ちょっと、お暇いただきます。
まだまだ、どうにもすがすがしくはないけれど、
それでもどうにか2021年の幕は開いて、また新しい1年始まって。
今年は、うんといい1年になるといいな。
そんな中、近しいひとにはお伝えしていたのですが、
実はいま、わたしは仕事をしていません。
それは、例年の「お正月休み」ということではもちろんなくて、
職場では「休職」という扱いにしてもらっています。
「復帰」ということを前提にもらっているお休みではありますが、
それはいつになるのか。はたまた本当にできるのか。
ということは、まだわたし自身にもわかっていないことです。
思えば、2018年の冬ごろから、
わたしの耳からは、いつも「ぶお〜ん」とか「きーん」だとか
不思議なおもしろい音が聞こえるようになって、
毎朝確かめるようにして起きるのですが、
この2年以上、頭痛と目眩、動悸が常にあったように思います。
だけど、とにかく「健康」というものにあまりにも無頓着で、
なにより「仕事」が大好きだったので、
頓服といくつかの薬を飲んでいればまあいいか、という具合で、
健康診断の再検査もすっぽかすこともよくありました。
毎日頑張る、ということがとにかく楽しくて、
それ以外のことは、あまりにも怠惰ですが、ただただ本当に面倒だったのです。
上に書いていることも、「振り返ればそうであった」というだけで
夢中でいると、わたしは本当に何にも気づくことのできない
ちょっと不便な性格なのだと思います。
はち切れそうにパンパンに膨らんだ何か大きなものをいつも背負っているような感覚があったけれど、
毎日が「これさえ乗り越えれば」の連続になっていたので、
それもなんだか見ないフリを繰り返し続け、
そしてある日、些細なきっかけで針を刺したように、パンっ!
と、それはもう見事に取り返しのつかないものになってしまって。
気づけば、オンライン会議をすることも、もう困難になっていました。
わたしは「働くこと」が本当に大好きで。
「働く」ことは、生きることで。
そして「働く」とは、不器用なわたしが、だれかのためにわたしが唯一、力になれることのようにも感じていました。
それがうまくできないことが、これほどまでに苦しいとは、
これまでのわたしは本当に知らなかったのです。
そして、「働くこと」と同じぐらい、
わたしは「12月」のことも大好きでした。
1年をなんとか駆け抜けて、辿り着いた仕事納めの夜、
大好きな先輩とビールを飲むときの、あの心地の良さ。
あれが、1年でいちばん気持ちのいい瞬間でした。
あの瞬間を味わえるなら、どんなことだって我慢できるとさえ思いながら、
この10年を、毎日を、そうやって乗り越えてきてしまいました。
特に今年は、例年以上に夢中で走り続けた1年で。
どうしてもどうしても達成したい目標も、最後までやり遂げたいこともありました。だから、
「12月末まで、なんとか工夫をしながら働くこと」
が本当に、わたしの唯一の願いでしたが、
それも叶うことはありませんでした。
「明日を最終日に」と、心の準備も挨拶もままならないまま、職場を去ることとなり、
お休みをもらっていた12月はとにかく毎日が本当に辛くて、
「最後まで働きたかった」
とそればかりを思って、泣いて過ごしていました。
「周りの人に、仕事を増やしてしまって申し訳ないな」
という気持ちももちろんありましたが、
「わたしはいない方がいい、とみんな思っているだろう」
という気持ちの方が、もうどうにも大きくなり過ぎてしまって、
謝ることさえも怖い。
そんな心の持ち方になってしまう日がほとんどで、
苦しくて苦しくて仕方のない日々を過ごしていました。
これもまた、こうなってみることではじめて気づいたことですが、
SNSを見ることなんて、そんなに辛くないのです。
わたしが驚いたのは、夢中で頑張って生きている中で見る大好きな「M-1グランプリ」は本当に本当に気持ちのいいものですが、
自分が頑張りもせずに見るそれは、
あまりにも眩しくて残酷で。
こんなにほろ苦いものだとは夢にも思いませんでした。
そんな今年、マヂカルラブリーが優勝してくれたことは、
「最下位になっても、優勝することあるんで、諦めないでください」
と言ってくれたことは、
どれだけ救いになったかわかりませんでした。
ああ、あの頃、本当に苦しかったんだな。
と今になって思います。
それでもこうして年が明けて。
「年越し」というラインをようやく越え、
2021年まで、なんとかやって来れました。
0:00になったとき、自分の中でパッと何か手放せるものがあったような感覚を、胸で、体で、感じることができたのは、今までに知ることのなかった心地でした。
もちろん具合の悪いタイミングも、まだまだあるけれど、
