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検非違使別件 十 ⑲

 俘囚の長である安倍貞任と盟友の藤原経清の士気は高く、彼らの軍才は陸奥国守の源頼義と義家の父子をしのいでいるかもしれない。
 土地の利を知り、豪族たちを束ねる力を誇る安倍一族が勝利するとしたら、しかし、それは朝廷側が桓武帝の時代に逆行しかねない危険をはらんでいた。蝦夷討伐を口実に、野心的な都の武士たちが名乗りを上げて陸奥への進軍を熱望するかもしれないのだ。
 主人のほまれのために命を投げ出す兵士たち。鉾と矢、炎に追われる領民。戦の終結に、どれくらい時を要するのか、血が流れるのか、誰にも予想はつかない。

 (戦火の危険がある故郷に……いや、そういう危険があるからこそ、あの人は陸奥を目指したのではないか……。八虐のうちの其の五『不道』では、呪詛や毒を使うことを禁じている。あの人は巫術者だと賊たちに信じ込ませ、能原門継にわずかながらも毒を飲ませた……。荒彦を救い出すためとはいえ、御仏の道に背いたおのれを罰し、一族の慰霊のために、故郷を目指さずにはいられなかったのではないか……)

 そんな憶測が胸に生じたころ、庁の中庭に集合するよう通達があった。
 看督長をはじめ放免たちも整列した。
 佐と尉を従えた別当・源経成がきざはしに現れた。全員が一斉にその場にひざまずく。
「みなの者、この場で精勤を謝す。おぬしたちの活躍がなければ検非違使庁の威信はゆらぎ、帝のご威光に陰りが生じたことであろう。ひとえにおぬしたちの活躍があってのことである」
 ややもったいぶった口ぶりで一通りねぎらったのち、重みのある声で言い放った。
「近々恩赦が行われる」
 え……。
 思わず仁木緒は顔をあげた。
 「上東門院藤原彰子さまの御健康を祈願しての恩赦ではない。康平元年(一九五八)に法成寺東北院が焼亡し、今年……康平四年(一〇六一)ついに再建がかなったのだ。法成寺東北院供養のため恩赦がほどこされることとなった」
 そのあとをすけの藤原隆方が引き取った。
「廟堂で議され、すでに決定したことである。これより囚人をことごとく都へ召し放つ準備を進める。看督長は府生ふしょうから整理すべき囚人過状を受け取って、それぞれさかんの指示をあおげ」
「……お、お待ちくださいッ」
 気づいたら仁木緒は声を上げていた。隣で片膝をついている紀成房が「控えろ」と、あわてて袖を引く。それでも仁木緒はやめなかった。
「ことごとく召し放つ……とは、能原門継や錦行連の一味も……でしょうか」
 多紀満老人、千歳丸そして泥蓮尼の顔が脳裏をよぎる。あの人たちの努力がまったくの無駄になってしまうのか。無力感と怒りが胸を焦がした。
「別件で扱い、捕縛した賊についてじゃな」
 藤原隆方が素早く源経成に目くばせする。源経成がそっとあごを引いた。
「恩赦で召し放つ前に、特に凶悪な三名の囚人を抜き出す。市にてその三名を肉刑に処したうえで、召し放つことになろう」

  いきなり獄舎から出された男たちはまぶしげに空を見上げた。獄中で飢えと渇きに弱った上、病を得たために足元をふらつかせている者もいる。
「流刑でも、追放でもねえんですか? 本当に?」
「肺を病んじまったんだ。召し放たれても、どうせ道ばたで野垂れ死にじゃ」
 恩赦を喜ぶよりも、幸運に疑念を持つ者や生気を失って諦観している者の方が多かった。
 その中で、能原門継と錦行連、浜人丸の三人は放免たちに引っ立てられて泣きわめいた。
「うそだッ! 肉刑など、やめてくれッ」
「恩赦でみなが放たれるというのに、なぜわしらばかりが手を切断されるというのだッ」
「流刑じゃ、流刑にしてくれッ。後生じゃ……流刑でかんべんしてくれぇ」
 縄で拘束された肩をよじり、不意に浜人丸が隣にいる能原門継に突進した。跳びあがって額に噛みついた。「痛てぇッ」と悲鳴を上げた能原門継と浜人丸を仁木緒が引き離す。今度は錦行連が浜人丸に頭突きを食らわした。肉体がぶつかる鈍い音が響き渡る。
 大人しくさせるため、坂上田頭男が笞を振り上げて錦行連を打ち、浜人丸から距離を取らせた。
「すべてお前らのせいじゃッ」
 縄でくくられた肩をゆすり、三人はお互いを責めるのをやめようとはしなかった。
「おのれッ。なんの怨みがあってわしに噛みついたッ」
「浜人丸など、最初から気に食わぬ男だったわい! けだものめッ」
「黙れッ。みなお前ら二人のせいじゃッ。海賊のおびとだの、貴族の家司として潜り込んでいるだのと! ご大層な策があるかと思って従ってみれば、結局はこの始末じゃ! どうしてくれるッ」

