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努力はするけど、頑張らない。

見栄をはってしまう

「ついこの前も、沖縄に旅行にいっちゃって。それでね・・・。」そう言いながら、知人に旅行の写真を見せられました。それを僕はニコニコしながら見ていたんです。なのに、何処か心の中はどこか惨めさを感じていたのです。別に沖縄に行きたい訳でもない。どうしたものか、話を合わせているつもりでも、頭の中では、過去の中から沖縄に張り合うものを探していました。

そんな自分を俯瞰してみている自分がいるんです。

ああ、僕は、見栄を張りたいんだなって。

こんなささいなことでって思うけれど、それが、人間ではないかと、問題をすり替えて自分を納得させるくらいしか出来ませんでした。

見栄を張るってなんでだろう。なんで見栄を張ってしまうのだろう。それは、ひとえに自尊心の低さから。自信がないことの裏返しでもあるのだということ。

もしかすると、それは、評価されたいと言う気持ちが強すぎて、日頃から頑張り過ぎてしまっているのかもしれない。それが、見栄となって表れているのかもしれません。

だから、人からの評価から自分を解放してあげよう。その分、自分を思いっきり、褒めてあげればいいのだからと思うのでした。

「すいません」を言い過ぎてしまう

どことなく、人の親切が申し訳なく感じていました。

「すいません。」

僕は、ついこの言葉を口にしてしまう。

ある日、僕は髪型を変えた時がありました。「髪切ったんですね。雰囲気変わって良いですね。」って、会社で話かけられたんです。

「すいません。思ったよりも切ってしまって。」日頃から、謝り過ぎてしまっているせいか。褒められたことに対しても、すいませんと言い訳している自分自身に失望したのでした。

どうしてこうなってしまったんだろう?

これも、ひとえに自尊心の低さからです。自分自身を気弱な人間で、ドジでおっちょこちょいだと決めてしまっていたから。自分をダメな人間だと思い過ぎて、自分なんかがって、常に思ってしまっていたんです。

でもそれは、ダメな自分と思いながらも、ダメなりに頑張っている証拠なんだということに気が付きました。

そんな、自分に「いいね!」って言ってあげようと思いました。

どんなことでも、先ずは、自分に「いいね!」を押してあげよう。

それが、今の僕が求めているものであり、もっとも僕に足りないものだから。

すぐにかっとなってしまう

ちょっとしたことが許せなくなってしまっていました。

僕は飲食店で働いていました。どんな理不尽な然りも、お客様は神様だからって、教えられてきたから、我慢し続けてきました。

そんなある時に、注文したのと違う料理が運ばれてきた。「これ、頼んでないです。僕が頼んだのは○○ですよ。」そう言うと、店員さんは黙って下げました。僕は堪えました。謝罪の言葉が一言もないじゃないかと思いました。あり得ないって。

だけど、何かの間違いかもしれないと思ったから、許せないと思いながらも、耐えたのでした。作り直しているからなのか、随分と待たされた気がしました。僕より後に注文した人は、とっくに料理を口にしていた。とてもイライラしたのを憶えています。

しかし、頼んだ料理を持って戻ってきた店員さんが、何も言わずに、テーブルの上にドンって強めに置いたのです。もう、我慢出来なかった。大声をあげてその店員さんを呼び止めた。それから、店長も出てきて謝罪してきたが、怒りは収まらなかった。そこで、一時間も説教した挙句に、何も食べずにそのお店から出てきた。せっかくの楽しみにしていた食事会を台無しにしてしまったのでした。そのせいで、何故か僕は、誰よりも落ち込んんだ。そんなクレーマーのような人間だけにはなりたくなかったから。

これも、僕の自尊心の低さから起こったものだということに気がつきました。そもそも社会に対して、僕が委縮し過ぎていたからではないかと。絶対に守らなければいけないルールがあると思い込んでいたから。それをただ、必死になって守ってきたから。

でも、これも、頑張ってきた証拠だったんだって今は思えるのです。

ただ、他人から評価に対して過敏に反応し過ぎてしまっていただけ。

だから、どんな些細なことでも、出来たことに対して、自分にはなまるをつけてあげようと心に誓ったのでした。

自尊心の低さから

自尊心とは、いえば、自分自身を大切にする気持ち。自分に価値があると思えるかどうかということ。その低さは、何らかの問題の原因になっていることが多いものです。それは、常に、誰かと比較しては、自分に足りないものを感じ、必死に追いつこうとする気持ちの表れ。

それは、人生を豊かなものしたいから、ただ必死になって頑張っていることなのです。それはそれでいいじゃないと思います。でも、その頑張るを辞めてみてもいいと思います。そこは頑張らなくてもいいものだから。そこを頑張るから、毎日毎日くたくたになってしまうから。何よりも、その頑張りは自分を高めるものではないから。

その頑張りは、全て学びに向ける努力に変えようと僕は言いたい。

自分の成長の為の努力は何よりも喜びに繋がるものなのですから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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