中前結花

兵庫県うまれのエッセイスト・ライター・編集者。ラジオやJ-POPにまつわるエッセイをい…

中前結花

兵庫県うまれのエッセイスト・ライター・編集者。ラジオやJ-POPにまつわるエッセイをいくつかの媒体で連載中。 元「minneとものづくりと」編集長。 📮お仕事はTwitterのDMにお願いします。 https://note.com/meruco/n/n9749f1906bf8

マガジン

  • 日々のつれづれ (ただの日記)

    日々の中で思ったり感じたりした、ただの日記です📝

  • ソファでわたしは旅をする

    • 15本

    いつかまた自由に出かけられるその日まで、「空想の旅」をテーマに文章を書いてみることにしました。 趣味や嗜好、旅のスタイルも異なる3人の書き手・べっくやちひろ、中前結花、吉玉サキがそれぞれお届けします。 束の間でも、みなさまを“ソファの上の旅”にお連れできたらうれしいです。

  • 今月の「#わたしが帯を書いたなら」

    誰に頼まれているわけでもないですが、毎月わたしが「読んでよかった」と思う本に、勝手に自作の帯をつけてご紹介します。

  • テレビとラジオのはなし

    すきなお笑いや、ドラマについて書きます。

  • エッセイのお仕事

    エッセイストとしての記事です。

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最近の記事

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それはつまり、設楽さんなのか。日村さんなのか。

その昔、カタカナの「シ」と「ツ」の書き方の違いを、バナナマンの日村さんに教えたのは、相方の設楽さんだ。 おかしな話だけれど、日村さんは「シ」と「ツ」、ついでに「ン」の書き方が怪しい。 設楽さんは何度だって「“シ”はね、“ツ”はさ、」と、その書き方について説明してきた。 その度に「そっかそっか」「またやっちゃった」と日村さんは言うけれど、おそらく、きっと、今でもあやふやなのだ。 うんと若いころ、2人が足を踏み入れた畳の楽屋には、座布団がいくつか積み上げられていた。 日村さん

    • 35歳にだけはなりたくなかった。

      はじめて『魔女の宅急便』を見たのは、34歳のときだった。 正確には「2度目」の鑑賞だったのだけれど、 1度目は、まだ何の分別もつかない4〜5歳のころだったと聞いているから、やっぱりわたしの体感では「はじめて」であった。 なんとなく、 「魔女の宅急便ぐらいは見ておくか」 と思い立ち、リビングにチンと座って見たのだ。 金曜ロードショーだった。 のどかな風景。愛嬌のあるキャラクター。 わたしはすぐにこの物語が気に入った。 けれどもストーリーの中盤で、 主人公・キキに仕事の依頼を

      • 「結婚」はしないと思ってた。

        「結婚」なんてしないだろうと思っていた。 だから、まだ付き合ってもいない彼から唐突に 「なんか……結婚したいですね」 と言われたときは、なんて気の合わない人なんだろうかと首を傾げたものだった。 「結婚は……、どうでしょう」 わたしは答える。 もちろん、そういう幸せのかたちがあることは知っているし、大切な誰かが誰かと結婚するとき、わたしは心の底から「おめでとう」と言うことができた。 けれど自分のこととなると、どうだろう。なんだか途端に妙な気持ちになるのだ。 きっと、「自分

        • 住まなかった街も思い出になる。

          年下のひとたちと飲むことになった。 会社を辞めてからは、とんとそういうことがなかったから、向かうときにはすこし緊張した。もちろん、ひとつふたつ下の友は多いけれど、十もちがうとなれば、 「大丈夫かしら……」 と不安になったりもする。文章を書くひとたちの集まりではあるけれど、話についていけるだろうか。 場所は赤坂で、ほどよく街も店内もがやがやとしていた。 「こっち、こっち」 と呼び寄せられテーブルにつく。 「どうも、どうも」 へらへらしながら見渡せば、どのひともなんだかとても眩し

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        • 【連載】さんかくの家には、父もいた。
          中前結花

