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心理的安全性を阻む脳の中の"原始人"

心理的安全性とは、『嫌われることを恐れずに言いたいことをお互いに言える雰囲気』のことです。

心理的安全性の定義と科学的根拠についてはこちら↓

心理的安全性は、言っていることは超シンプルだけど、心理的安全性が高まるとなんかうまくいかなさそうという感覚と心理的安全性は生産性向上と最も重要な関連を持つという科学的事実の乖離に苛まれてしまうケースは多々あります。その乖離は、現代に生きる我々全員の脳の中にいる"原始人"が生み出しています。そして我々は無意識に、その"原始人"に支配されて生きています。"原始人"とは何なのか。それに気づき、文明に生きる真の現代人への第一歩としましょう。

この記事は三人の登場人物の対話形式で進めていきます。
りお:若手人事担当
持続的に繁栄できる強い組織にするべく、あらゆることを探求し、人事活動に活かしていきたい若手人事。少し捻くれている。
としぞう:精神科医
個人の行動変容や組織全体の行動に詳しい精神科医
わたるん:仙人
複雑な事象を整理し正確に言語化してくれる。たまにしか出てこない。

りお>
みんなが嫌われることを恐れずに言いたいことをお互いに言い合う(心理的安全性が高まる)と、なんかうまくいかなさそうな感覚があるんですよね。でも科学では、統計的事実として生産性が上がり、チームの成功に最も関連性が高いと言われている。この感覚と事実の乖離には、何かしらの勘違いが隠れている気がします。
このモヤモヤをどうにかしたいです。としぞうさん。

としぞう>
その上手くいかなさそうという感覚は、不安によるところが大きそうです。一つ質問なのですが、りおさんは、チームの全員が、嫌われることを恐れずに言いたいことをお互いに言い合うという状況を想像した時に、具体的にどんなことが不安になりますか?

りお>
うーん。そうですね。
例えば、自分の権限ではどうしようもない意見ばかり出てきてしまって、言いたいことを言えと言ったのに、結局改善されないじゃないか、どうせ言っても無駄じゃないかという状況になり、
管理できないというか、収集がつかないというか。。。

としぞう>
そうですね、確かに一番多い勘違いは、心理的安全性が高まるとわがまま放題になるというところですね。『あいつがむかつくんだとか』『あの人のあの態度が気に食わない』とか『なんであの人の評価はこうで私の評価はこうなのだ!』とかとか。

りお>
まさに。そんな感じのことが出てきそうではあるし、実際そういう陰口みたいなものはよく聞くし、空気がピリピリしていることは結構あるんですよ。この辺りのコミュニケーションがもう少しいい感じにならないかな〜と漠然とは思っているのですが、どうしたらいいかわからず。。。

としぞう>
心理的安全性が重要といわれても何となく違和感がある。というところですよね。前の記事にもありますが、"優秀な人間がいれば生産性が上がる"と言われると、証明されていなくても論理的に考えて、その通りだと納得しますし、逆に"心理的安全性"といわれると何となく抵抗がある。ここを解明するために、一旦は、心理的安全性を高めることが正しいのかどうか?というところから少し離れて、

そもそも"優秀な人間がいれば生産性が上がる"と言うと、
データとして間違っていても論理的には正しいと思いたくなるのか?
逆に
"心理的安全性はチームを成功に導く"とデータで示されても、
なぜ「人間」は違和感を感じてしまうのか?
その辺りに入っていきたいのですが準備は良いですか?

Pose(文明を生きる原始人=今の現代人)

りお>
はい!準備できました!

としぞう>
そもそも、人間は今はパソコンを使って文明生活を営んでいますが、ちょっと前までは原始人だったわけです。原始人は群れで暮らしていますので、原始人にとって群れから追い出されることは死活問題ですし、群れの中での地位が上がればそれだけ食料も多く、子孫を残せる可能性も高まります。
そこで、自分が群れの中でのリーダー的立ち位置であると想像してください。
群れのメンバーが
A:「りおさんがいればチームの生産性が上がる」と思っている状態
B:「りおさんがいるかどうかは関係なく、忖度せず何でも言えるチームの方が生産性が高くなる」
と思っている状態だったらどっちの状態の方が安心してリーダーでいられますか?