 肉刑は死刑ではない。だが、死刑よりも残酷な刑罰である。

 すでに、左京にある市の南門では通達を受けて刑部省と衛門府から官人が集まっていた。源経成の提案で、死刑執行を監督する場合と同じ手順で肉刑を見届けるよう官庁へ申請したのだ。
 多くの人々が見守る市の南門の前は四丈四方ほどの、ぽっかりと開けた空間となっていた。東西に向き合って整列しているのは武装した検非違使たちである。南門のすぐ手前には床几に腰かけた源経成がいる。
 佐から囚人過状を受け取ると、源経成が立ち上がった。
「法と秩序を守るは我らの勤め。罪人は帝の御敵おんてき。しかも、いまは陸奥国において内乱のさなか。よって人の心も乱れておる。そのようなときに極悪人を恩赦で放てば、検非違使の威信は地に落ちるであろう。検非違使は帝の権威を守る盾として、ここに肉刑を宣言いたす」
 開けた場所に最初に連れてこられたのは能原門継だった。彼の左右には仁木緒と紀成房がいる。固い木を抱えていた。長さ五尺、口径は五、六寸ほどあるその木は肉刑に使用する。
 続いて錦行連が、坂上田頭男と橘貞麿に両脇を固められて入ってきた。最後に浜人丸が、同じく左右に二人の看督長に監視されながら続いた。

 やがて三人は、入場した順に横並びになった。

 能原門継の縄をつかんだまま、仁木緒は群衆に目をやった。頭の包帯が取れた千歳丸ととよめの白い顔が見え、そのすぐそばにゆずかを連れた多紀満老人と稲若が立っているのが認められた。
 稲若は、丸い目を緊張させて見開いている。親代わりだった石見丸を殺され、能原門継をいまだ仇と思いつめているのだ。