        記事

          書いた記事をまとめました。

          これまで書いた記事の一部を、ポートフォリオ的にこちらに纏めようと思います。 ✏︎ エッセイ記事▼連載「 いつもJ-POPを聴いていた」 ▼連載「TBSラジオ、まずはこれから」 ▼連載「そのとき、J-POPが流れた」 ▼連載「 小さい出会い、長い付き合い」 などなど。 ✏︎ インタビュー記事などなど。 ✏︎ 体験 / レポート記事などなど。 ✏︎ note記事などなど。 ✏︎ ブランドワーク ▼簡単な撮影も行います。 などなど。 ◆得意/好きなこと/興味

          書いた記事をまとめました。

          連載『旅するコットン。』高知の旅【3】

          <第1話のお話はこちら> <第2話のお話はこちら> 木綿子は自分のくちびるが、ほんの小さく震えているのがわかった。 けれど相手は岡野だ。恐れや焦りのようなものはまるでない。 ただ、少しの緊張と、“岡野が目の前に座っている”ということへのたまらない気持ちで、胸がいっぱいだったのだ。 「というわけでね……、わたしが高知に行って、建ちゃんに食べてもらいたいと思ったものはこれなの」 岡野はふっと細長いまつ毛の隙間から木綿子を覗き込むようにして、 ほんの少しのあいだ戸惑っていたけ

          連載『旅するコットン。』高知の旅【3】

          連載『旅するコットン。』高知の旅【2】

          <前編のお話はこちら> 高知はよく晴れていて、七分袖のカットソーの中はすでに汗ばんでいた。 「1時間半も経ってないなんて」 木綿子にはずいぶん長い時間に感じられたけれど、高知までの飛行時間はそんなものだ。 「下調べに」と空港内のお土産屋さんも見てみた。芋けんぴや鰹節にカツオのフレーク……と、どれも味見してみたいものばかりではあるものの、建士のために持ち帰るべき「いちばんおいしいもの」を空港で調達しているようでは、何事も解決しないように思えた。 建物を出て振り返ると、「

          連載『旅するコットン。』高知の旅【2】

          連載『旅するコットン。』高知の旅【1】

          旅エッセイの企画『ソファでわたしは旅をする』で、中前結花が担当する連載小説です。今回は第1話。 膝の上で、ビニールのボストンバッグの中身をあれこれと探っている。 「モバイルバッテリー」が荷物の中に入っていると、空港では預かってもらうことができないらしい。 つい数分前、抜けるような空のブルーを窓越しにぼんやりと眺めながら搭乗口まで進んだところで、「お客様……」と呼び出され、わたしは荷物を預けた窓口まで、また急ぎ足で舞い戻ることとなった。 まだ離陸までの時間はあるものの、近く

          連載『旅するコットン。』高知の旅【1】

          「退職」と「出発」を決めました。

          この度、4月30日付で休職を頂いていた会社を退職し、『minne』『minneとものづくりと』を正式に離れることとなりました。 お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。 2016年に入社し、在籍していた期間は4年と少し。 ですがこれは、わたしにとって、これまでの職場の中でも最も長い期間で、 そして、その期間のすべてを『minne』というサービスを担当して過ごしました。 『minne』が好きで好きで、仕方がありませんでした。 それ以外は二の次、三の次。 ここ数

          「退職」と「出発」を決めました。

          「いいよ」という言葉をわたしは使わない。

          ◆「人に聞きなさい」幼い頃、わたしは自宅でもどこでも、 「トイレに行ってもいい?」 と両親に尋ねていた。 当然「行くな」だなんて言われるはずがないのだけど、 「もちろん、どうぞ」 と言われてから、わたしはタタタッと廊下を駆ける。 勝手な憶測ではあるけれど、これは、うんと小さい頃から 「わからないことがあったら、人に聞きなさい。みんなやさしいから」 というのが、厳しさのカケラもないわが家の、 唯一の教えだったからではなかったろうか。 ひとりっ子のわたしは、ずいぶんとぼんやりと

