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検非違使別件 二 ④


 それまで夢見心地であったらしい能原門継は頭をぶるっと震わせて、全身を強張らせた。信じられぬように周囲を見回した。すぐそばで自分を拘束している縄をつかむ仁木緒に気づくと、あごを引いてにらみつけた。
「おい、これはどういうことだ……ッ。お前は何ヤツじゃッ」
 わめくなり、野次馬たちが指さしてドッと嘲笑した。
「罪人が愚かなことを聞いてやがる」
「狐狸にだまされたようなツラをしやがって」
 野次馬たちを「うるさい!」と怒鳴りつけ、能原門継が肩をゆすって仁木緒に向き直る。
「ここはどこだッ。いつ、おれが捕らえらえたのだ……ッ」
「黙れ!」
 叱責したものの不正なことをしているという引け目から、仁木緒の声は冴えなかった。
 それでも、能原門継のような男はいずれ捕らえるか斬られなければならぬのだから、荒彦の身代わりとはいえ儀式の場に連行できたのは正当なことなのだ、と自分に言い聞かせる。
「検非違使の儀式だ。神妙にしろ」
「け、けびいしだと……ッ? くそぉッ。はめられた! わしははめられたのだッ、あのアマはどこじゃッ」
 能原門継が吠える。
(こいつ、女に一服盛られたか……?)
 問いただしたいのを、仁木緒はぐっとこらえた。
 鉄の枷を用意して待機している紀成房のもとへと、仁木緒が五人の囚人たちを先導する。囚人の両脇に放免たちがいて、行列は物々しい。石川彦虫もまた同じく五人の囚人たちと放免で構成された列を引き連れていた。二列は広場中央で一度鉢合わせになり、体の向きを変えた。幄舎を正面にして、整列した。
 石英が輝く砂を踏んだまま、仁木緒は石川彦虫と肩を並べた。
「これより着鈦の政を執り行う」
 儀式の宣言をしたのは「荒別当あらべっとう」と異名を取る源経成ではない。右衛門権佐うえもんのごんのすけ・藤原隆方だ。
 佐の宣言を受けて、罪状を仁木緒が読み上げた。
「この者、従四位下の官位を持つ前陸奥守さきのむつのかみ、藤原登任なりとうさまの邸に付け火し、仕えていた雑仕女を殺害せし荒彦なり」
「ちがう……ッ。わしは荒彦などではないッ!」
 能原門継が半身を大きく震わせて足を踏み鳴らした。縄をつかんで押しとどめながら、仁木緒の中で何かが弾けた。脱獄者と極悪人を入れ替えた引け目が、瞬間、消し飛んだ。
「ではここで、自分が何者か言ってのけろ」
 思わず挑戦的にささやいていた。目と目が合い、ぎくりと能原門継が身じろぎする。
 仁木緒の記憶によれば、能原門継の最新の犯罪は淀川の船着き場を荒らしたことだ。配下の者たちと共に前伊予守さきのいよのかみの船荷を奪い、船頭や水夫らを殺傷。逃亡している。
 手元の木簡に記された荒彦の罪状も重いが、そこにはない能原門継の罪もまた、深刻である。
 それをいまここで、自分の口から吐くがいい。
 仁木緒は真実、そう思った。能原門継は口をつぐみ、視線を逸らしてふてぶてしく鼻孔をふくらませる。
「死罪のところ庁例によって遠流おんるに処す。それまで獄に投じよ」
 判決が右衛門権佐、藤原隆方によって言い渡された。
「……流罪か……ふん、悪くねえや」
 髭を割ってべろりと舌をのぞかせた能原門継がせせら笑う。さすがにムッとなり、仁木緒は
「お待ちを」
 藤原隆方へ片手をあげた。脱獄を許してしまった自分の咎を暴露し、ここで能原門継に真実の罪科を白状させてやろうと腹をくくった。そうすれば言い出した紀成房には罪は及ばず、石川彦虫のせせら笑いをはねつけられる。
 だが、藤原隆方は眉間にしわをきざんで首を横にふる。儀式の進行をさまたげるな、という意味だ。
