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検非違使別件 一 ①

検非違使別件  あらすじ


 刑罰権が検非違使にあることを示す儀式「着鈦ちゃくだまつりごと」の前日、看督長かどのおさである佐伯仁木緒にぎお泥蓮尼でいれんにを知る。
 翌日、儀式前に群衆の耳目を集める舞姫と笛吹童子が現れ、囚人の列から右京三条の藤原登任なりとうの邸で殺人放火の罪を犯したという、口の利けない荒彦が消えた。
 代わりに出現したのは、海賊として手配中の能原よしはらの門継かどつぐという極悪人。
 検非違使別当のみなもとの経成つねなりは厳罰主義をつらぬく「荒別当」の異名をとる男。
 脱獄を許してしまった仁木緒は窮地に……

「仕事熱心なことじゃな、獄舎の見回りか。佐伯さえきの仁木緒にぎお
 看督長かどのおさ(看守)佐伯仁木緒は背中に呼びかけられた。大内裏の東。陽明門の外に建っている検非違使庁に併設されている獄舎近くである。
 糸でつづられた木簡を五寸ほど開いた状態のまま振り返ると、きの成房なりふさがこちらへ近づいた。先輩の気安さで仁木緒の手もとをのぞきこむ。

「ほう、これは囚人過状しゅうじんかじょうではないか。あらかじめ目を通して、儀式前に獄囚の顔と名前を把握しておこうというのか。感心感心」
「はあ、明日はいよいよ着鈦ちゃくだまつりごとですから」
 上背のある体を前かがみにして、木簡に記された囚人の名と罪状に目を細めていた姿を観察されていたのか。仁木緒は少々バツが悪い気分になった。
「わしのように検非違使庁に勤めて十年ともなれば、五月と十二月の年に二回行われる儀式に慣れたつもりではあるが、やはり緊張する。なにしろ着鈦ちゃくだまつりごととは、刑罰権が検非違使にあることを示す重大な儀式であるからな。……衛門府の衛士と検非違使庁看督長かどのおさを兼務して、仁木緒はそろそろ」
「二年になります」
「父上の周宜ちかのぶどのはお元気か?」
「酒が原因で倒れて以来、左半身が不自由だというのに、いまだ酒が断てぬ困った頑固者で……。気力だけは衰えず、毎朝、鉾や剣の稽古に付き合わされております」「それはそれで気が気ではないな」
「勤めを退いたのですから、のんびり土いじりでもしてくれれば良いのですが」
「はは、武勇自慢の看督長であった周宜どのには、わしも若年のころ、こってり絞られたものじゃ。なかなか大人しくはなるまいよ。しかし、その倅と獄舎を見回るとは思ってもおらなんだがのう」
 肩を並べて歩くうち、イチイの木の影の中に入った。
 その木の根元近くには石を円筒形に積んだ井戸があった。

 かつて検非違使別当べっとう(長官)が藤原実資さねすけであったころ、獄囚たちの渇きを癒すために掘られた井戸だが、地下水脈はすでに枯れている。

 半分土砂で埋まってしまい、深さは人がすっぽり入る程度である。夏には底に貯まった雨水にぼうふらが湧くものの、獄囚たちにとっていまだ貴重な水源には違いなかった。うわ水をこして一度沸騰させ、白湯にしたものを看督長たちが獄囚たちにあたえているのだ。

「この枯れ井戸をいずれ埋めて、別の場所に井戸を掘るべきだという声もあるが……いつになることやら」
 枯れ井戸を横目でながめてつぶやく紀成房に、仁木緒もうなずいた。
「獄舎も修繕せねばなりますまい」
 イチイの木の枝が獄舎に影を落としている。
 その躯体は粗末なものだった。地面に太い柱をたてて組まれた壁板には雨じみが浮き、ひびが入って大きく穴が開いている部分もある。屋根の一部は崩れ、軒に雑草が盛大に芽吹いていた。

