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検非違使別件 三 ⑤

 検非違使庁で詰め所として使われている曹司ぞうしへ入ると、普段の呑気さを忘れたかのようにせかせかと紀成房が近づいてきた。
「仁木緒、本日の儀式について、どう申し開きするか口裏を合わせておかねばならんぞ」
「はい、能原門継を荒彦として足枷をつけた件について、あの場で有綱さまにも口頭で伝えましたが、正式な解文げぶみを差し上げるつもりです」
 おのれの職務に関する釈明である。一介の看督長・佐伯仁木緒が上流貴族である検非違使庁の長官と直に顔を合わせて言葉を交わすなどあり得ない。解文を上役の尉・藤原有綱が受け付けて、佐と協議してから別当の源経成へ届け出されるはずだ。
「なんと書きつづるつもりじゃ」
「はあ、ありのままに……」
 文机にむかい、墨をすったものの下書き用の木簡を前にして筆をとったまま当惑した。どうまとめればいいのだろう。

 獄舎前にある枯れ井戸付近に整列させたとき、荒彦は確かにそこにいた。多くの野次馬が囚人の列を囲んでいた。そういう人出を当て込んで、水や食べ物を売る行商人もいたし、琵琶芸人もいた。笛が奏でられたとしても、そういう芸人の一人だろうとしか、あのときは思わなかった。
 そして異国の舞姫を思わせる女が現れた。
 あの衣装の長い袖が風に吹き流され、囚人たちの列を覆ったのだ。
 袖と袖の隙間からのぞいた笛を見て、てっきりそこに隠れているのは笛吹き童子と思い込んだ。だが、それが荒彦だったにちがいない。荒彦はそのまま、舞姫の「さゆり」と共に去ってしまったのだ。
 代わりに、大凶賊・能原門継を残して。
 やむなく荒彦が抜けた位置に能原門継を加えて、儀式にのぞんだのである。

 出来事を箇条書きにして読み返してみれば、絵空事のように思えた。
 荒彦脱獄を許した責任逃れ、言い訳にしても稚拙過ぎると一蹴されかねない。むしろ、儀式をないがしろにした不遜な態度を処罰されかねなかった。
(おのれ、あの舞姫め)
 怒りをかきたてる一方で、まんまと荒彦脱獄をやってのけた舞姫のさゆりに感嘆の念がわく。よくも見事に荒彦を連れ去ったものだ。
 袖布が吹き流されたとあのときは思ったが、あれだけの舞の上手である。おのれの意志で袖布を操ったにちがいない。
 紀成房をかばわねば……という義務感もあった。
「能原門継を荒彦の身代わりとして儀式に使おうと、成房どのが提案したことは伏せておきます」
 ひそひそと仁木緒は言ったが、紀成房は大げさなほど首を大きく横に振った。
「いや、それはいかん。ありのまま書くと申したではないか。解文を出すとき、わしも同行して口添えするのだから、ありのままでよい、ありのままで」
 躊躇する仁木緒の手から筆を取ると、紀成房は木簡のすみに「紀成房、能原門継を荒彦の身代わりをすすめる」の一文を書き入れた。
 そのときふと、石川彦虫の名前も入れるべきだと気づいた。紀成房の提案をなかったことにして自身だけが責を負うのであれば、その場にいた石川彦虫の存在も無視するつもりだった。だが、解文に紀成房の名を入れるのであれば、石川彦虫の言動も書き加えねば公平ではない。
「石川どのの後押しがあったことも記しておきましょう」
「うむ、こうした解文が出されることは石川彦虫も予想しているはず。三人の連名にすれば上役方もご理解くださるだろう」
 紀成房の名の隣に「石川彦虫」と記入した。
 貴重な紙に書き損じがあってはならない。下書きの木簡を見なおしてから、案主から和紙をもらい受け、解文を清書しはじめた。
 墨が乾くまで、仁木緒は改めて文面に目を落とした。
 この内容で上役に納得してもらえるだろうか?
 荒彦の脱獄と、その身代わりに能原門継を儀式に出した件。
 囚人たちが獄へ戻したおりの騒乱では、野次馬たちに怪我人は出なかった。傷ついて血を流したのは、石見丸から一方的に頭突きを食らった能原門継一人だ。
 稲若という子どもが列を乱したとはいえ、投獄はむごいと思う。なによりも、あの三人を引き離さず同じ左獄ひだりのひとやの集団房につながねばならなかったことに危険を感じている。
 だが、半年前の火事で右獄みぎのひとやが全焼し、いまだ右獄舎は再建されていない有様だ。
 即刻あの極悪人を隔離するためにも、能原門継が荒彦であるという欺瞞を正さねばならない。
(さゆりというあの舞姫は何者なのだろう……)
 清書した解文の墨が乾いたのを指先で確かめてから、丁寧に折りたたんだ。
 強い酒か薬で意識が混濁していたらしい能原門継は、自分が検非違使に捕らえられていることに気づくなり叫んだ。
……はめられたのだ、あのアマはどこじゃ……
 アマとは女のことに違いない。ということは、舞姫本人が酒などで能原門継の自由を奪い、枯れ井戸に出現させたのだと察せられた。

