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心の現在地の見つめ方

不幸なことで頭がいっぱいな理由

気が付くと僕は、すぐに自分の足りない部分だったり、悩みや不安に感じていることを考えてしまいます。そうすると、素直になれない自分になってしまいます。楽しいことも、心から楽しめなくなってしまうのです。嬉しかったことも、そこに何か裏があるような気がして、心から喜べなくなってしまいます。そんな自分をひねくれものだと思っていました。

そんな自分は、本当にどうしようもない人間なんだと思っていました。

どうして、こんなにも不幸なことばかり意識してしまうのか。

どうして、こんなにも悩みで頭いっぱいになってしまうのか。

どうして、こんなにも自分が出来ない事ばかりを責めてしまうのか。

そんな風に感じていた僕は、無意識に人と比べるようになっていました。なんとなくですが、誰かと比べることで安心することが出来ると思っていたんだと思います。人の駄目な部分やどうしようもない部分を見つけては、自分は、まだましだと思いたかったに違いありません。ですが、それは、余計に不幸に目を向けることになってしまったのです。

考えてみれば、自分を安心させたいと人の粗探しをすることは、いつも人のダメな部分を探しているのです。駄目な部分や欠点を強く意識しているということです。そこにしか目が向いていないのです。そうした意識が癖となってしまい、その視点でしか物事が見れなくなってしまうのです。そうなってしまうと自分に対しても、ダメな部分や欠点にしか目が向かなくなってしまうのだということです。そうやって、不幸なことで頭をいっぱいにさせてしまうのです。

他にも理由が考えられて、人によって幸せのかたちは様々なものであります。ですが、自分が幸せに感じる事ってなんだろうと考えたときに、思い浮かぶものはどれも平凡なものばかりでした。その反面、不幸なことや悩みというものは、とても刺激が強いものだとは言えなでしょうか。

ドラマや映画、アニメや物語、どれをとっても面白いと感じるものは、どれも刺激的なものばかりです。とんでもない不幸を抱えて乗り越えていく姿や、とんでもないピンチに陥ってしまったり、現実では考えられないことが起きてしまったり。誰もいったことのない場所に冒険したり。そうした話に面白さを感じては求めてしまっています。もしも、何も起きない本当に平凡な日常を描いた話があれば、きっと、途中で飽きてしまうのではないかと思うのです。

僕らは、常日頃から刺激があるものに引っ張られてしまうのです。

もしかすると、無意識のうちに自分にも不幸を望んでしまっている部分があるのかもしれません。それが、刺激的であるのは間違いありませんから。

今の幸せにフォーカスしていく

ここまでの中で、僕らは非常に不幸に意識を向けやすいものなんです。何もしなくても、意識は不幸に引っ張られてしまうのです。それは、性格だとか心の強い弱いの問題ではありません。

人の本質的に不幸にフォーカスしてしまうのです。

そうしたままで、幸せについて考えてしまったら、きっとこう考えてしまうのです。

こうなれば幸せになれるはずだって。この苦しみを乗り越えられた先に幸せがある。そうやって幸せに条件を出してしまうのです。幸せにも、刺激的なものを求めてしまうからです。

だからこそ、大事にしたいものがあります。

それは、今感じられる幸せです。

それはある意味、自分の感覚を大事にすること。

つまり、自分の心を大切に思うことです。

今日は、家族そろって食事が出来た。天気がよくて洗濯物が綺麗に渇いてくれた。ぐっすり眠れた。好きな音楽を聞けた。お気に入りのカフェでゆっくり過ごせた。好きなことに没頭できた。

今の自分が幸せだと思うことを噛みしめることは、自分の感覚を大事にするということ。自分の心を大事にするということです。それこそが、幸せに条件がいならいことの証明になります。刺激的なものだからといって、引っ張られない心を持つことでもあります。例え、引っ張られたとしてもすぐに心を落ち着かせることができます。

今の自分が十分に幸せであると実感することが出来れば、不幸にも目が行かなくなるはずです。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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