 そこで歩を止めた。紀成房にわき腹を肘でつつかれ、木簡から目を上げて仁木緒はその人々に視線を投げた。

 左獄ひだりのひとやの手前では一人の尼僧を四つの人影が囲んでいる。烏帽子をかぶらず頭に包帯をしている男とその付き添いの太った色の白い女、手首に数珠を巻き付けた老爺は少女を連れていた。
 人々は尼僧にかしずく姿勢で口々に礼を述べているのだった。
「あのときいただいたお薬で、夫の傷がふさがりました。収穫までには全快するでしょう」
 色白の肥えた女が甲高い声を出せば、老人も少女の頭をなでて笑顔を浮かべる。
「ご祈祷とお薬のおかげで、この子も熱が下がりましてございます」
「……泥蓮尼でいれんにさま、ありがとうございます」
「いえ、みなさまの日ごろの信心が御仏に通じたのですよ。わたくしは何も」
 控えめに微笑む尼僧の横顔はまだ若く、鈴のように大きな目が印象的だった。鼻筋が通り、ぼってりと唇は厚い。白い尼僧頭巾で頭部を覆い、墨染の法衣が風を受けてふくらむさまは、化粧っけがない泥蓮尼でいれんにをさわやかに際立たせた。
「すべては御仏のお導きですわ」
 尼僧は経を唱えながら歩き出した。その後ろ姿に四人が合掌して頭を下げる。

 紀成房と仁木緒の脇を抜けたとき、ふと尼僧が歩を止めた。自然でささいな会釈にすぎぬ風情だったが、その一瞬、泥蓮尼が左獄ひだりのひとやへただならぬ視線を投げたのを仁木緒は感じ取った。

 思わず仁木緒は尼僧を凝視した。その気配で泥蓮尼がこちらに顔を向ける。
 仁木緒と目が合った。なぜか、胸に衝撃を受けた。身じろぎもできなかった。
 すぐ尼僧は取り繕うように合掌し、改めて会釈してから通り過ぎてゆく。

 大内裏ですら芸人や物乞いが侵入するのだから、区画外の検非違使庁付近なら固く炊いた飯を卵型に握った屯食とんじきや酒、惣菜を売り歩く商人が出入りすることもあれば、物見高く獄舎に近づく悪童もいる。

 だから、仏の教えを説こうと仏門の帰依者がこのあたりを歩くのは、さして珍しくはない。

 尼僧が辻を曲がって見えなくなるまで、老人たちは首(こうべ)をたれて合掌していた。
「その方ら、いまの尼僧は何者だ」
 四人に問いかけた。
 退紅たいこう色の狩衣に袴、そして白杖、藁沓を「異形」と恐れられている検非違使庁の看督長に声をかけられたせいで、彼らはにわかに表情を固くした。
 頭に包帯を巻いた男は鼻に小豆大のほくろがあり、年頃は三十半ば。連れの女はよく肥えていて、目じりのたれた愛嬌のある顔をしていた。
 少女を連れた老人は白髪を烏帽子に包んでおり、つぎの当たった柿渋色の小袖をまとい、手首に巻いた数珠には質素で善良そうな人柄がにじみ出ていた。肩影にいる少女は薄いそばかすが散っているものの、ちんまりときれいな顔立ちをしており、十歳くらいに見えた。
 老人が重々しく数珠をまさぐりながら口を開いた。
「泥蓮尼さまとおっしゃいまして、薬草の調合やご祈祷などがお詳しい方でございます」
「どこの寺に住まっているのだ」
「……さあ、それは存じません」
 四人は身じろぎをして一礼すると、そそくさと散っていった。

 仁木緒はすでに泥蓮尼が消えた辻の方向に視線を投げた。少しぼうぜんとした口ぶりで紀成房につぶやいた。
「あの若さで祈祷と薬草に詳しい尼僧であれば、これまで見かけぬはずはないと思うのですが……。成房どのはご存じでしたか? おなごのことなら詳しいかと」
「酔客のそばにはべる酒房の女ならいざ知らず……。尼僧は専門外じゃ。しかも、泥蓮尼とは初めて聞く法名。だが、仁木緒」
 紀成房が咳払いし、仁木緒の肩をぽんと叩いた。
「いかに風情の良い女であっても仏門におられるお方だ。懸想しては罰が当たる。身の破滅ぞ」
「いえ、まさか、そのようなことは」
 自分の素振りを誤解している紀成房に、言い訳するのも不自然に思えた。なにより泥蓮尼のまなざしがただならぬ気配であったと訴えたところで、説明が上手く通じるとは思えない。尼僧に一目ぼれしたのだという誤解を確信に変えるだけだろう。