(くそ……)
 決意を固めていただけに、出鼻をくじかれて仁木緒は煮え湯を飲んだ気分になった。
 放免の一人が能原門継の肩を押さえる。ふてぶてしく居直った能原門継はほとんど抵抗もしない。そのまま地面に腹ばいの姿勢をとる。
 いらだちを抱えながら、仁木緒は小刀を抜いた。極悪人の衣、袴をそれぞれ三か所切り裂いた。布地が裂ける音がしたが、能原門継は動じる気配もない。憎まれ口を叩いた。
「つまらねえ儀式だな。隙間風を入れやがって」
 放免が竹製の笞を手にして進み出ると、地面に押さえつけられた囚人の衣や体の脇の地面を打った。打撃と呼ぶには軽い形式的なもので、十度ごとに白羽の矢を囚人の頭のそばに置くことになっている。やがて四本の矢が地面にそろった。
「例によってかなぎたまへ」
 命令を受けた紀成房が、かなぎを仁木緒に手渡す。左右の足首をつなぐ鎖がついた枷である。
 こいつをおののかせ、いままでやってきた罪を自覚させたい。
 もし能原門継が震えるか、神仏に祈るか、許しを乞うつぶやきでももらせば、仁木緒は自分の不正とごまかしを恥じたかもしれない。だが、脱獄者の身代わりにされようが、足枷をつけられようが、能原門継にとってたいしたことではないらしかった。ゆっくり首を左右に揺らして、にやりにやりと笑う表情は、人であることすら捨てた悪鬼そのものだ。
 能原門継の足首に鎖のついた枷をはめることに、もはや仁木緒は心の痛痒を感じなかった。
 儀式が進行してゆく。
「布十五反を盗んだ波丸。本来、死罪に該当する罪であるが、十五反以下は流刑にすべしという検非違使庁の庁例によって流刑が執り行われる。それまで獄につなぐ」
「賭博の罪によって捕縛された雉彦、石見丸の両名とも、庁例によって獄につなぎ懲役場にて労役につかせる」
「杖を武器にして人を傷つけた宮木童子。人の命を奪ったわけではないため、これも庁例によって流刑が執り行われるまで獄につなぐ」
 囚人一人ずつが放免に押さえつけられ、衣と袴をそれぞれ三か所切り裂かれる。地面に引き据えられて笞で形式的に打たれるのだった。一人の囚人に四本の矢がそろうと、足首に鉄の枷をつけられた。
「死罪がない、とはいえ投獄されればそこで命を落とす者も少なくないぞ」
 仁木緒は能原門継だけに聞こえるよう、声をひそめた。
「日も差さぬ獄では食事などほとんどあたえられず、病になっても医者の往診はおろか薬など手に入らぬ。都の路地の清掃や溝の修理といった懲役に駆り出され、お前たちはへとへとに疲れきって獄へ戻される毎日だ。おれたちからお情けで一椀の粥をもらうか、懲役場で落ちている野菜の切れ端などをふところに隠し、獄舎でそれを奪い合って飢えをしのぐ。投獄そのものが命を落としかねぬ処罰なのだぞ」
「ざまをみろ、と言いてえのか」
 能原門継はぎろりとした目を向けた。口には嘲笑がにじんでいる。
「荒彦などとおれを呼んだが、貴様はおれが何者なのか、よく知っているようだな。ついでに名乗ったらどうじゃ」
「佐伯仁木緒だ」
「そうか、よく覚えておくぜ。看督長」
 二人はにらみ合った。
 囚人が地面に引き据えられるときのもみあいと、笞で地面が打たれる物音、カチャリカチャリと足枷がかけられてゆく作業の中で、野次馬たちは勝手気ままな声をあげた。
「おお、都を騒がせた山吹童子か」
「ほほう、破戒僧の永青が捕まっておったとはな」
「枷がつけられて性根がなおるかのう。どれ餅菓子でも食いながら罪人どもの泣きっ面を拝もうか」
「賭博者の成れの果てじゃ。ああはなるまいぞ」
「水をいれた竹筒をくれ。ふてぶてしい罪人どもに罵声を浴びせすぎて、のどが渇いたわい」
