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それはつまり、設楽さんなのか。日村さんなのか。

その昔、カタカナの「シ」と「ツ」の書き方の違いを、バナナマンの日村さんに教えたのは、相方の設楽さんだ。

おかしな話だけれど、日村さんは「シ」と「ツ」、ついでに「ン」の書き方が怪しい。
設楽さんは何度だって「“シ”はね、“ツ”はさ、」と、その書き方について説明してきた。
その度に「そっかそっか」「またやっちゃった」と日村さんは言うけれど、おそらく、きっと、今でもあやふやなのだ。

うんと若いころ、2人が足を踏み入れた畳の楽屋には、座布団がいくつか積み上げられていた。
日村さんは、迷うことなくその上に「デンッ」と腰を下ろす。
設楽さんは「日村さん、どうしてその上に座っちゃうの?オレも居るんだから、そういうときは、1枚オレに渡すんだよ」と伝えた。
「そっかそっか」と日村さんは座布団を設楽さんに渡したという。

もちろん今は、そんなことはしない。
たくさんのことを注意されて、たくさんのことを教わって。
時には嫌味を言われながらも、日村さんは徐々に今の日村さんになっていったのだそうだ。

凸(でこ)と凹(ぼこ)

2人の会話を聞いていると、
「これって、本来どういうものなの?」
「これって、合ってる?」
「これって、オレだけなの?」
と、日村さんはことあるごとに設楽さんに尋ねている。
そこには、どこか「すべての答えは設楽さんの中にある」と信じているような無垢さを感じて、わたしは思わず笑みがこぼれてしまう。

一方、設楽さんは設楽さんで、
「そうなんじゃない?」 
「それはおかしいから、やめたほうがいいよ」
「それは、日村さんが自由に考えていいんだよ」
と、自分なりの道徳と世間一般論を織り交ぜながらひとつひとつに答える。

日村さんは、スマートで博学で何をしてもサマになる設楽さんに、憧れていて、
設楽さんも、「ここぞ」の場面で他を圧倒できる華やかさと愛嬌を持つ日村さんに、本当は憧れている。
そして何より、それぞれが、互いにとても認め合っているのだ。

実にいい関係性だなあ、と思う。
わたしは、そんなバナナマンが好きだ。

お笑いのコンビはそんなふうに、互いを補い合っている人たちが多かろう。
それぞれタイプが違って、それぞれに強みとご愛嬌になる短所がある。
それが「二人でいること」の魅力だと思う。

それにしてもバナナマンは、その構造がなんだかとてもわかりやすくて、見ていて本当に楽しいんだよなあ、とわたしは長い間、ずっとずっと思っていた。

恋のぽっかり

2年前、日村さんが結婚したときのこと。
まだ桜が木からたくさん垂れている春だった。
あれは翌日が土曜日だったと記憶しているけれど、なんだかぽっかりとしたような。つまり少しわたしは落ち込んでいた。
浴槽を掃除しながら、さみしいなあと思った。
だけど、神田愛花アナウンサーもわたしは好きだから、もちろん良かったなあ、とも素直に感じた。日村さんには幸せがよく似合う。

つまり、バナナマンのお笑いが好きなだけではなくて、
わたしは日村さんという男性のことが、ほんのちょっと好きだったのだ。

「どういう人が好みなの?」と聞かれれば、
「SMAPの慎吾くんかバナナマンの日村さんが好き」と答えた。
そして、「よく食べて、よく飲んで、よく笑って。カラフルで細かいことは気にしない大らかな人がいい」と続ける。
「ああ、それは気が合いそうだね」と誰もが言った。
調子のいい人は「俺もよく食べるよ」と言って、目の前のお皿をペロリと空にしてくれるから、わたしはそれを見てケラケラと笑った。