 さかん坂上定成さかのうえのさだなりが囚人過状を読み上げた。
「備前国住人、能原門継。その方、海賊を率いて湊を荒らしまわり、船荷、人命を奪った罪は許しがたい。ことに錦行連と共謀し、前陸奥国守であらせられる藤原登任さまの邸にて殺人および放火……」
「違うッ。みんな伴家継がやったことじゃ。わしは関係ないッ」
「黙れっ」
 仁木緒が能原門継の口に荒縄を噛ませた。能原門継はうめき声をあげて涙を流し、上半身をよじった。
 気を取り直した坂上定成があとを続けた。
「殺人および放火の罪を雑仕の荒彦になすりつけんがために熱湯をもってのどをつぶし、検非違使庁に差し出しておのれの罪を逃れんとした虚偽は許しがたい。八虐のうちの『不道』によって斬のところ、恩赦によって肉刑に処したのち召し放つこととする」
 言葉が切れたのを待って、意を決したように錦行連が前のめりになった。恥も外聞もなく、涙とよだれを飛び散らせた。
「も、申し上げますッ。みな、伴家継という男がやったことですッ。わしは濡れ衣をかぶせられたッ。罪など犯してはおりませぬ……ッ」
「伴家継はおぬしの二つ目の名前ではないか」
 あきれたように橘貞麿がつぶやく。坂上定成がムッと目を怒らせた。
「ここにある囚人過状に誤りがあろうはずがない。いま名が出た『伴家継』は錦行連が登任さまの邸で使っていた偽名。邸内にて賭場を開く悪行を成した挙句、能原門継とともに邸を私物化せんと姦計をめぐらし、主を手にかけた。しかも、事件当時に邸へ訪れていた二人のご子息、任尊さまと実覚さまをも焼殺したのだ。この罪は重いぞ」
「いいえッ。違いますッ。伴家継という男が、わしの他におって、いまもどこかに隠れている……ッ。この錦行連と伴家継はまったくの別人ですッ。わしの主は錦景時さまただ一人なのですッ。か、かげときさま、どうぞあなたさまの従者をお救いくだされッ。いま、どこにいらっしゃいますか……」
「茶番は見苦しいぞ」
 せせら笑ったのは浜人丸だった。処刑場の市に入ったときには、三人の中で一番落ち着いていた。
「おめえ、家司の伴家継として、いつも威張っていたじゃねえか」
 見守る群衆の中でも、指さして笑い声が起きていた。
「大の男が鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだ、自分は濡れ衣だってさ」
「……往生際の悪いこと。人をだまして、殺人まで……。いざ自分が傷つけられる番になると臆病なものだ。あきれたね」
「罪でケガレた手を断ち切られるがいいのさ」
「いやいや、恐ろしいことじゃ……。罪人とはいえ、哀れなこと」
「肉刑による『切手』で命を取り留めた者はおらぬ……。恩赦などなければ、流罪で生きながらえたものを……」
 合掌して目をつぶり、念仏を唱え始める人々もいた。
 鉄面皮な調子で坂上定成が言葉を続けた。
「罪状を読み上げる。錦行連、その方は伴家継と名を騙り、藤原登任さまの邸で違法な賭博に手を染めた。能原門継が率いる賊の一味を邸に招じ入れ、主である登任さまとご子息二人を焼殺。この罪は主殺しというだけではない。帝に仕える従四位下の貴族を騙したことは、帝をも詐術にかけたも同然である。帝への不敬であり、主殺し、放火、殺人がこれに重なっている。八虐のうち『不道』と『大不敬』を勘案すれば、能原門継と同じく斬刑である。しかし、恩赦によって肉刑に処したうえで召し放つこととする」
 判決を耳にして、目の前が暗くなったのだろう。膝をついた姿勢の錦行連が、がくりと半身をうつむけた。涙と鼻水がぼたぼたと地面にしたたった。
「三井寺の浜人丸。その方の罪状を読み上げる」
「へいへい」
 坂上定成の声に浜人丸が小声で返事をした。隣に控えている看督長がじろりとにらんだが、浜人丸は意に介さなかった。青ざめてはいるが、他の二人よりふてぶてしく居直っていた。
「商家から布五反を強奪。強奪した布が五反であれば近流こんる。十五反であればこう(縛り首)である。しかも、布を強奪したあと三井寺に立て籠もり、僧二人を殺傷に及んだ。これは闘訟律とうしょうりつ・故殺傷の条文によって死罪。しかし、肉刑に処したのち恩赦とする」

 そのとき刑部省の官人たちが整列している当たりから、ざわめきが起きた。人垣が割れて、まばゆい金襴の法衣をまとった三十半ばの僧侶が数名の侍僧じそうを引き連れて現れた。
 僧たちは看督長にも罪人たちにも目もくれず、真っすぐ源経成の前に進み出た。
「経成どの、肉刑など、そのような残虐はおやめくだされ」
「これは惟尊法橋ゆいそんほっきょうどのではありませぬか」
 源経成が飾り気のない口ぶりでゆっくり会釈した。惟尊法橋ゆいそんほっきょうと呼ばれた僧侶を、仁木緒はそっとうかがった。

 仏教の僧尼を管理する僧綱そうごうの中で、法橋は上から三番目の僧位。法名の惟尊から察すると、かなり高位の一族出身なのだろう。源経成と顔立ちがどことなく似ているから、親戚かもしれなかった。

