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海の思い出

むかーし、むかし、私がまだ言葉を話し始めたくらいの小さな子供だった頃、庭先の塀の向こうには海が見えていた。。。ような気がする。

宅地開発で切り開かれた小高い山の上はすぐに住宅が密集して建てられたので、物心がついた頃にはもう海は見えなくなっていた。

今、塀の向こうには当たり前のように隣接する住宅の壁がある。もしかしたら見えたと思っていたのは勘違いで、最初から海なんて見えなかったのかもしれない。想像力豊かな子供だった私が妄想の中で見ていただけかもしれない。そう思うほどあっという間に周囲には当然のように住宅が立ち並び、視界は壁や塀で取り囲まれて塞がってしまった。

だけど家から一歩外へ出ると、壁の隙間や下る坂道の先にちゃんと海が見える。くねくねと降りて行く坂道の目前には、静かに海が横たわっている。

私はいつも、手を伸ばせばすぐそこにあるその海を何の気なしに見つめながら日常を過ごしていた。

そこにあるのが当たり前の海。漁船やフェリーや貨物船が行き交う海。その向こうには淡路島の先端が見える。


〇〇〇


結婚してパリで暮らすようになって、都会の暮らしに性が合わないのか、気が滅入ることが多くなった頃に気分転換でフランス北部のドーヴィルという海辺の街へ行った。パリから車で2~3時間くらい。パリジャンパリジェンヌたちが週末に遊びに行くのに丁度いい距離にある海だ。

そしてそれは、私がそれまでに知っていた瀬戸内海や太平洋と違って、寒い色をした海だった。フランスとイギリスを遮る大西洋。

ゴォーゴォーと低い唸り声をあげて遠い所から険しい表情で見つめてくるその海は、私がよそ者だと知っているように振る舞った。海岸線の砂浜は気が遠くなるくらいに広大で、私が水際へ近づくのを拒むように強い風が正面から吹き付ける。

匂いや音はするのに海には触れられない。水平線はあるのに海は見えない。

辺り一面、砂浜や水平線や空気までもが寂しい色に侵食されていた。


〇〇〇


学生の頃に住んでいたサンフランシスコ近郊の湾岸エリアの奥まった場所にあったのは、保護された自然に取り囲まれた一見穏やかな内海だった。穏やかに見えるけど、実は入り組んだ入り江にぶつかる波が海流を複雑にし、水温の低い険しい海だ。

一方の太平洋側も寒い海だ。吹きっさらしで風が通り抜け、視界の先は霧で霞んでぼやけて広さの感覚が掴み辛い。

風が吹いて良い波が立つと、サーファーたちが黒い斑点のように水面に浮かぶ。まるでオットセイの大群が押し寄せてきているように見える。

震えるほど寒い海。岸辺に戻ったサーファーたちは皆一様に紫色の唇をして小刻みに震えている。

Big Surと呼ばれる太平洋側の海沿いを車で南下すると見えてくるのは、崖の遥か下で抗う海。行き止まりの先へ行こうと崖を侵食することだけを目的として激しくぶつかっている。そうやって粗野に削り取られた海と陸との境目は芸術的な陰影を作り上げ、何時間見ていても飽きることがない。

自然の力の大きさに圧倒されて、ちっぽけな人間である自分のちっぽけな悩みなんて、波もろともごっそりと飲み込まれて海の泡となってポッと消えてしまう。


○○〇


数年前に辿り着いたのは南仏の海、地中海だ。故郷の瀬戸内海に似た平べったい海で、凪の似合う海。

違うのは規模と配色。

地中海は広い。水平線がピッと一本筋になってずっとどこまでも続いている。広さに視力が追い付けない。

そんな地中海の海の碧色は宝石のように深く、高貴な色をしているのでつい見惚れてしまう。日本より湿気が少ないせいか、光に反射される色はくっきりと眼中に飛び込んでくる。

そんな碧い海の色と対峙する空の色はかわいいベビーブルー。絵画や壁画で描かれているあのかわいらしい空の色がそのままが実際にそこにある。夕暮れになると夕焼け色が混じってベビーピンクに変色する。

海岸沿いのプロムナードの椅子に座ってそんな空の移り変わりを見ているのが好きだ。

ついでに海水浴を楽しむ人たちのことも、何の気なしに見つめている。

南仏の海では大勢の人が海水浴をする。夏だけでなく、11月上旬ごろまでみんな普通に泳いでいる。さすがに12月ともなると寒中水泳になるが、年が明けて4月くらいになるとまた、泳ぐ人が増えてくる。

夏のシーズン中は若者や親子連れをよく見かけるが、オフシーズンの南仏の海岸で泳いでいるのは70~80%が年配の人たちだ。彼らにとって海は泳ぐために存在する場所なのだろう。


○○〇


もう随分と前から私は海で泳がなくなった。

海水がまとわりつくあの感じが好きではないし、中に何があるのかわからない場所へ入ることに恐怖を感じるからだ。

波でカラダが引っ張られるあの感じも好きではない。ボーっとしていたら暗い海の底へ引き摺り込まれて二度と戻って来れなくなりそうだから。


海はいつも私の側にあって、私は海を見ながら日常を過ごしている。海を見ると安心するし、海の音(波の音)を聞くと心が整う。

表面的にはキラキラと輝いてきれいな海の底に潜む闇の存在を知りつつも、海は私の生活の一部としてそこにあり続ける。


パリで暮らしていた時のように、また海が私から離れて遠い所へ行ってしまったらどうしよう。私の中に少しづつ溜まっていく暗い気持ちや悩み事を誰がどうやって取り去ってくれると言うのか。

海のない場所で平穏に暮らせる自信が、今の私にはまだない。


#わたしと海

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