 いや、むしろこれは一目ぼれなのだろうか? などと思い返して仁木緒は照れくさくなった。烏帽子に手をやって強く頭を振り、すぐきっぱりとして木簡をつかみ直した。
「なんでもありません。獄舎を見回ります」

 仁木緒はひさしの深い左獄ひだりのひとやの闇の中へと足を踏み入れた。
「明日の儀式では、ここから三条南西洞院東にある検非違使別当(長官)、源経成つねなりさまのやしき門前まで行列を組むことになりましょうな」
「うむ」
 二人はそのまま広い土間を進んだ。
 森の中の洞窟を思わせる暗さがそこここにたゆたっていた。低い屋根の破れ目から風が入って、よどんだ空気をわずかにかき混ぜている。
 左右は格子をはめた牢となっていて、囚人たちはその中でむきだしの土の上にゴザを敷いて横になっていたり、どこから手に入れたのか板を敷いて無気力に座り込んでいたりした。大雨が降ると雨水が獄内に流れ込むため、獄舎の闇はカビの匂いをまとっていた。
 そこには裁定を待つ未決囚も徒刑囚も、流刑が確定して執行を待つ罪人も、すべて一緒に収容されているのだった。

「賭博の罪、石見丸……僧の永青」

 囚人過状しゅうじんかじょうの木簡を読み上げ、相手の顔を確認しておこうと仁木緒は格子戸をのぞきこむ。だが、そんな生真面目さを疎んじるように、どの囚人たちも返事すら大儀そうだった。

