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検非違使別件 五 ⑩

 稲若を自宅へ連れ帰ることにした。
 朽ちた築地塀が崩れかけている路地が切れると、夕闇が迫ってきた。やがて、かすかに加茂川の涼風が届く左京のはずれに出た。

 そのあたりは屋根に石の重しをのせた小さな家が建ち並んでいる。ところどころ畑もあって、路地では青菜を盛った籠をかかえた女たちや、鍬を肩にかついで牛を引いている年寄りと行き合った。
 以前大きな氾濫があって村が流されたものの、今年になってまた人が戻って来ている。
 仁木緒を見つけた人々は道を譲り、腰を折っておじぎした。
刀禰とねさま、お戻りですか」
「おや、新しい放免でも連れているのですか。ずいぶん幼いこと」
 稲若を目にしてそんな声をかけてくる。このあたりの刀禰(小領主)佐伯仁木緒が検非違使の看督長をつとめていることを、知らぬ者はいない。
 軽く言葉を交わして稲若を紹介し、仁木緒は竹の垣根で囲まれた敷地に近づいた。門を入ると左右に畝が立っている畑があり、ところどころ実の成る庭木が植えられている。小道の奥は割と大きな茅葺の平屋が建っていた。それが仁木緒の家だった。
 薄闇がただよう庭の赤土を踏み、仁木緒は用心深く腰をかがめて白杖を握りなおした。稲若を背後にかばった。
「どうしたんです、佐伯さま」
 問いかける稲若に「しっ」と人差し指を立てる。
 太い気合声が上がると同時に、春コカブの畝を越えて一本の鉾が飛んで来た。すかさず白杖で叩き落とす。鉾が音を立てて足元に転がった。
 白杖の端を赤土に立てて、仁木緒は自宅の広縁へ向けて大声で呼びかけた。
「父上! いい加減になさってくださいッ」
 目をこらせば、広縁にうずくまっている人影がいる。人影は胸を波打たせて笑っていた。
「強盗の用心ついでに、右腕の鍛錬じゃ。年老いて左半身が動かせぬなどと、侮られては面白くない」
「誰も侮ってなどおりません」
 鉾を拾い上げ、歩幅を大きくして敷石もない庭の小道を突っ切った。
 玄関に入った。後ろで稲若が「ごめんください」と小声を出す。子どもなりの遠慮と、再び何かの襲撃があってはかなわない、という恐れが入り混じった姿勢で玄関土間から奥の廊下を見通した。
「そこに水瓶があるだろう。足を清めて上がれ」
 指さされた位置に水瓶が置いてある。薄闇に目をこらせば、壁には鍬が立てかけられてあり、青菜を収穫するときに使うザルや縄の束がすみに置いてあった。
「仁木緒さま、お帰りなさいまし」
 燭台の灯りが近づいて来た。それを手にしているのは、白髪の髷を小さな烏帽子におさめた小男だった。仁木緒の背後の稲若を認めると、小男は腰をかがめて燭台を突き出した。
「おや、小さなお客さまで」
「帰ったぞ。杣信そまのぶ、父上にあんな乱暴な出迎えはさせるなと言ったはずだ。近隣の誰かが怪我でもしたらどうする」
「お言葉を返すようですが、ちゃんと周宜さまは相手を見て鉾を投げつけておいでです」
 胸を張り、厳かに続けた。
「怪我人も死人も一人として出しておりませぬ」
「自慢して言うことか! 村の連中が恐れて近づかぬだけだ」
「はい、わしが畑に出ていたとき、布地を織ったから豆か干し魚と交換してほしいと村の者が声をかけるのですが、決してこの家に近づこうとはいたしません。まあ、布は足りているから直接市へ持っていくように勧めましたが……」
「だいたい、仕事で疲れて我が家に帰ってくれば鉾や小刀が飛んでくるのだぞ。こっちの身にもなってくれ」
「本当に困ったことで……。こう見えても口を酸っぱくして周宜さまに小言を並べてはいるのですよ。ところで、そのお子は……もしや仁木緒さまの?」
「ちがう」
「では、またしても周宜さまの隠し子! 仁木緒さまにとって母親違いの弟と妹を合わせて、これで五人目……。さっそく養子先を見つけねばなりませぬ。それとも寺へ入れて僧籍に?」
「ちがうちがう。この子は仕事のためにあずかっている。名は稲若だ」

 囚人の石見丸に育てられたみなしごだが、その石見丸が殺されて行く当てがない。しかも、石見丸を殺害したのは能原門継で……といった説明はしたくなかった。今は、飯を食って眠りたい。

