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人と比べることから抜け出せないあなたへ

人との比較が良くないことだと分かっていても

人間の苦しみや不幸は、誰かと比べることからはじまる。色んな本にそう書かれてあります。はじめて、このことを知った時に、僕ははっとさせられたのを憶えています。

いつも、どこかで誰かと比べて生きていた僕にとって、自分だけが不幸のように感じていたのも、その中で苦しみを強く感じていたのも、全て僕自身が招いていたことだと分かったからでした。

そこから、僕は決心しました。もう、誰かと自分を比べるのは辞めようと。ですが、気が付けば、すぐに誰かと比べてしまう自分がいたのでした。

どれだけ意識しても、ダメなんです。

どうして、僕は誰かと自分をすぐに比べてしまうのだろう。どうして、自ら、苦しみを生み出してしまうのだろう。その原因を自分なりに探ってみたのでした。

自分の本音に辿り着いたとき、僕が人と比べるの目的が、そもそも自分を安心させるためであることに気が付いたのでした。

子供の頃、僕は比較されることで傷ついていました。

厳しかった母親から、優秀だった弟と比較されては、悔しい思いをしていました。いつの間にか僕は、自分をダメな子供だとしか見れなくなっていました。自分を否定すればするほど、不安は大きくなるばかりなんです。こんなにもダメな自分は、きっと上手くいくはずがないと考えてしまうからでした。

だから、自分よりも出来ない子を探して、自分よりも下がいることを確認して、自分は大丈夫だって言ってやりたかったんだと思います。そうしないと、自分がどこまでも落ちていくようで、不安に押し潰されそうなきがしていたからです。

とりわけ何かがずば抜けて才能があった訳でもないし、学校の成績もあまり良くない方だったから、いつも、自分よりも出来ない人を探していました。誰かの失敗がたまらなく好きだったのです。

社会に入り、会社の組織に入ったとき、その評価基準は結果を求めらるものでばかりでした。僕よりも何年も先に入ったくせに、あからさまにマウントをとってきて、競争の世界に引きづりこまれていきました。

その世界の中でみたのは、出来ない人間はどんどんと立場を追いやられてしまうことでした。昔は、窓際族みたいなことを言われていたそうですが、それが何処の世界にも色濃く残っていたんです。そうやって追い込まれては辞めていく人を僕自身も何度も目の当たりにすることになったのです。

属している組織によっては、僕の苦手分野でも、戦わされることもありました。あんな扱いはされたくない。あんな風に言われたくない。そう思い、いつも必死になっては闘っていました。

いつも苦しみを抱えてはいたけれど、僕の中では、何とかやってきたつもりでした。キャリアも積み重ね自分なりに自信も積み重ねていくことが出来たのです。てすが、僕としては意図としないまま、未知の世界の戦いに引きずり込まれていきました。それを挑戦だと言ってしまえば、聞こえはいいのかもしれません。ですが、あまりにも無知でした。相手の思うままに勝負をさせられたんです。そして、踏ん張ってはみたものの、ついに言い逃れもできないほどの結果しかでませんでした。どれだけ、周りを見渡しても、自分よりも劣っている人なんていませんでした。

そこから、とんでもないくらい酷い扱いを受けるように

出来ることなら、出来る限り人と比べることを避けようとしても、何処かの組織に属しているかぎり、この社会で生きているかぎり、比較する心をてばなすことは本当に難しいものだと、僕は自分の過去を振り返ってみて痛感したのでした。

心がけひとつで変われることがある

誰もが他人と自分を比較したことがあるからこそ分かると思うのですが、人と比較することで得られる安心は、ほんの一瞬だということです。自分よりも上を行く人は無数にいるのです。例え、自分を取り巻く環境の中で一番を獲れたとしても、すぐに井の中の蛙だと思い知らされてしまうものです。それに、自分が一番上だと思っていたって、次から次に新たな強敵が現れてしまうものです。

そんな中にいれば、否応なしに自分を認められなくなるし、自分を否定してしまうようになってしまうものです。こうした苦しみからは逃れられないと思い込んでいました。

そんな時に、ある方から教えて頂いたのです。

その方は、確かに仕事が出来ない方でした。とても要領も悪く飲み込みも悪かったのです。僕も親身になって教えていました。この方は、絶対に思い悩んでいるんだろうなと思い話を聞いてみたんです。そうすると彼はこう答えてくれたんです。確かに、仕事が出来ないですが、何よりも優しくて素敵な家族に支えられているから、とっても幸せなんです。

だから、どれだけ仕事で躓いたとしても頑張れます。こう答えてくれたんです。

その言葉を僕なりに解釈してみたんです。仕事においては、上手くもいかないし、自分を認めることも出来ないだろうし、自分を受け入れられないはずです。でも、その代わりといっては良いのか分からないけれど、自分の価値は、それだけではなく、素敵だと思える家族という存在が証明してくれている。そこに目を向ければ、大いに自分を肯定することができるのだということではないでしょうか。

僕らは、そもそもひとつの価値う基準で生きている訳ではないはずです。だから、何かが人よりも劣っていたりして自分には価値がないと感じていても、別のことでは、きっと価値を感じられることがあるはずなんです。

ですので、心掛けることは、自分をひとつの価値基準で測らないこと。

当たり前かもしれないけれど、僕らはひとりで生きている訳ではなく、色んな人に支えられていきています。自分に出来ることで多くの人たちを支えているし、自分に出来ない事は誰かにやってもらっているものです。僕も調理の仕事をしていますが、食材は作れないし、ガスも電気も水も作り出すことなん出来まません。そう考えると、自分の出来ない部分は挙げればきりがありません。

そうやって考えてみると、何かしら自分の価値は見い出せるはずだし、どんなに凄い人と出会っても、自分の方が優れている部分があるのは間違いありません。

たくさんの価値基準を持って、自分を測るように心がけてみれば、必要以上に自分を卑下することは無くなるはずです。その反対である誰かを見下すこともなくなるはずです。それは、間違いなく自分を受け入れるものになるはずです。

そして、これを続けていくうちにいつか気付くことが出来るんじゃないかと希望を持っています。

誰かと比較することに、なんの意味もないと思えることをです。

その時に、僕の中から苦しみが消えているはずではないでしょうか。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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