みあんご!鎌倉と宮古島のサイキック
みんなのフォトギャラリーから、みあんご!が撮影した写真を選んで使ってくださったみなさんのノートをまとめています。ありがとうございます!
人は誰も生涯という海を旅している。航海の途中には、闇に包まれた夜もあるだろうし、何も見えない嵐の日もあるだろう。そんな長い海路に、灯台の明かりのように光りを灯したい。それが私の「海明」という名前の由来。
モノを書いて生きていく日々の記録。
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みあんご!(野原ミア)です。 1984年、群馬県生まれの蟹座O型。 現在は鎌倉と宮古島(沖縄県)を行ったり来たりして暮らしています。 人生の目的は何?人は地上に生まれる前に、今回の人生で経験したいことを自分で決めてやってきます。でも、生まれ落ちると多くの場合は忘れてしまう。そして人生の前半では、自分で決めてきたテーマはさておき、まずは社会に適合しようします。社会人としての常識を学んだり、他人に評価されようと頑張ったり。 そのまま生涯を終えることもあるけれど、近年生まれて
朝の一番集中力が高い時間にまず、文章を書く。誰のためでもなく、ただ自分が書きたいものを、書きたいままに。それをするのにnoteはちょうどいい場所だ。読者は私だけでいい。……いや、本音を言えば多くの人に読んで欲しいし、なんなら共感して欲しい。でもそれをゴールにはしない。私はただ気持ち良く書く、それだけ。 そんなふうにnoteを更新し続けていたら、とても調子が良い。それならばいつもはnoteを書く朝の時間に、書き直そうとしながら放置していた告知記事の手直しに取り組めばいいのでは
最近はまっている漫画は、丸岡九蔵先生の『陋巷酒家』。近未来が舞台のSF立ち呑み屋漫画なのだ。旧世界(今の我々の文明)が崩壊した大戦後。まだ紛争は続いていて、人工生物兵器も出没する。サイボーグ技術が発展しているから、失った体を機械で補うなんてことは当たり前。そんな時代の地方都市、崩雷繁盛駅の駅ビル地下7階にその立ち飲み屋はある。 店を切り盛りするのはきっぷのいい女将さん。そして店員の笑美ちゃん。笑美ちゃんはかつてバイト先で爆弾騒動に巻き込まれ大けがを負い、サイボーグ化して復活
何か書きたいことがあるとき、他の人が先に書いた資料を読み込んでおかなくちゃいけない、という気持ちになる。自分の考えだけでは浅はかだ。知識を補っておきたい。そして、その上でオリジナルのことを書きたい。いいや、オリジナルなことなんて書けないかもしれない。すでに書かれていることを違う言い回しで繰り返すだけかも。それでも、先に出された本を読み込まないと、なんだか不安。 ある意味では慎重で誠実。ライターの仕事として書くなら、まあそれは基本。でも、自分のための文章を書こうとしているとき
放置状態だったnoteを復活させてから2週間が経つようだ。noteに毎日向かい合うことには慣れてきた。一方で、アメブロを書く時間が減っているジレンマを感じてる。noteで書きたいこととアメブロで書きたいことは違う。書いているときの感覚も違う。noteは書きたいことをただぶつけてみる。アメブロで書くときは「どうしたら読みやすいか」を考えている。 大量の情報がスマホを通り過ぎて行く今、瞬間的に意味が伝わるものでないとあまり読んでもらえない。読んでもらえなくても書いていられさえす
外灯がともる頃、私の一日は始まる。第二文学部の最初の講義は六限だ。開講は夕方六時。それよりも少し早く、キャンパスに向かう。学食で腹ごしらえをするためだ。講義のある日の夕飯は学食で取ることにしている。なにしろ、安い。バランスもいい。今月のイチオシは「白いカレー」だそうだ。ご飯にホワイトシチューをかけたようなパンチのないそれをトレーに載せる。それから、ほうれん草に温泉卵が添えられた小鉢。最近の私のお気に入りだ。 レジの前に缶ビールが二、三本だけ並んでいる。夜間学部のある文学部の
「遠足の思い出」の作文を最後まで書き終えられたことがない。その日の朝、起きてから家を出るまでを書くだけで原稿用紙は5枚になる。授業中には書き終えられないから、休み時間もずっと書いてる。20枚くらい書いたところで「もういいよ、それで」とあきれた顔で先生が言う。まだ、お弁当を広げるところまでたどり着かない。 たくさん書けるのがいいことだ、と思っていた。みんなが2枚しか書かないなら、私は何十枚でも書いてやろう。結局、文集に掲載されたのは、20枚書いたうちの3枚分くらい。先生が選ん