 藁沓を脱いで框にあがった仁木緒に続き、稲若も「おじゃまします」と声をあげた。

「仁木緒さま、おかえりなさい」
 仁木緒と稲若が廊下を進むと、台所から女が声をかけてきた。漬物を盛りつけたカワラケを手にして、わざわざ身を乗り出す姿勢で顔をのぞきこんだ。
世古よふるどの、ただいま帰りました」
 仁木緒の母・さやこが存命中、父の周宜が酒房で見初めて手をつけた女である。かつてはなかなか美人だったらしい。こめかみの老班と前歯の欠損さえ解消されれば、いまでも美人で通るかもしれない。
「周宜さまの隠し子……と聞こえましたよ?」
「誤解です。杣信から聞いてください」
 足早に世古の脇を抜けようとしたが、しつこく世古は追って来た。
「では仁木緒さまの息子かえ?」
「どうとでもお思いください」
「つまらぬのぉ……。もっとむきになって『ちがうちがう、我が子ではない』とわめけば、からかいがいがあるのに」
 抜けた前歯をかばうこともせず、けらけらと笑っている。
「だいたい仁木緒さまはこのあたりの農地で小作人を使っている刀禰とねなのだから、家屋敷の雑用をする下女の一人でも雇えばよいのに……。通っている女はいないのですか? いればその女をこの家に入れておしまいなされ。納屋の掃除、畑仕事は杣信がいたし、周宜さまのお世話はこの世古が。妻にさせるは家内の雑事と食事の支度と夜伽……」「そのうちな」 とどめねば一方的にいつまでもしゃべりだす世古である。会話を打ち切ろうと足を速めたが、世古には通じない。カワラケを抱えて腰を振り、ついてきた。
「若い女がいればこの家の中が華やぐし、仁木緒さまも男ぶりが上がるというものじゃ。もしなんなら、このわたしが伽の手ほどきをしてやってもよいのですよ。父と倅、二人の絆も深まりましょう」
「そういうことは遠慮します」
「素っ気ないねぇ。おなごには手あたり次第だった周宜さまの倅とは思えぬ」
 世古は陽気に笑っている。
 一時は仁木緒の母を離縁して、父の周宜は世古を家に入れようとしたらしい。気ままな世古はしかし、琵琶芸人として諸国を流浪したという経歴がある。方々で浮名を流す周宜に愛想をつかしたのかもしれない。だが、そんな周宜が体を壊し、勤めを退いたと風の便りで知ると真っ先に訪ねてきて、いまは同居して周宜の世話をしている女だった。

「腹が減ったろう、稲若」
「おいら、生のニンジンでも豆でも食べられるだけありがたいや」
 囲炉裏が切ってある居間に入ると、奥の曹司から杣信に支えられて周宜が入ってきた。一時期よりやせたものの、虎を連想させる目の力と骨太な体格は往年のたくましさを失ってはいなかった。
「従者の見習いの子を連れて参ったのか」
 のどに痰がからまったような声色で周宜が言い、上座に腰を落ち着けて稲若を見つめる。すかさず稲若は頭を下げた。
「稲若です。こちらでお世話になります」
「なかなか利発そうじゃの」
「父上、さっきのような狼藉はもうおやめください。今後、検非違使庁とこの家を稲若が往復することになりますから」
「わしに指図するとは、十年早いわい」
 目を細めてから、再び咳ばらいをしてのどの通りをよくした。
「で、今日は儀式があったはず」
「ええ、まあ……」
 父に話したところで、気を揉ませるだけだ。いや、怒鳴りつけられるかもしれぬ。荒彦脱獄を許したのは、自分なのだから。

 仁木緒が今日あったことを一つ一つ反芻しているあいだ、世古は稗が混じった米と水を満たした鍋を運んで来た。板の間に四角く切った囲炉裏の鉤手に鍋をひっかけた。一度台所へ戻り、コカブの葉を刻んだものをカワラケに盛りつけて運んで来る。塩壺も一緒に持ってきたから、青菜の色止めと風味付けにするのだろう。
 そのあいだにも杣信は火入れ壺の炭火を灰の上に置いている。粗朶を足して息を吹きかけた。火が育ち、勢いを増す。鍋の底を炎が舐め始めた。
「漬物と青菜粥、焼き魚でよろしいですか」
 了解をとる姿勢だが、有無を言わせない手つきで杣信が昼過ぎに釣ってきた川魚に串を打つ。囲炉裏の火の周囲に川魚の串が八本ぐるりと回り、あぶられて香ばしい匂いが立ちのぼり始めた。

「本日は儀式であろう。無事に過ぎたのか?」
 再びの周宜の問いかけに、仁木緒は吐息をついた。
「あとのことはおれがする。世古どのと杣信は下がっていろ」
 ちょっと意外そうな表情を浮かべたものの、二人は黙って居間を去った。耳をそばだてて廊下から人の気配が消えたと判断すると、仁木緒は周宜に体を向けた。
「父上、実は……」