「このたび獄囚の恩赦が決まったのです。罪を犯したとはいえ、御仏にすがれば魂は救われます。肉刑などなさらず、都に召し放って徳を積み、別当どのの来世の幸せをお求めになってはいかがでしょう。荒別当と畏れられるあなたさまに、『その所業は残虐でよろしくない』と諭すことができるのはわたくし一人と思いつめて、こうして足を運んだのでございますよ。浄土への導き、ご自分の来世での安寧のためにも、囚人たちをお解き放ちくださいませ」
「現世で苦しむ民を救えるのであれば、わしの来世など捨て去ってもよいと考えております」
 源経成は物静かに応じた。
「ここにいるのは帝の御敵おんてきである罪人。一度捕らえたそやつらが都へ放たれた場合、おのれの罪深さなど忘れ、ゆくゆく検非違使を侮ることになるでしょう。検非違使が軽んじられれば、やがて帝への畏敬も失ってしまいます。……国法にのっとった太政官が行う公開処刑はすでにすたれ、権門の御家がそれぞれの掟によって従者に刑を下すこともございます。それ以外の犯人捕縛、裁きと刑の宣告は我ら検非違使にゆだねられております。いわば都では、三通りの刑罰権が平行しているようなもの。その中で、我ら検非違使こそが国法に照らした正当な裁きを下すべきなのです」
「法の上に神仏があるのでございますよ」
 源経成の饒舌をさえぎって、惟尊法橋が片手をあげた。青白い眉間には頑固さがうかがえた。
「なにゆえそのような厳罰をなさろうというのか。罪人を放生し、徳を積むことで神仏が喜んでくださいます。人が正しく徳を積めば、その国もまた安寧が約束されるのですぞ。生きとし生ける者、すべてが尊い。命は尊ぶべきものでございます。一度恩赦が下ったのですから、肉刑などなさらず徳をお積みなされ」
「ここで押し問答は迷惑でございます」
 さすがに源経成が、眉間にたてじわをきざむ。
 肉刑を市で行うのは人々に見せしめ、犯罪抑止の目的があってのことである。ここで引き下がれるはずはなかった。
「石清水八幡宮に詣でたとき、神主に『中納言昇進を祈祷していただきたい』と申し出たことがござる。そのとき神主は『殺生を禁じて放生をむねとする神を祀っているのだから、罪人を処罰する庁の別当の願いなど祈れぬ』と拒まれた。だから言ってやったのです。『殺生禁断は宣託に明文されております。しかし、その同じ宣託の末尾にあるではありませぬか、……国家のために殺すべき者が現れた場合は、殺生禁断の限りではない』……いまも同じことを申し上げる。わしは検非違使別当として、国家のために罪人を処罰するのです。これを神仏がお怒りになり、わしを罰するというのなら、神仏などまがいものでござる」
 佐の藤原隆方が素早く僧侶たちの前に出た。
「どうぞお引き取りを。この罪人たちは五刑(笞、杖、徒、流、死)すべてに処しても余りある大罪を犯しました。肉刑に処さねば、律外の死刑とも称される『格殺かくさつ(殴り殺しによる刑)』に処すべき男たちです。どうぞご退出を、まもなく刑が執行されます」
 僧侶たちに会釈してから、藤原隆方が素早く仁木緒たちに片手をあげた。
「木を置け!」
「はっ」
 抱えていた木を仁木緒は地面に置いた。力づくで能原門継を地面にうつぶせにすると、右腕を木に添えて縛り付ける。能原門継は頭部を紀成房に押さえつけられ、木と平行になって腕を伸ばした姿勢で身動きとれなくなった。しかも、口に荒縄を噛ませてあるのだ。能原門継はうめき声をあげて涙を流すばかりだった。
 錦行連も浜人丸も、同じようにうつぶせの姿勢で固い木に片腕を縛り付けられた。身動きできぬよう、しっかりと頭を押さえつけられている。
「これより切手を行う」
 宣言が成された。仁木緒はやいばを抜いた。腰に下げていた槌をもう一方の手でつかみ直す。刃を縄で木に固定された能原門継の手首の関節に当てて、右手の槌を振り上げた。
 看督長らは青空にたなびく白雲をひっかけられるのではないかと思うほど、高く槌をかかげたまま待機した。
「拙僧の口添えがあっても、肉刑を執行されるというのですね」
 困惑気に惟尊法橋が振り返り、初めて罪人たちを視界にとどめた。首を振って、まだ言葉を尽くせば間に合うのではないかと思案している様子だった。
 初めて源経成が片頬に笑みを浮かべた。
「徳を積むためのご教授、ありがたく拝聴いたしました。実は、帝を犯罪のケガレからお守りするための獄舎が崩れかけております。このままでは獄舎が崩壊し、その下敷きになって囚人どもが命を落とすこともありましょう。あるいは脱獄したがゆえに矢を射かけられて死ぬことさえあるのです。殺生禁断を説くのなら、獄中死をさせぬために獄舎を補強せねばならぬ道理。惟尊法橋から刑部省にこのことをお伝えくだり、獄舎補修にご尽力をお願いいたす」
(……なんという強引な)
 聞いていて仁木緒は舌を巻いた。肉刑を止めようとして現れた高僧の意見を拒み、逆に獄舎再建のための助力をこの場で取りつけようとしている。たったいま徳を積むべきと言ったばかりだから、惟尊法橋には拒むことはできないであろう。しかも、これから肉刑が行われる寸前である。毒気を抜かれ、唐突なこの申し出を承諾するしかあるまい。
(しかも、僧侶たちを退出させるにはいい口実だ)
「断てッ」
 命令が下った。仁木緒は槌を振り下ろした。