          「いいよ」という言葉をわたしは使わない。

          2020年振り返り「#わたしが帯を書いたなら」

          なぜ「頼まれてもいないのに本の帯を書く」だなんて、こんなに勝手なことをしているのか…については、年始の2020年1月の#わたしが帯を書いたならの冒頭で、まったく説明になっていない御託(ごたく)を書いているので、読み飛ばしてもらっていいような気がします。 そんなわけで、本来は毎月更新していたものでしたが昨年後半は余裕なく…。 すでに2021年も2月ですが、2020年下半期に読んで、おすすめしたいと感じた本をまとめて、「自作の帯」とともにご紹介したいと思います。 丁寧に丁寧に何

          2020年振り返り「#わたしが帯を書いたなら」

          別れるとき、さくらは流れた

          冬は、リビングに駆け込むと、いつも石油ストーブのムッとするような独特の香りが漂っていていて、わたしはこれが特別に好きだった。 実家で過ごしていた頃の話だ。 母は働きに出てはおらず、1日のほとんどをこのリビングで過ごしていた。 娘のわたしが帰ると、必ず玄関まで迎えに来てくれる。 「寒い!寒い!!」 と慌てて靴を脱ぐわたしに、 「おかえり。お部屋あったかいよ」 といつもリビングの扉を開けて招き入れてくれた。 今になって思う。 わたしの学生時代の記憶が半ばおぼろげなのは、もしか

          別れるとき、さくらは流れた

          ちょっと、お暇いただきます。

          まだまだ、どうにもすがすがしくはないけれど、 それでもどうにか2021年の幕は開いて、また新しい1年始まって。 今年は、うんといい1年になるといいな。 そんな中、近しいひとにはお伝えしていたのですが、 実はいま、わたしは仕事をしていません。 それは、例年の「お正月休み」ということではもちろんなくて、 職場では「休職」という扱いにしてもらっています。 「復帰」ということを前提にもらっているお休みではありますが、 それはいつになるのか。はたまた本当にできるのか。 ということは

          ちょっと、お暇いただきます。

          「あれは漫才なのか」とか「この人は作家なのか」とか。

          なんだか季節の移り変わりや風情なんてものを、 どうにも肌で感じ辛い2020年だったけれど、 今年もまた「M-1グランプリ」が終わって、ようやく 「そうか、もう今年がいくんだなあ」 と年末の気配をふんわりと感じることができるようになった。 わたしにとっては、1年で1番のたのしみと言っても支障ないほど、 心待ちにしているイベントでもあるから、 今年はともかく、無事に開催されたことが本当に本当に嬉しかった。 いいものを見せてもらったなあ、と 例年にも増して感謝したい気持ちになる。

          「あれは漫才なのか」とか「この人は作家なのか」とか。

          「東京」とは、さまぁ~ずだった。

          さまぁ~ずの三村さんは、たとえば、 「気づけば、知らないおじさんがすぐ近くに立っていた話」も、 「はじめて見るものを、口に運んでみたときの話」も。 それから、「唐突に奥さんに呼び止められたときの話」だって、 おおよその経緯(いきさつ)を話し終えると、 丁寧に一呼吸置いて、 「すこ〜し、こわいじゃん。わかる?」 と、よく大竹さんの方に視線を送る。 俯き加減のまま大竹さんが、 「わかる。わかります。こわいね。こわい」 と何度も深く頷くと、 三村さんはなんだか一層嬉しそうに、

          「東京」とは、さまぁ~ずだった。

          2020年5-6月の#わたしが帯を書いたなら

          なぜ「勝手に本の帯を書く」だなんて、こんなに勝手なことをしているのか……については、年始の2020年1月の#わたしが帯を書いたなら の冒頭で、まったく説明になっていない説明を書いているので、読み飛ばしてもらっていいような気がします。 そんなわけで、先月は元気と時間が足りずに更新できなかったですが、2020年5月〜6月の2ヶ月で読んだ本の「自作の帯」をここにまとめることにします。 ここ2ヶ月は、ますます冊数は減っているのですが、2度繰り返して読んだ本があったり、受け取るも

          2020年5-6月の#わたしが帯を書いたなら