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僕が変われたのは

気が付けば、変われていた

あれほどまでに、僕は、自分が変れないものだと嘆いていたのに。もう、どうにもならないものなのかと悲観的になっていたのに。気が付けば、自分でも変われたような気がしています。

一体、僕の中で何がおきたのか。それが分かりませんでした。

そもそも人は、変わらないものだとずっと思っていましたから。

しかし、今では、誰もが変わることができるものだと思えるのです。

あれほどまでに、悲観的で、何ごともネガティブであり、未来も否定的だったのが、今では、僕自身の未来でさえも希望を持っているのですから。

しかし、かつての自分と今の自分を比べてみたら、ほんの少し見えたような気がしたのです。

変われなかったのは

言えば、かつての僕は自分で人は変われないものだということを証明していました。どんな理由があったとしても、僕は誰も信用することが出来ませんでした。ひねくれていたんです。自分でさえも疑っていたのです。

人から、親切にされても、それには絶対に裏があるものだと疑っていました。自分が親切にするときも、何かと損得ばかりを考えていました。だから、人によって態度を変えていました。この人は、自分にとって良くしてくれる人だから、僕も優しくいよう。この人は僕に、嫌なことをしてくるかもしれない人だから、僕もそれなりの態度でいよう。それで、攻撃的な口調や言葉遣いになっていたと思います。

そんな風だから、きっと、自分以外の人も同じだと思ったんだと思います。いつも、受け取る言葉の裏を読むように人と接していました。

そんな自分がたまらなく嫌でした。心では分かっていたんです。それは、良くないことだってことを。ですので、そんな自分に呆れているのでした。

だから、いつも変わりたいと思ったのです。でも、そんな風に心に誓っても、人と直面すると、怖くなるのでした。人から何か言われると怖くて、まともに受け取ることが出来ずに、疑ってしまうようになっていました。その繰り返しでした。

何度も何度も、試したんです。それでも、人に対する恐怖心をぬぐうことは出来ませんでした。

それは、過去に遡ってみると原因がありました。今でもはっきりと覚えている出来事があったのです。僕は、小学生の時に、仲の良い友達が出来ました。生活委員というものに僕はなった時のことです。生活委員とは、学校で育てている植物や飼育されていたにわとりのお世話。普段の掃除でみんながしない所の清掃をするものでした。目立つのが嫌いで地味な性格だった僕にはぴったりだと思ったんです。その時に、同じような理由で入った人がもう一人いました。A君です。同じようなタイプの人間だと感じたものだから、僕たちはすぐに仲良くなりました。共に、作業をしていくうちに、僕もA君も、どんどん仲良くなれた気がしたのでした。

思い返せば、母がとても厳しかったために、僕はいつも習い事ばかりさせられていました。だから、友達が出来そうになって、放課後に集まって遊ぼうと誘われていても僕はいつも断っていました。そのせいで、なんとなくよそよそしくなり、気が付くと学校でひとりになっていました。それが、たまらなく悲しかったのです。

そんな風だった僕に、ついに友達が出来たのです。本当に嬉しかった。ただ、A君も、仲が良くなっていくにつれて、放課後、遊ぼうと誘ってくれるようになりました。それを、いつも断るしかなく、心苦しかったし、何とかしたいと思いました。ここで、せっかくの関係を壊したくなかったのです。そこで、その理由を、ちゃんと話そうとおもったのです。友達だと思ったから、A君には、思い切って打ち明けたのです。「それは辛いよね。可哀そうだね。何も気にしなくていいよ。」と、A君は言ってくれたのでした。その言葉が嬉しくて僕は、本当の友だちを見つけられたのだと、心から喜んだのでした。

しかし、ある時に、僕はA君が、僕の陰口を言っているのを聞いてしまったのです。あいつは、どうしようもないマザコンだって。本当にショックでした。凄く悔しくて、泣きました。本当に傷ついた。それから、人を信用することが出来なくなってしまったのだと思うのです。

これを見て頂けてもわかると思うのですが、自分でも鮮明に覚えているくらい、このことが記憶に残っているのです。そのことがあるから。僕は人を信用できないんだって。全ての人間関係の問題の原因をこのことと結びつけていたんです。

そんな僕にも、大切な人が出来て、守りたい人が出来たとき。

僕はこうしたい。ああいう風になりたい。いや、なる必要があると、心に誓いました。自分は変わると決めたのです。どうしたら、自分は変われるのかということばかり、考えるようになったのです。そこから、僕は変われたのです。

大切な人が出来て覚悟が持てたのはきっかけに過ぎません。でも、実際に僕を変えていったのは、過去を見るのを辞めて、自分がどうなりたのかという未来を見て、今何をする必要があるかどうかを、考えるようになったからだと思うのです。

過去の原因によって、大きな影響を受けるのは確かなことだと思うのです。でも、そこから、何を選んでいくのかは、自分次第だということです。人から裏切らたから、誰も信用できなくなり、悲観的な人間になってしまうのなら、多くの人がそうなってしまうのではないでしょうか。過去の出来事が全てを決めてしまう訳ではないのです。

ただ、僕は変わらりたいと言いながらも、変わらない決心をしていたんだなという決心を勝手にしていたんだなと思うのです。

全ては、今目の前のことを、何を選んでいくかによって、決まっていくものであると、僕は身を持って学ぶことが出来たのでした。

正直に言えば、最近、また僕は人間関係で失敗して、過去の自分を持ち出していたんです。そのときに、またA君のことを思い出しました。でも今は、違うのです。その時に思ったことは、今何を選ぶのかが大事なんだっていうこと再確認するもの。過去の嫌な記憶だったものが、今は、教えとして僕を成長させてくれるものとして変えることも出来たのでした。これも選択の自由ですね。

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