  その後、惟尊法橋と刑部省と、どういうやり取りがあったのか仁木緒は知らない。

 ただ、獄舎修繕用の材木が提供されたことは確かだった。右獄の再建はできなくとも、左獄の壁や屋根の破れは充分つくろえる量だった。果たしてそれが寺社からの寄付なのか、刑部省が手配したのか、その両方なのかは、はっきりしなかった。
 左獄にはまた新しく囚人たちが入っている。
「獄囚ども、おのれらの獄じゃ。床を張り替えて壁板を取り換えるぞ。しっかり働け」
 放免の春駒丸や坂上田頭男らが囚人たちを指図して普請に励んでいる。仁木緒も稲若と一緒に肩ぬぎになり、獄舎の外壁の破れを板でつくろっていた。
「雪が降るまでには間に合いますね」
 稲若が板を運びながら仁木緒に陽気な声をかけた。
「ああ、今年は獄中で凍え死にさせずにすみそうだ」
 来年、康平五年である。陸奥では源頼義の国守の任期が切れる。後任は歌人として名高い高階経重たかしなのつねしげだという。
(……高階経重さまが新しい陸奥守として赴任するのは、来春……)
 泥蓮尼のことは忘れようと努力していた。それは実らなかった。逆に思いつめている。

 陸奥へ、行くべきか、あの人を探しに。

 だが、検非違使の仕事はどうなる。刀禰として小さいながらも領地がある。半身が不自由な父を放っておくわけにもいかない。
(それに、あの人が戻ってきたときに、行き違いになるわけには……)
 果たして、戻って来るだろうか?
 いや、戻るはずはない。戻れるはずはない。そう自分に言い聞かせ、何度も打ち消し、悩み、忘れてしまえとおのれを叱り続けた。
 だが、検非違使別件がどう決着したかを見届けたいま、仁木緒の迷いは霧消していた。

 失ってみて、思い知った。ここまで泥蓮尼に心を奪われていたのか、と。

 父の周宜は体が不自由ではあるものの、意気軒高だ。世古もいる。質朴で忠実な杣信もついている。引き取って従者として仕込んでいる稲若は利発で体格も一回り大きくなり、行く末頼もしい。
(検非違使庁を辞し、杣信らに後のことを託して陸奥へ赴任する高階経重さまの一行に加えていただく。それができるのは、いましかない)
 伝手ならある。きっと新任の陸奥国守の従者に推挙してもらえるだろう。
 泥蓮尼を探し出す。何があろうと陸奥にとどまり、泥蓮尼と再会を果たす。
 そして伝えるのだ。能原門継ら三人は肉刑によって手首を切断され、その日のうちに絶命したことを。
 復讐が終わったことを喜ぶとは思えない。むしろ、むなしさを感じさせてしまうかもしれない。
 それでも再会を果たしたら、二度と離さぬと胸に誓っていた。
 仁木緒は木槌で板を獄舎に取りつけて、腰を伸ばした。
 獄舎が修繕されていくのをゆっくり見回ってから、上役を探しに歩き出した。

  康平五年(一〇六三)、春。

 陸奥国守として入った高階経重たかしなのつねしげは多賀城での剣呑な空気に圧倒され、失意のうちに陸奥を去る。都へ舞い戻り、そのまま国守を解任された。
 陸奥守として源頼義が再任され、安倍貞任との戦闘を継続。
 夏には出羽の豪族・清原一族の援軍を得て、ついに源頼義が安倍貞任に勝利。
 その年の秋、安倍貞任、その弟の重任、盟友の藤原経清三人の首が降伏した者たちの名簿とともに都へ送られてきた。
 その首の扱いは「死刑の意味をもって鳩首せよ」と廟堂で決定され、四条大路と京極大路が交差するあたりで検非違使に受け渡しされている。

(了)

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