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人生はいつだって真っ只中

自分の人生から得たもの

どんなに、自分が未熟者で何にも出来なくても、どんなに難しいことでも、諦めたりすることをもうやめようと思う出来事が僕の人生にはありました。

何もそんな大したことではありません。

明日食べる物がないとか、毎日死ぬかもしれないような過酷な状況に陥った訳でもありません。ごく普通の家庭に生まれて、何不自由なく生きれるはずなのに、こんなにも、絶望の淵に立ってしまうこともあり得るということなのです。

その理由は、自分を認めることが出来なかったからだと考えています。

幼い頃から、言うことを聞かない子供だったために、母親からはいつも叱られてばかりいました。僕なりに一生懸命に聞こうとしてはいたのではあるのですが。兄弟の中でも、僕だけがあまりにも怒られ否定されてしまうために、自分はきっと、他所から拾われてきた子供だと、信じていたくらいです。

大人になっても、働く先々で、僕はこれでもかっていうくらいいじめられました。この世に存在価値がないとみなされてきました。これまで受けてきた残酷な言葉の数々を、ひとつひとつ思い起こしてみると、たちまち、恐怖に引き戻されてしまいます。

その時に身に付けた、その場しのぎの嘘つきや一目で見抜かれてしまう見栄っ張りは、より一層、自分を認められないものとなりました。しかし、当時は暴力を受けるのが嫌で、仕方なく身に付けたスキルだったのです。

それでも、必死に頑張って、ある程度まで自分の価値を高める努力をしましたが、飲食店の店長にまでなったのはいいけど、毎月の赤字店舗でした。その頃は、この世の終わりかのように、僕と言う人間が価値がないと罵倒され続けたのでした。これまでも、かなりひどいいじめにあっていたので、ちょっとやそっとでは心は折れないと自負していましたが、そんな自信をいくら積み上げたとしても、三匹の子豚の藁の家のように、簡単に吹き飛ばされては食べられてしまうかのようでした。

毎日浴びる否定のことばと恐喝のような売り上げの要求で、ついには、人として生きることさえ保つことが出来なくなってしまうのでした。

未来に希望を持つことが出来なくなって、あまりにも自分に価値を感じられなくなって、存在していることが申し訳なくなってしまいました。

遂には、生きることを諦めてしまったのです。

病院のベットで人生のどん底を彷徨い、生きるかどうか迷っている時に、もう僕は、自分に期待するはやめようと誓ったのです。何か望むのはやめよう。どうせ、僕のような人間が頑張っても、結局は苦しくなってしまうからだと思ったからです。

だけど、今僕は、夢を持ち前に進もうとしています。

それから、また何度も自分を否定してしまったけど、自分を認めることが少しずつ、出来るようになってきました。

人生に希望を持って生きることが出来ているのです。

こうして、自分の過去を何度もさらけ出すのは、何も同情されたくて書いている訳でもありません。今、自分のことを認められていないと感じている人が、同じような共通する部分を一つでも見つけてもらい。それでも、前を向いていけることが出来るのだと思って欲しいからなのです。

先ほども言いましたが、ごく普通の家庭に生まれ、不自由なく生きてきました。テレビやYouTubeでみられる方々ような、壮絶な過去を持っているわけでもないかもしれません。でも、だからこそ、自分に価値があるなんて、考えもしませんでした。だからこそ、自分と向き合うとか自分の可能性とか見えなくなってしまったときに、起き上がることが出来なってしまうのだと思っています。

人生はいつだって真っ只中

そんな僕が伝えたいことは、どんな人生であっても、どんな境遇であっても、どんなに困難な状況であっても、今が人生の真っ只中だということです。

成果とは、ある地点を測るものです。例え、今の地点で成果が出ていなくても、それは、ただの過程のお話しなのです。僕自身が価値がないと思い込んで、人生を諦めてしまったのは、それまでの地点の自分の部分を測って、絶望してしまっていたのです。そこから先、僕自身が成長して、出来ることが増えていく可能性の部分を、何一つ計算されていないために起きてしまったことなのです。

どんな成功と言われるものであっても、その途中の部分を切り取ってみてみれば、失敗だらけであるはずです。滑り出しから、困難なものさえ山ほどあります。

だから、どんな時も、僕らは、人生の真っ只中なのです。

山を登るのなら、まだ登山の途中なのです。どんな場合であっても、まだまだ成長段階なのです。これから、いくつ歳をとっていこうが、どんなに窮地の状況であっても、どんなに平凡な人生であろうが、成長していくことが出来るのです。言い換えれば、可能性しか残っていないのです。これは、決して大げさでもなんでもありません。

どうか、それを忘れないで欲しいのです。絶望するのはまだまだ早いのだということです。

比べるべきは自分と言う言葉があります。過去に何が出来なくて、今何ができるようになったのか、比べてみれば分るものです。成果ではなく自分の成長の部分を認めていくことこそ、自分という存在の価値に気がつきやすいものです。

それができるのは、あなた自身しかいません。思いや思考、行動の全てを把握することができるのですから。頼れるのは自分自身なのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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