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与えること

愛のある人、徳のある人になれない

ボランティア精神って、素晴らしいなって思います。僕には出来ないものだなって、感じていました。自ら積極的に進んで見返りを求めずに行動することは、きっと愛に溢れている人に違いないと思うのです。僕には、そこまでする勇気もないし、自分で精一杯なのにって思っちゃうんです。そんな風に思うこと、自分のことばかりしか考えきれないことに、未熟さを感じ、心の弱い自分に腹立たしささえ感じるのです。

それに、よく著名人の方々が、物凄い金額を寄付したとかいうニュースを見るものだから、自分が何かしたところで、何の役にも立たないような気がしてならないのです。そんな、身勝手な言い訳をしてしまう自分に、腹立たしくも情けなくも感じて、余計にみじめになるです。

これまで、僕の中で、愛のある人は、見返りを求めずに与え続けることが出来る人。徳のある人は、見返りのない善意ある行動を積み重ねている人であると、考えていたのです。

そうすると、当てはまらない僕の心は、貧しいものだなと、悲しくなってしまいます。

何か良いことをすれば、どうしても見返りを求めてしまう。何か人助けをすることは、多くの犠牲を払ってしまう。どうしても、この考えを払拭することが出来ないのでした。

この時は、まだ全然見えていないことばかりだったのですから。

人に与えられない理由

どうして僕自身が、何かに対してここまで見返りを求めてしまうのかというと、自分を満たすことを疎かにしていたからでした。僕自身の心を満たそうとしていないものだから、多くの犠牲を払ってしまうものだと感じるのです。

子供の頃、家に来たお友達に、お菓子を配ったことがありました。厳しい母でしたので、お友達を家に誘うことさえ禁止されて叶わなかったのです。また、お菓子もまた、そうそうに買ってはくれませんでした。

それが、許されたのです。お友達が家に来てくれることが、とても嬉しくなって、僕がコツコツと貯め込んでいた、お菓子を配ったのです。それなのに、そのお菓子がなくなりそうになった時に、急に悲しくなってしまったのでした。

つまり、自分はお菓子を買ってもらえていなかったという、満たされない心で、与えてしまうことが、どうしても失うことや無くなってしまうことに意識が向いてしまうのです。失う部分に意識が向いているものだから、心は足りない足りないとなり、見返りを求めてしまう心の仕組みなのです。

すべての人に捧げる奉仕の心

過去に一度、物は試しだと思い、非公開とさせて頂きますが、僕の中で思い切った金額を寄付したことがありました。するとどうでしょう。寄付する直前まで、見返りがないのにと渋ったり、渡してしまったら、自分が苦しくなってしまうのじゃないかと不安になったり。僕は迷いに迷いました。

話は少し逸れるのですが、この迷いの中、このことを人に知られたくないとも思ったのです。どこか、ただのカッコつけているだけじゃないかとか、あいつの癖って、思われるんじゃないかと思う自分がいたのでした。このことからも、僕は自分を満たしきれたいないと、自分軸でいられていないと気づくことも出来ました。

本当に寄付する直前まで、迷い悩み、ようやく思い切って踏み出せたら、思いの外、凄く凄く心が満たされたのでした。後悔するものだと思っていたのですが、その後も一切の後悔は生まれなかったのです。

与えることで、自分自身を満たすことが出来たのだということだったのです。

これは、どういうことなのかというと、見るべき方向が違っていたのでした。もちろん、与えることで失うものもあります。しかし、得られるものも、当然あるのです。それは、感謝の気持ちであり、「ありがとう」という言葉や笑顔といったことなどです。

このふたつの事実のどちらに意識が傾いているかということ。当時の、僕は、自分の心を満たせていなかったために、失う部分しか見ていなかったのでした。

しかし、実際に行動してみて、得られる部分があることに気づくことが出来たのでした。

そして、この感謝の気持ちを受け取ることこそ、心を満たす上において、最も大切なものであると感じたのです。誰かの役に立てているって、自分の価値を見出しやすいものだし、自分を尊重するのに値するものなんです。

そのことに気が付くことが出来て、日常を見渡してみると、普段から、僕らはたくさんのものを与えて、たくさんのものを得ていることが見えてくるようになりました。

明るい笑顔、優しい眼差し、愛情を持った言葉、労いの言葉、譲る行為、人に貸す行為、気配りやおもてなし。これらは、人を喜ばすことが出来るものであり、人に与えることで、感謝の気持ちを得られるのではないでしょうか。

与えることは、物やお金じゃなくても出来るのです。あらゆるものに愛情を持って接することが出来れば出来ることなのです。誰の心にも奉仕の心があり、既に、みんなそれぞれ、与えながら受け取りながら、日々を過ごしているのです。

この気づきは、僕の心を豊かに、あたたかいものにしてくれたものだとかんじています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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