「それくらいでよかろう。どうせ顔と名を覚えようが忘れようが、脱獄さえなければよいのだから」
 紀成房があくびをかみ殺す。

 前方の独房で「おい、聞いているのかっ」という怒声があがる。仁木緒と紀成房が顔を見合わせた。
「何事ですか」
 駆け寄ると、同僚の石川彦虫いしかわのひこむしが格子戸の奥でうずくまっている囚人に、つばを飛ばしていた。
「おのれ、荒彦あらひこめ! わしを愚弄しやがってッ」
 いまにも格子戸を開き、牢内へ躍り込んで囚人を殴りつけかねぬ剣幕である。
 あわてて石川彦虫の肩を仁木緒が押さえた。紀成房が石川彦虫をなだめているあいだ、仁木緒は牢内の暗闇に目をすがめた。
「おい、荒彦とはお前か?」
「………う」
 ただでさえ陽が差さぬ獄舎である。
 膝をかかえてあごを胸に押し付けている姿勢の荒彦は乱れた髪が顔にかかり、容貌は見えない。だが、まだ年若いことがその細い体格からうかがえた。
 手もとの木簡を屋根の破れ目からもれるわずかな日差しにさらし、囚人の名を読み取った。
「荒彦……先月、従四位下の官位を持つ前陸奥守さきのむつのかみ、藤原登任なりとうさまの邸に付け火、仕えていた女を殺害……。邸を護る家司けいし伴家継とものいえつぐに捕らえられ、検非違使庁に送られた……。本当か?」
 暗がりでうずくまる華奢な男が、そんな大罪を犯したとは信じられなかった。
 罪状が読み上げられた瞬間、荒彦が跳ね起きた。
 突進して格子をつかむなり、のどが引きつったようなわめき声をあげる。獣の断末魔に似た声とその勢いに、仁木緒は一歩後退し、思わず脇にはさんでいた白杖を構えた。だが、荒彦の力は格子を揺り動かすばかりで声は言葉にはならず、獣のうなりでしかない。
「こやつは、一度としてまともな言葉を発せぬのじゃ」
 あぜんとしている仁木緒に紀成房が吐息をついた。石川彦虫はまだ荒彦への憤懣が収まらぬらしく、肩を怒らせている。
「獄囚どもから殴る蹴るの暴行を受けておったから、わしが救ってこの独房へ隔離してやったのだ。一言礼を申せと命じたのに、こやつは泥の固まりを投げつけおったッ」
 見れば石川彦虫の衣の胸のあたりがべっとりと汚れていた。
「荒彦は木簡にも記載されているように、藤原登任さまの邸の者が捕らえて検非違使庁に引き渡されたはず。問いただしても獄舎へ入れても、抗弁一つできなかった男じゃ。まともに口がきけぬ相手に、礼を述べよと命じても仕方がなかろう」
「両手をついて頭を深く下げるとか、手を合わせるとか、礼のしぐさならできようものを!」
「荒彦……か。荒々しい名前の割に、ひ弱げな若い男……」
 仁木緒はきな臭い表情で石川彦虫をながめた。
 いまでこそ看督長として検非違使庁につとめているが、ごく若いころは僧院で稚児をしていた石川彦虫である。僧侶たちから男色の手ほどきを受け、以来その嗜好があることは同僚たちで知らぬ者はいない。
「まさか、荒彦に恩を売り、その見返りに肌身を要求したというわけではないでしょうね」
 仁木緒と紀成房の二人からとがめる視線を受けて、石川彦虫はさすがに居心地が悪そうに眉間を歪める。それは一瞬で、すかさずふてぶてしく薄笑いを浮かべて首根を叩いた。
「ばかを申せ。いかにこやつがわし好みでも、恐ろしい罪を犯した荒彦を稚児にするわけがあるまい」
「明日は儀式で荒彦に足枷がつけられる手はずになっております。くれぐれも粗相のないようお願いします」
 自分より若年の仁木緒から小言を言われたことにカッとなり、石川彦虫は「何を生意気な」と傲然とつかみかかってきた。その手首を仁木緒は迷惑そうに押しのける。
 すかさず石川彦虫が憎まれ口を叩いた。
「いばるなよ、仁木緒! おぬしの佐伯など斜陽の一族ではないか!」
「なにをッ」
 石川彦虫の一方的な侮蔑の言葉に、仁木緒の頭にも血がのぼった。相手の手首をねじって足払いをかけ、その場にドッと横転させる。
「もういっぺん言ってみろ! 斜陽とは聞き捨てならんッ!」
 尻餅をついた姿勢で石川彦虫がぎろりとにらみあげてきた。ふてくされ、その場であぐらをかいて顔をそむける。
「斜陽を斜陽と申して何が悪い!」
「よせ、二人とも」あわてて紀成房が割って入った。「囚人どもにあざけられるぞ」
「しかし、いまの言葉は許せませんッ。おれ一人のことならがまんもしますが、一族を侮辱されたのです! だいたい斜陽と言うなら、石川とて同じではありませんかッ」
「ふん、その生真面目さが小面憎いのよ」
 埃をはらって立ち上がり、石川彦虫は背を向けた。
「どうせ出世などあり得ぬ世の中じゃ。せいぜい励むがいいさ」
 捨て台詞を残し、獄舎から出ていった。
「彦虫は誰に対してもああいう男だ。仁木緒、明日は儀式ではないか。押さえろ」
 紀成房になだめられたが、容易に怒りは冷めなかった。

 皇族から臣籍にくだった平氏や源氏より、佐伯は古い一族だ。もともと讃岐(さぬきの)国造(くにのみやつこ)の系譜を持ち、いにしえから伴(とも)氏とともに佐伯一族は武をもって帝に仕えてきた。
 天平から延暦、つまり聖武から桓武まで六人の帝に仕えた有能な官僚であり、東大寺造営に力をつくした佐伯今毛人さえきのいまえみし。そして弘法大師空海が佐伯一族から出て以来、有能な人材は出ていない。

 石川彦虫が「斜陽」と指摘した通りなのである。

 もっとも、それは佐伯に限ったことではない。いまや出身の一族が「藤原」でなければ、どうがんばったところで位階を上げてもらうこともできぬ現状だった。
(おのれ……石川彦虫め。あいつにだけは負けるものか)
 仁木緒は改めて誓った。

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