幸い、「ずっと寝込んでいる」「誰にも会えない」「なにもできない」といった類のものではないので、
これまでやりたくてもできなかったことや、行きたかったけれど行けなかった場所、話を聞いてみたかったひと。
これからは、そんなものに、触れていく時間にゆっくり充てたいと考えています。
ずっとやってみたかったビーズ刺繍だってしてみたいし、
持ち腐れてしまっているせっかくのiPad proで水彩画を描いて、
自分の文章に、自分で挿絵をつけてみたい。
いい景色も見に行きたいし、土をいじることもしてみたいです。
それから、軽井沢の知人を訪ねたり、
また「やきもの」と出会うために九州も巡りたい。
あとは、ずっと書きたかったフィクションもちゃんと執筆して世に出していきたいし、自分が読みたいものをもっとたくさん書きたいと思っていて、
それには、もう家を引き払ってしまうか、心地のいい場所にしばらく身を移す必要があるとも思っています。
たくさん、新しい、おもしろいことがしたいです。
それに、いくつか解決しなければいけない問題もあります。
この数年で、わたしの人柄はきっと変わり果ててしまったように思っていて、だけど、「昔の自分のまま」で話せる仲間もちゃんといて。
その違いはなんだろうか、ということは、そろそろちゃんと解決した方がいいことだろう、と思います。
それが、自分の今後の居場所につながるヒントだろうと思うから。
それから、最後の健康診断の結果は、たくさんの項目が「要精密検査」でした。12月にすべて病院をめぐったので、治療できるものは治療していくこと。
そして、26歳のときに亡くした母とのことは、わたしにとって、きっともう取り返しのつかないほど化膿してしまっていて、今さらですがグリーフケアが必要であることも、本当はちゃんと自覚があります。
「自分」をちゃんと取り戻すこと。
そして、その結果、わたしはこれから、どんなふうに働いていきたいのか。
それをしっかり見つけるための旅にしたいと思っていて、
その旅は、なにかの形でそれぞれに残して、
同じような誰かにも役立つコンテンツにできないかな、とも考えています。
体がうんと休まって、心がちゃんと落ち着いたとき、
わたしがこれからをどんなふうに生きていきたくなるか。
今は、それがとても楽しみでもあります。
わたしは昔から「心から気に入ること」がとても得意で。
担当している「minne」というサービスが、
本当に好きで好きで仕方ありませんでした。
作家さんと一緒にお仕事ができるセクションにいることもまた、
わたしにとっては本当にいちばんの誇りで、
ひとりでも多くの人の叶えたい夢が前進するといいな、と
その気持ちがずっとずっとわたしの走り続けるエンジンになっていました。
けれど、仕事を休んでいる期間も、ものづくりを応援すること、
ものづくりをより深く知ること・学ぶことを休むことはありませんし、
たとえばどのような結論になっても、
わたしの暮らしが、そういったことから、まるっきり離れることはきっとこの先、無いのだと思います。
本当に本当に大好きな仕事でした。
そこには、この4年間で、ひとつの「無理」も「嘘」も無く、
生きていくうえでの、ひとつのテーマになったことは間違いありません。
他チームにも関わらず「なんだか様子がおかしい」と気づいて声をかけ続けてくれた方、毎日のように話を聞いてくれた先輩、まるで当番制のように毎週いろんなものを送ってくれるようになった関西の友人や、たくさんの提案をくれた大切なひと、程よい距離でいつも気にかけ軽やかに誘い出してくれていた友人など、感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
どなたが欠けても、きっと今日のわたしは無かったと思います。
「働く」それだけが、人のためにできることではない、と身をもって教わった出来事でした。
それから「お見舞いに」と、今回「題字」を提供してくれた、イラストレーターのちえちひろさんにも心より感謝しています。
誰にとっても、特別なものになってしまった2020年だったけれど、
わたしにとっても、そんな2020年でした。
2021年の前半は、ちょっとお暇(いとま)をいただきますが、
気楽に構えつつ、ちゃんと見つけたいものを見つけて、また帰るべきところに戻ることができればいいなあ、と今は思っています。
まずは、体をたっぷりと休ませてから。
わたしにとっても、誰にとっても、
2021年がすこしでも、明るいものになりますように。
なにかを失ってしまったひとも、少しでもその隙間が埋まりますように。
そんなふうに、明日神社でお願いしたいなあと考えています。
エッセイ執筆の糧になるような、活動に使わせていただきます◎