書きたいことなんてないのに、書いていたくてたまらない。私は書くことに何を求めているのだろう。誰かからの賞賛か?自己承認欲求か?そういう欲求がないわけじゃない。でも根っこにある欲求は違うみたいだ。私は自分が書いたものが誰にも読まれなくってもきっと書き続ける。「書く」というその行為が好きなんだ。まとまりのつかない考えを掴まえて、言葉という形に落とし込む。それはちょっと狩りにも似ている。 書きたいけど書けない。そんなときに思い出す本がある。宇野千代の『行動することが生きることであ
親や先生や上司から認められて、怒られないようにする。友達に一目置かれて、なおかつ嫌われないようにする。それが行動の基準になってしまうと「自分は本当は何を望んでいるのか?」がわからなくなるというのはよくある話。そういうとき、他人の評価ではなく、自分が満足するかどうかで選ぶ練習をすることが大事……というアドバイスをしがちだ。他人軸ではなく、自分軸で生きる、だとか。 しかし、どんな欲望でもそれは実のところ「他人の欲望を真似しているだけに過ぎない」と言われたら、あなたはどう思うだろ
noteには「みんなのフォトギャラリー」という機能がある。自分が投稿した画像を提供すると、他の人もヘッダ画像として利用できる。note内のみで使えるフリー素材みたいな感じだね。 ミラーレス一眼カメラ(OLYMPUS E-M10 Mark III)を買った後、使い方に慣れようと写真散歩にしょっちゅう出掛けていた。大量に撮った写真。自分の記事だけでは使い切れないから、写真専用のマガジンを作って、みんなのフォトギャラリーにどんどん公開してみた。提供した写真は200枚以上。他のクリ
Webサービスのnoteは、紙やノートを連想させる「白」がブランドのイメージカラーとなっている。真っ白なノートを広げて自由に書き込んでいく感じ。ただ、この「真っ白」がプレッシャーになることもある。頭の中も真っ白になってしまって、どこから手をつけたらいいかわからなくなるのだ。途方に暮れながら真っ白い画面を見つめ続ける。とてもまぶしい。 iOS版、つまりiPhoneアプリ(バージョン6.0.0以降)には、2022年1月にダークモードが実装された。Webブラウザ版、Android
何も気負わず、いいことなんて書こうとせず、いやむしろただどうでもいいことを書いて出すことに慣れていきたい。ショート動画全盛の時代に、長文のテキストを書くなんて逆行しているかもしれないけれど、巡り巡って最後に求められるのはテキストになるような気がしている。ChatGPTもテキストがベースなわけだし。 2018年にこんなnoteを書いていた。まだライターとしてばりばり文章を書いていた頃だ。この中で私は、ライターの技能を6つに分けて紹介している。 「解説者」はもう、AIの方が優
書きたいことなんてないのに、なんで「書きたい」という想いばかりが募るのだろう?「物語を書いていきたい」という願望が、いつも人生をかき乱す。書くことなんてただの趣味にして、求められている他の仕事に熱中すればいいのに、そういうわけにいかないんだ。別の仕事をやっていると、なにか自分が「嘘のこと」をやっているような気がしてきてしまう。嘘の自分を演じているように。 書いて生きられるなら他のすべてを犠牲にしていいと願っていた。それは学生の頃。就職活動もせず、ただひたすらノートに文字を書
noteを書くのに躊躇する。長い文章を書くのは久しぶりだ。……いや、普段からアメブロでは2,000文字くらいいつも書いている。そこそこの分量だけれどアメブロで書くものは、私にとって「長文」ではない。 精神科に通院していた2018年。ショックだったのはあれほど好きだった活字が頭に入って来なくなったことだった。仕事のメールも、何が書いてあるのか理解できない。何度目で追って見ても、ちっとも頭に入ってきてくれない。 その頃、唯一の救いだったのは、いわゆるスピリチュアル系の人たちが
ビジネス書に書かれた成功法則は、著者にとってはうまくいく方法かもしれない。でもそれが、誰にでも当てはまるわけじゃない。 もちろん、数ある成功法則の中には、今の自分にぴったり合うものもあるはずだ。それをどうやってみつけたらいいのか? その解決策がロジャー・ハミルトン著『才能は開ける』に記されている。 カギとなる問いはこの2つ。 自分の才能は何か? 自分の経済状況はどのレベルにあるか? 才能にフォーカスを当てたものは「ウェルスダイナミクス」、経済状況のレベルを表すものは
広大なインターネットの海から打ち上げられた情報を収集してご紹介しています。随分間が空いてしまいましたが、通信第13号です。 バニラアイスのスパイスアレンジ初心者でも作れるスパイスカレーを教えてくれる、その名も印度カリー子さんのツイートより。辛党だけどこれは試してみたい。 印度カリー子さんの本は『ひとりぶんのスパイスカレー』が好き。……でも、まだ眺めているだけで作ってみてはいない。この夏はチャレンジしたいな、スパイスカレー。 先史時代の石の音色比較文学研究者、津田雅之氏のツ