊張でうまくできない自分に「本当に情けないな私は」「何にもできない」「こんな私はダメだ」と思ってしまうことを
学ぶことは真似ることの話
学ぶことは真似ること。できる人に聞くのが一番早い。なんでそんなに仕事早いんですか?仕事できるんですか?工夫してることはなんですか?とかすぐ聞いてしまいます。大概には普通に教えてくれる。嫌な顔せずに。だって仕事早いとかできるって言われて嫌な気持ちになる人はいないはず。真似ると色々できようになる。本当に学びが大きい。自分の努力では絶対に叶わないところにまで行ける気がする。
でも仕事できない人はいつまで
敵は無駄に作らない方がいいの話
激しい力ずくのやり方より優しく親切の方が効果的であるということ。確かに、やれやれときつく言っても人は動かない。なぜなら動く意味が言われてる人にはきっと伝わってないから。怖い、恐怖、とかでやらないと怒られるからしようと思うことはあるかも知れない。でもそれは人を動かすと言うことなのか。恐怖を与えすぎると、いつかあの人に復讐してやろうとか、負かしてやろう、ミスを見つけて困らしてやろう、揚げ足をとってやろ
もっとみる身の丈に合ってる?の話
自分の身の丈に合ってる人と合ってない人。合ってる人はやっぱり自分のことをしっかり理解していて、いろんなこと、自己管理もできてるな感じてしまう。その反対で身の丈に合ってない人は自分のことは分かってないし、自己管理できていない人が多い。勝手な私のイメージです
自分はできるだと人間だと思い、実力以上のことがしたくなる。周りが実力以上のことを求めてくることもある。そんな時、自分の実力、身の丈がわからない失