そんなふうに、そうやって、これまでわたしは生きてきたのだけど。

***

振り返るといつも

先週のことだった。
もう10年以上の仲になる友人と夕飯を食べていて、いつものようにあれこれと話していた。

今度の恋愛もだめだっただとか、仕事があまりうまくいかないだとか、ちょっぴり痩せてうれしいだとか。
そのうち、いつも通りのトーンで、そんなに深刻には聞こえないように、だけれど、本当の胸の内を吐露していたら、

「君には、マネージャーが必要なんだよ」

と彼は言った。「いるよ」と答えると、「や、そうじゃなくて」と遮られてしまう。
「君は、きっとタレントなんだよ。だから、タレントとして管理してもらう必要があると思う。会社の仕事だけじゃなくて、個人の仕事も、そのほかのプライベートも。夢中だと、君は寝ないし食べれない。誰かが時間や予定を管理してくれたり、仕事を君の手前で断ってくれたり、『これ以上はやっちゃだめ』と言わないといけないんだよ」
と言われた。たしかにそうかもしれない。

酸味の効いた茄子を頬張りながらよくよく考えて、
「じゃあ、そのマネージャーさんの分も稼がないとあかんのか…」
とつぶやくと、
「そういう人を付けられるようになるまで頑張るのか、身内なのか、将来の旦那さんなのかもしれないし、色々なパートナーがあるだろうけれど」
と言われて、わたしは、ぽっかりと自分に穴があくのを感じていた。
それは、日村さんが結婚したあの日のように、さみしくて心に隙間ができたのではない。
想像もしていなかった扉が、脳天で大きく口を開けているような感覚があったのだ。

わたしは、いつも日村さんのような人を探していた。
器用なんだか不器用なんだか、ちょっと不思議で大らかで、失敗を「ははは!」と笑えるような人。
正確には、そういう人じゃないと、ズボラで不器用なわたしはパートナーになれないと思っていた。

振り返ればいつもそうだった。
どの彼も、Google mapを上手く使いこなせないから、「だいじょうぶ、調べてみるよ」とわたしが偉そうに申し出ては、いつもアサッテの方向に向かい、二人で迷子になっていた。
予約の時間にはいつもギリギリになったり、間に合わないのが常だった。
圧倒的設楽不足だ。
「会ったばかりの人に、お金を貸してはいけないよ」と咎めたりした。
「お店の中で全力疾走してはいけないよ」と注意したりもした。
友人やまわりの人に怒られてばかりいるこのわたしが、そんな役回りを引き受けて、恐る恐る「やってあげるよ」とボロボロの助け舟を出していたのだ。
「ゆかちゃんはしっかりしてる」と彼氏だけがわたしを褒めてくれた。
二人でいるといつも不安で、ほんの少しだけ面倒で。
そして、「こんなにいい人なのに……」といつも自分を恨みながら、ゆっくりと相手から離れた。

茄子とトマトが、テカテカとビネガーに絡まるのをフォークでそーっと引き離しながら、「相性…」という言葉についてしばらく考えてみて。
「しまった……。わたしが日村さんだったのか……」
とそのとき思った。

投影と恋の混ぜこぜ

帰りの京王線では、本当を言うと、膝から崩れ落ちたい気分だった。
「よく食べて、よく飲んで、よく笑って。カラフルで細かいことは気にしない…」
それって、わたしのことじゃないか。

10年ほど前のトーク番組「バナナ炎」でのバナナマンの二人の会話を思い出していた。
日村さんは、すぐに床で寝てしまうと言う。
「どうして床で寝ちゃうの?布団で寝た方がいいよ」
と設楽さんは注意する。
「違うの。録画してる古畑(任三郎)を見てたいの。そしたら寝ちゃうの」
と答えていた。
このよくわからない言い訳。
1mmの狂いもない、日村さんはわたしだ。

