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仕分けの前の・・・お互いに成長可能なコミュニケーションを互いにあたえあおうよ。 知るで終わりにすることない・・・人間関係へ


9ボーダーなるドラマを見ていると
ホワイトハラスメントという私には新しい言葉との出会いがあった。

多分これから○○ハラスメントという名称の仕分けが多くなると予想される。
パワー
マタニティー
セクシャル
・・・・

ここで考えたいことはふたつ

ひとつは境界線。・

もう一つは姿勢。


その前に・・・私は、組織が持っていた人材育成的なシステム
(教える・おそわる)文化が停止・・減っていた状況が生まれていったのは・・・私たちの便利になった環境にあると考えている。そして現在の傾向である・・・個人主義の誤解による孤独的(コミュニケーションネットワークによる教える教わるという関係の欠如から生まれる状況)な関係が影響していると考えている。

個人主義的と言えば・・私たちは多くのことに自己責任的な部分が強くなってきている。
簡単に言ったらすべてのことは自分で責任を担うという感じのことが強くなってきている。

これはこれでよいこともあるのだけれども・・・・
ビジネスや文化的な背景ではそれらの文化をひきついてくれる人たちの育成も大切にしなければならない。ビジネスで言えば同然業務的資質資源の継承(スキル)。

さて一つの境界線。
どこからが・・・・ハラスメントに該当してしまうのか???
それは言葉であるのか?それとも・・・ことばではないのか???
それとも・・・・・

もし言葉とするならば・・・誤って…そんなつもりがないのに言葉を知らないために自分のなかにある思考や情報だけで安易にその言葉を発してしまったとしたら・・・それだけで罰せられてしまうのだろうか???

これらを許されるような関係や関わりなどのような和らげてくれるような境界線はあるのだろうか???


もう一つ。
武道をしているふっと思うことがある。
師が弟子に教える。
師はなんでも教えるわけではない。そして師は弟子の状況を観て教えていく。さらに師は弟子に教わる姿勢ができているのかも観察して問う。

何を言いたのかと言えば、
こんな古い言葉がある。

「教えるとは教わる事である。教わるとは教えることである。」

簡単に言ったらその姿勢ができているかということ。
そして会社や社会に教えやすい環境があるかということも考えられる。

どこか?今の現代は・・・・
50代、40代、30代、20代

こんな風に分類されて・・・それらのグループでつながる傾向が強かったりする。

理由は多分???楽だから・・・。

ドラマでも言われるように・・・おじさんたちグループは若者に目の敵にされやすかったりする笑。

若者たちはホワイトハラスメントと言っているけれども・・・・
多分おじさんやおばさんたちも・・・若者たちのおじさんハラスメントや
叔母さんハラスメント的なパワーにてんてこまいしていて・・・・

教えたいくとも教えられない・・・・=お節介とか??うざいとか??
そのような意味合いで片づけられてしまうから。

片方の側面からみた○○ハラスメントから何が見えるのか???
本当の○○ハラスメントなのか???それとも????
すべてをふっくるめて○○ハラスメントと簡単に片づけてしまっていたら・・・・

教わる側も教える側も機会を奪われてばかりで仕方がない。

そして奪われた状況から・・・
だれもがこのように考えていく。

「本人の責任」

私はそう考えたくない。そうおもいたくない。
なんでも教えてもらえるという思考も少し違うと思う。
その前に‥人とかかわる際の相手へ尊敬や尊重の姿勢を示せるのかということも人としてのエチケットとして大切なことだと私は考えている。

けれども私たちはどちらかといえば・・この大切な接するためのエチケットやマナーを忘れてしまっているようにも私には見受けられる。

例えば飲食店で「お金を払ったんだから何をやっても許されるという解釈の思考」「上司なんだから教える責任があるだろうと考える思考。(多分ある程度の業務スキルは誰もが教えるだろうけれども、本人に必要なこれからの伸ばせるようなスキルを襲われるのかは本人にもしかしたら委ねられているのかもしれない)」

私がここで伝えたいことは・・・・
ただひとつ・・・・
お互いがお互いにどのような関係であれば・・・・
お互いに程よい関係の中で・・・お互いが互いに求めるようなビジネススキルやメンタル的な成長につながるような関係を互いにあたえられるのだろうか???もし与えらえるとしたらどんな関係であったら・・・

このような・・・職場の空間や職場の人間たちとのつながりや・・・
その組織的文化背景のたいせつにしていきたりありたいことはなんであるのか?を改めて見直すことが大切ではないかということだ。

色んな理論やこれまでにはなかった造語や
いろんな見直しがこれからも生まれては消えていき・・・
新たに発見されてはみなされて‥‥改善…を努められるとき・・・・

私たちはそのような不確かな状況化にも
自分たちを見失うことなく・・・・
お互いに一つのことを向かって歩めるような状況を
私たちがもう少し考えなければならない時期に来ているのではないだろうか。

もう誰かが悪いとか・・・何かがいけないというところで終わりにすることはやめて・・・・そこからどうしたらいいのかを一緒に考えられるような社会的文化が増えるように・・・・





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