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【V】「ココロ」はどこにある?

私は、ココロや身体の健康を通して私たちが「イキイキと幸せに」生きていくために、ベジタス持論という独自の持論を持っています。

ベジタスの内容はマガジンに集めています。(タイトルの頭に【V】マークをつけているのがそれです。)今のところ、訳あってw基本的に無料(有料は一つだけ…w)です。

マガジンはこちら↓

この持論は、過去にとある環境団体に所属していた時の基本概念を元に、私が今まで体験したことや学んだことを取り入れて組み上げた完全オリジナル持論wです。
病気をただ予防や治療すること「だけ」を目的とせず、健康を維持することを前提として、イキイキと幸せに生きていくことを目標としています。

病気を敵視せず、ほんとうの健康とは何か、幸せとは何かをいまだに追求しております。
もしかしたら、現代の一般的な考え方からはかけ離れているかもしれませんねw。病気で苦しみ、亡くなるのが当たり前となってしまった現代に、少しでも「癒しの爪痕」wを残せたらいいなぁ、なんて考えています。


さて、ベジタス持論は「ココロと身体の健康」も大きなテーマのひとつですので今回は、「ココロのありか」について少しお話しておこうかと。

もちろん「持論」なので、これが正解ではありません。やや抽象的なお話になりますし、考え方のひとつとして聞いていただければ幸いです。


さてさて「ココロ」とは、いったいどこにあるのでしょう?

私は、「ココロ」は私の中には無いと思っています。

ココロが私の中には無い。すると、私たちは心無い無情無関心な生物なのでしょうか?

そうではないですよね。
私たちは確かに、「ココロ」を自分の中に持っていると感じます。たいていは胸の辺りに感じる方が多いのではないでしょうか。

ただ、それは「感じる」だけで、実際そこにあるとは限りません。

私は先ほど「私の中には」ココロが無い、と言いました。
そうです。中に無いだけで、ココロはちゃんと存在します。

それは、「ヒトと何かの間」です。


あなたは毎日誰かとお話すると思いますが、話をする時のあなたの「ココロ」はその人との間にあります。
仮に話さなくとも、相手を意識した瞬間に、その人との間に「ココロ」が生まれます。

対人だけではありません。
可愛いペットや動物に対する時も、その動物との間に「ココロ」が生まれます。

植物もそう、虫もそう。
そう考えると生物である必要もないですね。
私の場合、ギターを相棒と呼んでいるwことから分かるようにギターとの間に「ココロ」があります。たとえば、車が好きな方は車との間に「ココロ」があるはずです。

「私に私の心があるごとく、石にも石の心がある。」

昔の文献にそんな言葉が残っています。(詳細忘れましたw)
私もこの感覚に近しいものを感じます。


今更言うまでもありませんが、私たちは周りのさまざまな人や物に「生かされて」います。すべては「おかげさま」です。
ひとりで生きている人は一人もいません。

苦しい時や辛い時、つい、ココロを閉ざし、見失ってしまうこともあるでしょう。
思い悩み、自分を疑うこともあるかもしれません。

「自分の中にはココロが無い」
だから、中に求めても「生き詰まる」だけなんです。

「ココロ」は、外に求めてください

すぐにできなくても、いいです。
いきなり「ヒト」でなくても、いいです。
それが何であっても。

まず、「何かと関わる」ことから始めてみましょう。

ココロを取り戻せば、身体も連動して動き出すはずです。そして身体が動けばまた、ココロも多方に広がっていきます。

何を隠そう、私はこうやって「うつ」の症状と少しずつ少しずつ付き合いながら、改善していきました。
「ココロのありか」を知るだけでも、世界が変わることってあるんですよねw。

「心身相関」という言葉通り、もちろん身体の状態もココロに多大な影響を与えます。日々、食性を守り身体を労ることも大切です。

ココロが乱れやすい現代だからこそ、その「ありか」を意識し、あなたとあなたの周りとのあらゆる関係を大切にしてくださいね。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!まいけるでした。



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