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人間関係のバランス

みんなそれぞれ意見が違うもの

今の僕は、従業員であるパートさんたちと討論会をすることがあります。自分達の息子よりも年下の僕は、その討論会では、若手代表として選出されている訳なんです。そんなへんてこな関係性であっても、お互いの信頼関係がであると感じているために、意見や見解が違っていても、衝突することはありません。

今は、同じ職場で働いていますが、それまでは、世界が全然違ってきたのです。年齢が違うから、生きてきた時代も違うのです。住んできた場所も、経験も人間関係も、違うものですから、当然、お互いの意見は全然違うのです。

それでも、良い関係性を築くことが出来ているのは、どうしてなのかをお話ししていきたいと思います。

過去の僕は、同じ目標を持ってはいたけれど、ライバルたちがうごめく世界の中に身を投じていたんです。切磋琢磨して素晴らしい世界にも見えるけれど、その実態は、相手をいかに蹴落とすかまで考えている世界。完全なる縦社会。僕の知る限り、その世界はねちねちしているように感じました。

誹謗中傷や嫌がらせ。そんなものに何一つ賛同出来なかったけれど、自分を守るために話を合わせることに必死でした。先輩方は、自分達の意見を押し付けてくる。それが嫌いでした。自分の意見を言えば、間違いなく排除される。外から見れば、みんな同じような意見を持ち統制は取れているようにみえるけれど、みんな心の中では、思っていることは違っていたはずです。だから、中を覗いてみれば、ぐちゃぐちゃでした。意見や見解の押し付け合いの世界では、良い関係性を築くことは出来ないものだと学んだのです。

その世界から足を洗ったのは、僕が精神を病んでしまい鬱になったから。そんな世界から離れたくて、今の世界に飛び込んんだことから、おばちゃんたちに囲まれて仕事をしているのです。

話は戻しますが、今の僕が繰り広げている討論会は、社会問題から世間を騒がせた事件。更には、ドラマや俳優さんの評価といったものから、仕事を引退した旦那さん醜態問題から、バリエーション多く、僕は本当に楽しんでいます。

そこで、感じることは、みんなよく考えているものだし、みんなそれぞれ意見が違う。時に同じような意見になるものの、同じ視点からのものは、ほとんどありません。それは、10人も満たない小さな会社の中であってもです。

どんな世界であっても、みんなそれぞれの価値観を持ち、みんながそれぞれの主観で、物事を見定めているのです。確かに、環境やお互いに影響し合うために、僕らを大きく分類してみると、同じような思考を持ち合わせているかもしれませんが、こうして、細かく見てみると、改めて誰一人同じ思考の人はいないことに気が付きます。

歩みよることは大事だけれど

ある時、キムタクの評価で大いに意見が割れたのです。僕の年齢からすると、みんながキムタクに憧れて、みんなが真似をしていた。それくらい、ど真ん中な世代。キムタクのドラマは僕は見ると決めている。しかし、何故だかわからないが、おばちゃんたちは否定的な目で見ている。キムタクの話をしても、私は嫌いの一点張りなのです。

どうしてなのかと訪ねると、みんながみんな、演技が全部キムタクだからだそうです。僕は、そこが素晴らしいじゃないかと思うのですが。このふたつの意見は、歩み寄ることなく、未だに並行して、平和的解決に至っていないのです。

人の頭の中は、全て、これまで経験したことや触れたものでしか、想像することはないのです。その領域を超えることは不可能なのです。だからお互いに意見や見解が違うのは当然なのです。

例えば、僕の世界には、ついこの前購入したから、かろうじて、NFTアートの世界があるけれど、パートさんである彼女たちからすれば、想像もつかないから、どんなに説明しても理解はされません。ようやく、孫の為にLINEを使えるようになり出したばかりなのに、余計なものを教えないで欲しいと言うものです。どんなにこちらが素晴らしいものだと思っていても、人によっては、それが嫌に感じることもあります。だからと言って、無知なものに罪の意識なんかは毛頭ないのです。

こうした意見が衝突した時に、僕はいつも迷います。素晴らしいものをちゃんと理解して欲しい。そうなれば、みんな豊かになれるじゃないかって。しかし、僕がどんなに素晴らしいものだと思って、伝えようとすることは、押し付けになってしまうのではないかと。過去の僕が経験したように、意見や見解の押し付けでは、良い関係性が築くことは出来ないのです。でも、相手の意見や見解ばかり聞いては、今度は自分の気持ちに嘘をついてしまう。

このバランスを取るのが、人間関係は本当に難しいものです。

お互いを認めること

こうした人間関係で悩むときは、僕はいつも原点に戻るのです。

人間関係の原点とは、「自分と自分との関係」です。

自分の中でも、意見や見解が違うときだってあります。時に、人に流されてしまうことがあるのですから。そうした意見に流されてばかりいると、自分が自分じゃなくなるきがするから、自分が嫌いになってしまうのです。それは、苦しいものじゃないですか。

では、どうすればいいのかというと、自分のそうした部分を認めることだと思うのです。人に流されてしまう自分も自分なんだって。否定的な意見をもったり、ネガティブな自分も、正直な自分であることを認めることで、気持ちがぐっと楽になります。

それは、決して押しつけでもなく、衝突でもありません。歩み寄る訳でもありません。ただただ、認めるだけでいいんです。それで、十分なんです。

先ずは、それだけで、いいんです。どうこうしなくていいし、余計なことも考える必要はありません。何も、求める必要はありません。

こうして僕は、パートさんとの討論会でも、そうだよね、そうだねって、認めるだけに留めています。そこに、僕も居心地の良さを感じるし、パートさんみんなも居心地良くいられているのだと感じます。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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