 着鈦ちゃくだまつりごとであったことをありのままに告げた。

 舞姫さゆりの出現、荒彦の逃亡、能原門継を身代わりにしたこと。獄舎内で殺人があり、別当のもとへ刑部省の役人が現れたことを。

 物語ってみれば、慌ただしい一日だったと今更ながらあきれる。周宜は始終おし黙っており、稲若はうたた寝していた。
 鍋の蓋を白く濃い蒸気がふちどって、ふつふつと押し上げている。
 炭火をどけて火加減を調整し、仁木緒は一度蓋をとった。米と雑穀の甘く香ばしい温かな湿り気が部屋に満ちる。そこへ少量の塩を入れ、先刻、世古が刻んで用意していたコカブの葉を投じる。煮えた鍋の中をしゃもじでかき混ぜた。

「青菜粥……? もう食べられますか?」
 炎がはぜる音と鍋が発する匂いに反応し、稲若は目元をこすって小さく唾液を飲み込んだ。
「まだ米にシンがあるようだ」
「その石川彦虫……と申す同僚は?」
 周宜に言われ、仁木緒はハッとした。
「儀式のあと、姿を消したのです。……まさか、あいつが刑部省に告げ口を?」
 なぜ気づかなかったのだろう。
 着鈦の政で囚人の身代わりがあったことを刑部省へ密告した人物。
 威信をかけた儀式への緊張とそれに続くさまざまな事件のために、うかつにも頭が回らなかったのだ。
「し、しかし父上……。石川彦虫はいけ好かないヤツではありますが……自分が属する検非違使庁をおとしめるような愚行をするでしょうか?」
「裏切り者は、どこにでもいるものじゃ。金のためかもしれぬし、おのれの敵意を満足させるためかもしれぬし……」
「敵意……」
 思い当たる。仁木緒でさえ、石川彦虫の陰険さは鼻につく。あいつには負けられぬと仁木緒が誓ったように、石川彦虫もまた、仁木緒を窮地に堕としてやると誓っていたかもしれない。ついでにおのれの頭上に重くのしかかっている勤め先、検非違使庁そのものをおとしめる考えを持ったのかもしれなかった。

「明日、彦虫に問い詰めてみます」
 言ってから、ふと悪い予感がした。明日で間に合うだろうか。
 尉の藤原有綱は自らの手で罰すると言ったのだ。刑部省に駆け込んだ時点で石川彦虫は庁へ戻るつもりは無く、すでにどこかへ姿をくらましている可能性があった。
(荒彦に続き、石川彦虫まで……)
 おのれの四方が壁にはばまれ、その壁が狭まってくるような圧迫感に仁木緒は唇を引き結んだ。

「カラスノエンドウをおひたしにしてみました」
 盆に野草を盛りつけた皿をのせ、世古が腰をかがめた姿勢でいそいそと入室してきた。こぼれんばかりの笑みを仁木緒たちに振りまいた。
「粥ができたころでしょう。さ、よそってさしあげますよ。あら、魚の串焼きも程よく焼けています。どうぞ召し上がれ」
 せかせかとした手つきで配膳をしながら、世古は言葉を続けた。
「新鮮なカラスノエンドウを湯びきして、醤滓ひしおかすであえると美味じゃとむかし教わったものでね。思い出して作ってみましたの」
 むかし教わった……とさり気なく口にしたが、この惣菜を世古に伝授したのが母・さやこだと仁木緒は知っている。
 仁木緒が少年のころ、さやこは世古をこの家に招きいれたことがある。さんざん夫・周宜の浮気性について愚痴をこぼしたのだ。そうすることで、嫉妬の対象をけん制するつもりだったのだろうか。夫の浮気相手に夫の浮気について愚痴をこぼし、逆に男を所有している妻の立場を誇示する狙いがあったのかもしれない。
 若き日の世古もまた同じ苦しみを味わっているがゆえに迎合し、同調した。二人の女は一人の男への不満と嫉妬から、お互いの恋の悲劇を訴え合い、影では周宜のことを嘲笑していたのだ。しかし、いざ周宜が帰宅すると態度を豹変させた。周宜をはさんで二人の女はてのひらを返して甘えたり、優しくしたりするのだった。
 嫉妬し合い、愚痴をこぼし合う姉妹のようでいながら、母と世古は周宜の寵愛を競って張り合う仲であった。
 これまで仁木緒は数人の女と枕を交わしたものの、いつも本気になれなかった。その原因はおそらく、生臭い母と世古の記憶が重苦しかったせいである。

「醤滓であえたカラスノエンドウか……。なつかしい味じゃ」
 左腕を脇息に置く周宜が箸を伸ばしやすいよう、世古は小皿を捧げている。一口分を箸でつまみ、ゆっくりと咀嚼した。
「む? なにやら一味違うようだが」
「ほほほ。数日前、大膳職おおかしわでのつかさの別院、醤院ひしおいんで余った醤滓ひしおかすをいただいて参りましたの。おおむかし、どなたさまかのお作りになった和え物とは、一味違ったお味でしょ? お口にあいますかどうか」
「うむ、うまい」
「おおむかしのお味といま召し上がっているこちらとでは、どっちがお好きですか?」
 世古が言う「おおむかしのお味」とは仁木緒の母が作った和え物であろう。女はあの世とこの世に分れても、いまだ一人の男をめぐって対立しているのだろうか。

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