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キャンパスの夜桜で独り花見をする

外灯がともる頃、私の一日は始まる。第二文学部の最初の講義は六限だ。開講は夕方六時。それよりも少し早く、キャンパスに向かう。学食で腹ごしらえをするためだ。講義のある日の夕飯は学食で取ることにしている。なにしろ、安い。バランスもいい。今月のイチオシは「白いカレー」だそうだ。ご飯にホワイトシチューをかけたようなパンチのないそれをトレーに載せる。それから、ほうれん草に温泉卵が添えられた小鉢。最近の私のお気に入りだ。

レジの前に缶ビールが二、三本だけ並んでいる。夜間学部のある文学部の学食にしか、アルコールは置いていないらしい。まだ講義の前だし、普通の学生にとって発泡酒じゃないビールは贅沢品だ。憧れつつも手を出せない。夜の学食で缶ビールを買うのはどんな人なのだろう。ひと息入れたい教授?はたまた仕事終わりの社会人学生?

卒業するまでに一度は、学食で缶ビールを買ってみたいと思っていた。それも、夜桜が映えるこんな季節には。でも、いつしかレジ前のビールは消えてしまった。キャンパスで酒を飲むことを禁ず。そういうルールに途中から変わったようだ。誰か何かやらかしたに違いない。

まあでも、一人で静かに飲む分には、そうそうとがめられないでしょう。大学4年になった春。近くのコンビニで缶ビールとゲソを買った。いつも飲んでる発泡酒じゃなくて、贅沢してちゃんとしたビールを。

研究棟の中庭でベンチに座り、プシュッと開ける。楽しみで気がせいて小走りだったから、よく泡が立つ。慌てて口をつける。七限が終わり、夜九時を回っている。キャンパスの奥に残っている学生は少ない。それでもたまに通り掛かる人影。こちらとなるべく眼を合わさないようにして、気まずそうに立ち去っていく。キャンパスの夜桜で独り花見をしている私は、きっとわりと不審者。まあ、いい。気にせず、花を見上げる。

風が強く吹くとまだ肌寒い。トレンチコートを着てきてよかった。生成りではなく、真っ白のこのコートが、研究者の白衣のようで気に入っている。風が吹くたび枝は大きく揺れ、花吹雪が空中で渦を巻く。研究棟……通称国連ビルにところどころ明かりが灯っている。まだ研究室に残っている先生や院生がいるのだろう。同じキャンパスにいながらも、学部生には気軽に立ち入れない場所。そこに当たり前のように通って、自分だけの研究を続ける選択もあったかもしれない。でもそれは、キャンパスの夜桜でひとり花見をしてみたいという程の憧れでしか、ないのかもしれない。

缶の底に残ったビールをズッとすする。さあて、あゆみ書房で文庫本でも買って、帰りますかね。

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