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条件ジャッジ#自分の認識の仕方

条件でジャッジしている

時々、何が正しくて 正しくないものなのか分からなくなるときがあります。成功はどこからが成功でどこからが成功でないのか。天才と凡人の境目は。健康と不健康の境目は。面白いとつまらないの境目は。そういった物事の境界線はあやふやであるからこそ、それを、どのようにジャッジしていくのかというと、自身が持っている条件に当てはめて、評価や判断していくしかありません。

こうしたことは、価値観の違いとして扱われ、ごく最近では、みんなそれぞれで良いじゃないという多様性を認めようという認識が広まってきています。それは、とても素晴らしいものであり、自分らしく生きられると感じられる世界が広がっていくように思えます。

しかしながら、物事には良い部分があれば、その反面、懸念する部分もあるように感じました。それぞれの主張ばかりを集めてしまうと、衝突が起こる、組織や社会は機能しなくなるのではないかと。

実際に、僕の会社でも、それぞれのライフスタイルを尊重するように意識しています。しかしながら、みんながみんな、土日を休みたい。という主張を尊重してしまうと、365日稼働しなければいけない職種であるために、会社が機能しなくなってしまいます。幸いなことに、協力的なスタッフさんのおかげで、なんとか成り立っています。
#いつもシフトで悩んでいる。

しかしながら、多様性を尊重したいと掲げているのに、矛盾を感じるのです。ジャッジをすることに、僕は偽善でありエゴではないかと、頭を悩ませてしまうのです。

もし僕が、自分の中の条件で、人を判断してしまうと、僕にとって都合が良い人が正しくて、僕にとって都合が悪い人は、間違っていると判断や評価をしてしまいます。それは、本当の正しさではありません。

そんな風にいつも僕の中で問われ、論議が繰り返されてはいますが、解決しないものです。

自分自身に条件を突きつけている

様々なことに対して僕は、色んな影響を受けて出来上がったエゴである条件に合うかどうかで判断しているのではないかと疑うようになったのです。今の人間関係も、住まいも、料理の美味しいか美味しくないかも。エンタメの評価も。

いつの間にか、出来上がってしまったアイデンティティも、もしかすると、僕は身勝手な条件を突きつけてしまっていたのではないかと疑いました。これが出来ない自分は、ダメな自分。これくらいもこなせない自分は、能力が足りない愚かな自分。不安や恐れで踏み出せない自分は、意気地なし。その基準は、僕には自覚がなく、おそらく、誰かからの影響であると考えられます。

僕自身の身勝手なジャッジのせいで、自分の中で、良い自分とダメな自分が2通り確立されてしまい、愛せない自分が生まれたのです。そのことを思うと自己嫌悪に陥ってしまうのです。

我慢には2通りある

このことが、まさに僕の中の多様性を認めないものとなり、現代の中の社会に抵抗を感じてしまうのでした。ダメな自分とジャッジしてしまった僕は、ついには自分の感情を、どうのこうのと言う前に、我慢させるようになったのです。

子供の頃、我慢をし続けてきた僕は、我慢こそ、大人のふるまいだと信じていました。しかし、我慢は2種類あることを知ったのです。

それは、やりたいことがあっても、我慢してやってはいけない我慢と、やりたくなくても、我慢してやらなければいけない我慢。

この2種類の我慢を僕は自分に強制してきたからこそ、「我慢なんかしなくていい、もっと色んな自分を認めて良い」といった、自己啓発的なことばに抵抗感を感じ、受けいれられなかったのです。だから、今ある条件を自分に突き付けては、ジャッジするしかなかったのでした。

目的を持ったジャッジを

でも、過去の僕の中にも我慢できた体験がありました。それは、自分の夢の為だとかといった、目標に向かっているものだと感じられるものは、我慢することが出来たのでした。

ということはです、自分に中で容認することができるものは、何か目的や目標を持って、ものごとを見定めることにあるといえるのです。そうすることで、僕にとってのジャッジが確立されていくように感じました。

例えば、お巡りさんは、この世に犯罪をなくしたいという目的を持って、物事をジャッジしていくます。決して、自分の中にある条件(基準)で判断されてはいません。お医者さんは、たくさんの人の命を救いたいと言う目的で、物事をジャッジしていきます。命の重さを何よりも重視された条件(基準)で判断されているものです。

これらと、同じように、僕の中にある、目標や目的を明確にすることで、それを基準とし、ジャッジすることが、色んなものの影響を受けずに、社会や世間の正しさに囚われることなく、自分を尊厳できるジャッジになるのではないかと思えたのでした。

更にこのことは、周りのジャッジも容認できるものになり得ると感じました。みんなそれぞれの目的や目標は異なるもので、その条件も様々であるからです。ですので、是非、自分のなりたいもの、目的を基準に、自分の中にある条件を書き換えてみてはいかがでしょうか。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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