 物見高いざわめきや吐息、嘲笑。人出に当て込んで鮒の甘露煮や餅などを売りつける物売りの声が入り混じる。
 石川彦虫の組も同じように囚人の名と罪状が述べられ、やがてすべての罪人に着鈦ちゃくだが成された。
 仁木緒が報告した。
犯人ぼんにんらに着鈦ちゃくだを給わり終わりました」
 犯罪行為をした人物をさして「犯人ぼんにん」と呼ぶのはこのころである。
 囚人たちの反応はさまざまだった。足枷をつけられて刑が決まった緊張にたえきれず失神した者もいれば、おのれの自由が奪われたというのに、ふてぶてしく口の端を歪めて欠伸をしている者もいた。
 すべての囚人に足枷がつけられたかどうか、尉・藤原有綱ありつなが確認のために列に近づく。囚人と看督長や放免たちの間を縫うように歩いた。
 充分に藤原有綱が近づくのを待って、仁木緒は低く声をかけた。
「藤原さま、この男は荒彦ではありません。能原門継でございます。入獄させたうえで、事の次第をご説明いたします」
「うむ……?」
 ふてぶてしい髭面の男をのぞきこみ、ハッと呼吸を止めて「おお、まさしく能原門継……」と藤原有綱は目を見開いた。
「な、なんと……とんでもない極悪人が……。だが、こやつが捕縛されていたのなら、わしが知らぬわけがない」
 やはりこれはおれ一人の責任だ。冷や汗を浮かべる一方で、仁木緒は開き直っている。
「今は儀式の最中ゆえ、この者にくわしく問いただすことはできません」
「うむ。別当さまにもおしらせしておく」
 一斤染めの衣のすそをひるがえし、そそくさと藤原有綱は幄舎あくやへと戻っていった。
 上座にいる別当の源経成に一礼してから、藤原有綱は佐・藤原隆方に「万事とどこおりなし」と手続き通りの言葉を述べた。それを受けて藤原隆方が「本禁に候ぜしめよ」という命令を出す。
「これから獄へ戻るぞ」仁木緒は能原門継の肩に回った縄をつかんだ。「逃げられると思うなよ」
「荒彦は逃げたろ? そうじゃねえのか」
 せせら笑いにムッと仁木緒は口を引き結んだ。
 足首には鎖がつけられ、縄は肩で一巡して囚人たちの手首をみぞおちの位置で拘束している。放免や看督長らに挟まれて、陰鬱な足取りで囚人たちの列が移動を始めた。
 儀式化された着鈦の政で抵抗する囚人はほとんどいない。それまでの獄中生活で気力体力ともに消耗しているせいだ。
 鎖のついた足枷から、列になった囚人たちの一歩ごとに、ガシャリガシャリと金属音が響く。
 野次馬たちが見守る中を列が進んだ。物を投げつける群衆はいなかったが、聞えよがしに罪人をののしる声や指さして嘲笑する者もいる。
 そんな人々の群れを割って、小さな人影が転がり出た。
 やせ細った子どもだった。みすぼらしく汚れたボロをまとい、荒縄を帯にしている。跳びはねるような足取りで囚人の列をうかがい、そのうちの一人に付きまとった。
 仁木緒がつきそっている能原門継の二人前の囚人で、賭博の罪を犯した石見丸という男だった。
「石見丸! おいらだよ! 稲若だよ! 川でおぼれたところを助けてくれたろ。今度はおいらがあんたを助ける番だ!」
 叫ぶなりふところから小刀をつかみ上げ、振り上げた。囚人を拘束している縄に斬りつける。刃は届かず、即座に放免の一人によって稲若が捕まった。手首を棒で叩かれて、小刀が落ちる。そのまま邪慳に押しのけられ、稲若は野次馬たちの足元に転がった。
「稲若!」
 石見丸と呼ばれた蓬髪の男が子どもの安否を気遣って首をねじるが、背中を小突かれて歩を進めるしかない。稲若は地面から小刀を拾い上げ、再び囚人の列に追いすがった。
「ひかえろ、下がれ。こんなところで刃物を振り回すな!」
 仁木緒が𠮟りつけたが、稲若は聞いていない。すばしっこく追いつくなり、石見丸の肩から手首にまわっている縄をつかむ。