わたしは、しょっちゅう床で眠ってしまう。
特に仕事が嵩んでいると、その確率は一層高くなる。古畑は、松嶋菜々子の回と田中美佐子の回が特に好きだ。堺正章の回だってよく見る。心地よく眠りやすいのだ。
これまでわたしのパートナーは、ひとりとして「床で寝ちゃいけないよ」とは言わなかった。
気づけばわたしの隣の床でぐっすりと眠っているのだ。
凸と凸なのか、凹と凹なのか。
だけどどの人も、仕事に才能があって、なんだか華があった。
「すごくいいなあ」と思うのだけど、「二人でいることの魅力」はきっと無かった。
ボロボロの船をテキトーに漕ぎ回しながら、こんなことなら、叱ってくれる友人たちに会いたい会いたい、といつもわたしは願っていたのだ。

「ふふふ」と思わず笑みがこぼれてしまうような。
そんな日村さんみたいな人がいい、とばかりずっと思っていたけれど、
本当は、自分とあまりにそっくりな日村さんが、
「ちがうよ」「だめだよ」「偉いね」「すごいじゃん」「やってごらん」「おかしいよ」「前も教えたでしょう」
と設楽さんにたしなめられてる様子を見ているのが、うらやましくって幸せだったのだ。
わたしに必要なのは、設楽さんだった。

***

損得や共感じゃないフィット

駄目なわたしと重ね合わせて、なんだか日村さんにひどく失礼なことを言っている気がするけれど。
わかりやすいバナナマンのキャラクター性はさておき、
ともかく、世の中にはわたしのようにマネジメントが必要な人がいて。
そして、他人のマネジメントが苦じゃなくて、なるべく心を許せて、見ていて飽きない人と一緒にいたい、という奇特な人もどこかにはいるのかもしれない。

現にわたしの友人たちは、もう10年以上も皆、「ちがうやん」「逆!」「こぼれる!」「もう、貸して!」と呆れながら怒りながら、しょっちゅう東京まで会いに来てくれる。
「いったい、どんな得があるのだろう…」
とわたしは不思議な気持ちで眺めているけれど、そんなことを口にしたら、またきっと叱られるし、ハッと目が覚めて「辞めた!」と言い出されたなら弱ってしまうから、わたしは口をつぐんで、「そっかそっか」「またやっちゃった」とヘラヘラしている。
そうか、こういう人とずっと一緒に居られればわたしは心の底から安心だし、また友人たちも安心してくれることだろう。

お互いの不甲斐なさをヘラヘラと笑いあって、大好きな古畑の話に一緒になって夢中になれる。
わたしは「同じだね」「同じだね」と言いあえる「共感」ばっかりが大事なのだと思っていた。
一緒にいることで得られる安心よりも、相手に咎められない安全を選んでいたのかなあ。
バナナマンだって、SMAPだって、アベンジャーズだって。わたしが憧れているものはすべて、「補完の結晶」だというのに。

***

そんなことに今さらようやく気づいて、わたしはなんだか新しい道が開けた気分になった。だけど、とは言え、
Youは、設楽さんなの?日村さんなの?
とデートで聞くのもおかしな話だから、この先は、
「ねえねえ、床で寝ると、翌朝はしんどいけど、そのときは気持ちがいいよねえ」
と聞いてみることにすればいい。
「わかる。古畑見てるときでしょ」
と言い出したら、これはお仲間だから、いつものパターンだ。またも古畑の話で盛り上がるだろうけれど、そういう人とは、友人として仲良く付き合えばいい。
「え?それはヒクわ…」
と言われたら、それはもう残念ながら縁がない人だ。そんな人に、わたしの管理は務まらなかろう。
「床で寝ちゃうの?だめだよ、布団で寝た方がいいよ。人間ってね、電気がついたままだと内臓がよく休まらないんだって」
と、もしも言い出したなら。その人が、わたしの設楽さんである可能性は非常に高い。理想的な答えだから、ノンストップ。そのままいこう。

ちなみに、わたしは「ヌ」と「ネ」の発音の違いもあやふやだ。
よくもまあ、そんなことで、こんな仕事をしているもんだ、と自分でも思う。
「大したもんだ」と褒められたりもしたいけれど、本当は「だから何回も言うけどさ、」と誰かに根気よくおしえて欲しい。



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