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自分をさらけ出せば

うつ病になった

僕は、なるべくして、うつ病になった。

真面目に働くことしか、出来なかったから。自分の気持ちや意見を言うことは出来なかったから。自分という人間が誰よりも嫌いだったから。だから、何に対しても自信がなくて、とても臆病だった。だから、なにもかも会社のいいなりだった。いい様に利用されていたのは今になって思うのです。

時間がいくらあっても足りない。どんどん、僕は追い込まれる。焦るばかり。いつも何かに追われているような気持ちだった。残業もみるみる増えていき、いっぱいいっぱいになるのでした。

でも、だからといって、向き合わないといけないことから、僕も、逃げてばかりでした。そこは、会社のせいに出来たので、僕は僕で会社をりようしていたのです。

自分を弱い人間だと決めつけていた。だから決断をいつもためらった。人生の選択肢には、いつもお伺いを立てることが必須条件でした。

だから、僕はなるべくして、うつ病になった。何度か自殺未遂もしました。自分に価値をどんなに考えても思いつかなかったから。精神科の先生に診てもらった時は、すでに時遅しだったみたいで、命に係わることだと言って、檻のついた病室へ入院させてくれたのでした。

両親は心配してくれたような言葉を言ってくれたけれど、言動がおかしな僕や、檻の中にいる僕をみて、きっと失望したのだと思う。体裁を気にする両親は、一族の恥じだと、言い切ってくれたのでした。

大丈夫。僕もそう思っていましたから。僕みたいな人間は、あなたの言う通り、生きる価値はないんだ。だから、自らいなくなろうとしたのに。

他の檻からは、日夜問わずに、叫び声が聞こえてきた。僕は虚しくてたまらなかった。

そこから、抜け出すのに、凄く時間を要しました。何を持って普通かは、答えられないけれど、普通よりも、長く入院してしまった。普通よりも回復しなかった。普通よりも社会復帰は遅かった。

病院から、ようやく僕は、大丈夫だと言われたのでした。その時は、少し安心しました。だからといって、自分嫌いは、何も変わらなかった。社会に戻ることはできたが、その中で、段々と両親の声が、僕の中で大きく響くようになってきたのでした。「お前は、恥じだと。」この言葉が、心の中を支配するようになってしまったのでした。

だから、僕は、うつ病だったことを隠したのです。

ときどき、手が震える。悪夢をみる。自分の怒りのスイッチが分からなかった。そうした心の葛藤も、全て隠したのでした。

そうしていると、すぐに過去に引き戻されてしまうのでした。

自分をさらけ出しても失望されない

僕には、確証がありました。自分がうつ病だということは、両親の言うように、精神のおかしな人間だと、自ら言っているようなもの。そうなれば、たちまち人は、僕を異常者として見るようになってしまうものだと。

それだけは、避けないといけない。

そう思った僕は、弱いくせに強がったのです。毎日、毎日、背伸びしているような感覚でした。一日が終わると、くたびれ果ててしまいました。次第に、気持ちが追い付かなくなるのが分かりました。なんで、こんなにも苦しい思いをしないといけないものかと思うけれど、こっそり嘆くばかりでした。

そんな時に、ある方に出会いました。もちろん僕は、自分を偽って話していたのですが、その方は、どうやら見抜いたらしく、何か、悩みでもあるのって僕に尋ねてくれたのでした。

僕は、一気に緊張がほどけて、過去を洗いざらい話しました。僕がうつ病を患っていて、今も苦しんでいると話すと、その方は顔色ひとつ変えずに、よくあることじゃない。そう言ってくれたのでした。

これまでの、恐怖から、解放されたような気がしました。

こんなに悩んでいたのは、自分だけだと思い苦しんでいたものが、その方にカミングアウトしたことで、僕の世界は広がったのです。いや、むしろ、自分を解放出来たような感覚だったのです。

僕を縛りつけていたのは、間違いなく、僕自身だったことも、後に知ることが出来ました。それから、数人に打ち明けてみましたが、誰ひとり、嫌な顔はしませんでした。

また、今まで目にしていたはずのSNSの中でも、この日を境に「うつ病だったけど、今は元気にしているよ。」そんなメッセージを載せたツイートやブログが、目に止まるようになったのです。こんなにも、沢山の人が、同じような経験をしていたのだと、ただただ、驚くばかりでした。

僕は、弱いままの人間だからと決めつけて、色んな事から逃げてきたから、自分自身がうつ病だったという事実からも逃げようとしていたのでした。うつ病に対して、知識がなかったからというだけではありません。自分の感情が訳が分からなくなり、急に怖くなったり、急に気持ちが落ちてしまったり。手が震える自分。消えてしまいたくなる自分。そうした自分を認めたくないから、都合よく体裁を利用して、無理して平気なふりをしてしまったのです。

そんな自分も、受け止めて貰えたという、ひとつの事実を目の当たりした時に、僕の中で、弱い自分でもいいんだって思えるようになったのです。ふっと、楽になることができたのです。

もし、あのまま、こんな自分はおかしいと強く禁じていたとしたら、どんなに優しい言葉を掛けられていても、自分のことを話すことはなかったものだと思います。

僕自身、自分を受け入れられる状態であったから、素直に話せたのではないかと、今は思うのです。そんな、自分をちょっぴり誇らしく思えた時に、少しずつ色んなことを受け入れられるようになりました。

自分をさらけだせば、それは、自分自身が、そのことを受け入れた証であると今は思えています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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