「よせ、稲若」
 石見丸が低くささやくのと、放免が「うるさいぞ、ガキめ」と棒で子どもを追い散らすのが同時だった。
 一度は身をひるがえして野次馬の中にまぎれたものの、再び稲若が小刀をつかんだ手を頭上にあげた姿勢で飛び出してきた。野次馬たちが口々にののしった。
「とんでもないガキだ、囚人を逃がそうとしやがって」
「とばっちりで斬りつけられたら大変じゃ」
 周囲に危険が及ぶなどと稲若には思慮がないらしく、小刀の柄をつかんだまま行列と並走している。
「石見丸、いま逃がしてやるからね!」
 すでに二条大路である。放免たちの棒や腕が稲若を捕らえた。地面に膝をついた稲若の手から仁木緒が小刀を奪い取ると、駆け付けた石川彦虫がもったいぶった調子で鼻を鳴らす。
「囚人を獄へ戻すまでが儀式じゃ。この小童は儀式を乱した罪人。このまま獄へつないてやる。ふん、石見丸と一緒に収容してやるからありがたく思え」
 眉をひそめて仁木緒は舌打ちした。
「……こんな子どもを? 獄に投じたら、二日と持たぬ。刃物は取り上げたから、良く言い聞かせてこのまま放してやればいいでしょう」
「見せしめが必要だ。我ら検非違使の者は恐れられねばならん。囚人を列から離脱させたとすれば、脱獄と同じじゃ。この小僧に、まさか罪がないと言うわけではあるまいな? 佐伯仁木緒」
 明らかな当てこすりだった。仁木緒は能原門継の縄をつかむ拳を震わせた。
 列は稲若を飲み込んで移動しはじめた。
「むごいことよ。あんな小さな子を……」
 野次馬の中にはひそひそと耳打ちし合う人もいれば、不穏な行動をとった子どもが列に加えられたことを安堵する顔もあった。
 足枷をつけられた石見丸のそばで、ついに稲若が泣き出した。しゃくりあげる稲若の頭を、石見丸が縄でくくられた手で軽くたたく。囚人たちの列から身を乗り出して、うっそりと能原門継がせせら笑う。
「そいつはてめえのガキか? それとも稚児か? 石見丸。どっちにしても義理立てして救い出そうとするなんざぁ生半可な可愛がり方をしたんじゃなさそうだな。獄舎に入ったら、退屈しのぎにおれにもその玩具を貸してもらうぜ」
 それを聞くなり、石見丸が振り返った。背後の二人を避けて足の鎖を鳴らし、勢いをつけて能原門継に頭突きを食らわせた。とっさに仁木緒は能原門継の縄を引く。間に合わない。ガッと音がして、のけぞった能原門継の鼻から鮮血がほとばしる。
「稲若に手ぇ出したら、殺すぞ! こいつだけはまともな暮らしをさせてぇんだッ」
「なんだとぉッ。たかが賭博で捕まったノロマ野郎が」
 仁木緒や放免たちが制止する間もなかった。縄をつかまれていたために転倒しなかったが、そのために能原門継は石見丸の頭突きを二度、三度と繰り返し受ける羽目になった。
「やめろ! 鎮まれッ」
 野次馬たちがどよめき、悲鳴を上げる。中にはいきなり始まったケンカに興奮して歓声をあげた者もいる。
「なにをやっている! 獄に入れるまでが儀式だぞッ」
「鎮めよ! 二人を引き離せッ」
 足に鎖をつけた二人の男を中心に、囚人、放免、看督長らが入り乱れた。罵声と悲鳴、腕を突き出して制止の声があがる。鎖のついた足を振り上げて乱闘する囚人たちを放免が棒で叩きのめす。土ぼこりが視界を覆う。
 仁木緒は棒で石見丸の肩を打ち、膝を地面につけさせた。
「稲若! 逃げろッ」
 石見丸が叫ぶ。稲若が列から走り出す。それを追ったのは石川彦虫だった。
 野次馬たちが垣根となって騒ぎを取り囲んでいたせいで逃げ場を失い、稲若は再び囚人たちの列に戻されてしまった。

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