(衣装の長い袖で荒彦をくるむのはたやすい。だが、いかにして、大男の能原門継をあの場に出現させたのか……)
 とにかく、いまは尉の藤原有綱へ解文を届けねばならない。
 仁木緒が立ち上がって曹司を出ると、紀成房がひょうひょうとした足取りで肩を並べてきた。
「有綱さまに事前にお知らせしていたとは手際のよいことじゃな。しかし仁木緒、いつもなら儀式がつつがなく終了した打ち上げに、みなで酒房へ行き、女たちとたわむれるところなのだが……。厄介ごとが長引けば酒どころではないな。わしを待つ女たちが寂しがるだろう」
 残念だ、と肩を落とす紀成房を仁木緒はなぐさめた。
「いずれ機会がありますよ。もし気が進まぬのであれば、解文の提出はわたし一人で」
「いやなに、実はおぬしに紹介しようと思っていた女が五人ばかりおってな」
「は?」
「坂月屋のしほ、みちとせ、かなほ。多宵屋のまなめ、叶堂のみやほ、きじこ……」
 指折り数えてみた。
「六人ではありませんか」
「お、そうであった。ははは、これらのおなごはみな酒房での客あしらいもよく、顔はまあまあ、胸も腰もむっちりと豊かで、もち肌じゃ。仕事柄、多くの男たちと恋文をやり取りするのだが、一生を託せる男はおらぬと愚痴を申す。で、口説くついでにおぬしのことをほのめかしてみたのだよ」
「全員に?」
 イヤな予感がした。思わず仁木緒は腕組みし、紀成房からわずかに身を引いた。
(このクセさえなければ、良い御仁なのだが……)
 仕事のことでも問題を抱えているのだ。たとえ気楽に付き合える酒房の女であっても、面倒な色恋など御免こうむりたい。だが、紀成房という先輩は、同時進行させている複数の恋愛を成就させるついでに、他人を巻き込む奇癖がある。
 それでも、おぼろげに顔を記憶している酒房の女たちに自分をどう吹き込んだのか、仁木緒は気になった。
「それで、わたしのことをどうおっしゃったのです?」
 生真面目で面白味のない男、とでもほのめかしたのだろう。そう予想はつくものの、気になることを確かめずにはおけない気性である。
「綿小路はずれに庄を持つ刀禰とね(小領主)で、衛士であり看督長。病父がいる独り身の若い男。今度酒房に連れてきてやる代わりに、一夜わしと臥所を共にせぬかと持ち掛けた」
「六人全員に?」
「うむ、みな公平に扱うのがわしの流儀じゃ」
「それで、釣れましたか?」
 女たちが紀成房の口車に乗るとは思えなかったが、これから解文を提出し、気が重い弁疏へおもむこうとしている矢先である。手段を選ばぬ漁色のエサに使われたことに腹が立つより、妙に感心してしまった。こんなやりとりでもしなければ、憂鬱でやりきれない。
「首尾はともかくとして、みなよい女じゃぞ」
 はっはっはっと顔をあおむける紀成房に苦笑を返したとき、獄舎の方向からばたばたと人が走って来た。春駒丸という名の放免である。
 庭の砂地に腰をかがめるなり、口早に告げた。
「紀さま、佐伯さま、左獄にて石見丸が刺されましたッ」
「なにッ」
「稲若と申す子どもにちょっかいを出した荒彦と石見丸が争い、荒彦が隠し持っていた先の尖った杭で石見丸が腹を一突きにされたのですッ」
 春駒丸が言う「荒彦」とは能原門継のことである。
 言葉が終わるまでに、仁木緒は沓脱石に並べてあった藁沓に足を入れている。紀成房もあわてて後を追った。獄舎へと急ぎながら、二人の看督長は春駒丸の言葉を聞いた。
「いま荒彦は獄舎にて稲若を人質に取っております……ッ」

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