りお>
それは、A:「りおさんがいればチームの生産性が上がる」と思っている状態ですね。群れでの存在感を上げたいし、維持したいですからね。
自分に対しての批判も気になるし、そうでないとしても、収集がつかなくなる状態だと困りますし。何より頼られるのは嬉しいですよね。

としぞう>
そうなんです。まさにそこです。
Aという選択の裏には、『自分が集団から阻害されたらどうしようという不安が見え隠れしていることに気づくはずです。実際、原始人の脳は生き残るために集団に適応した脳であり、不安とはそこからくる命令であり、原始人の生き残りである我々も明確に持ち合わせている脳であり感情なのです。
原始人(我々)にとって自分が必要とされているかどうかは、めちゃくちゃ重要です。だからこそ、「優秀な人が生産性を上げる」と言われると、データがなくても「そうだそうだ」と思いやすいし、逆に「本音が言いやすい雰囲気が重要」と言われると、データがあっても「本当にそうか?」と疑いやすい。それは誰でもそうですし、だからこそGoogleも最初は優秀な個人が大事って仮説を立てたんですよね。

りお>
そうかそうか….なるほど…じゃあ…
みんなが嫌われることを恐れずに言いたいことを言い合うと、収集がつかなくなる状態が不安なのではなくて、
その状況の収集がつけられない"自分が必要とされなくなってしまうこと"、無能だ・無知だ、役立たずだと思われるのではないかと不安を感じているってことなんですね。自分自身が、自分自身に対して。
逆に、言いたいこと言って、収集はつかなくても、話を聞いてくれてありがとうって感謝されたら一旦は全然OKですからね。

りお>
でも、結局、ある程度、嫌われることを恐れずに言いたいことを言い合うと、鬱憤やら不満やらは出てくる気がするのですが、これ自体は普通の反応なんですか?

としぞう>
さすが、りおさん気づきが早い!そう、心理的安全性を勘違いしてしまう原因はあなたの脳の中の原始人なんですよ。
特に、今までずっと心理的安全性が低い状態が続いている中で高まってくると、最初は鬱憤とかが出て来ます。そこから心理的安全性が高い状態を続けていると実は本来欲しかった"りおさんへのありがとう"も出てくるのですが、不安な原始人は悪い方のことを先に考えてしまうんですよね。
なので、原始人による正解探しをして、結果的に原始人にとって安心な「優秀な人が重要だ」という結論を出してしまうのではなく、そこから一歩離れて、「やっぱり心理的安全性を高めようかなと思うと不安だな」と気づくこと、これからも何度も強調するのですが、この気づきが心理的安全性が高い良いチームや組織を作るのに必要不可欠なんです。

りお>
なんだか、私はずっと原始人で生きてきたような気がしてきました…
なるほど、今、私が経験したみたいな『気づき』があるといいんですね!
心理的安全性が高まると、自分が要らないって思われるか不安だなという感情に気づくことが、心理的安全性を高めていく第一歩だということか…..
これは深い…..(まだちゃんとは理解できていない気がする…実践あるのみなのかな…?)
うちの会社の場合だと、
心理的安全性レベル0:陰口、怖い視線で誰も何も言わない
心理的安全性レベル5:鬱憤とか不満が口に出てくる
心理的安全性レベル10:ネガティブな感情だけではなくポジティブな感情も出てきて生産性が上がってきたことを実感する
みたいな感じですかね?

りお>
としぞうさんと話している中で、これって、鬱憤とか不満がちゃんと出てくるってとても大切なプロセスなのだろうなと思いました。
ただ単に、感謝しましょう!人の良いところを見ましょう!モチベーションを上げていきましょう!とかそういうことではなくて、不満に思っていることとか、憤慨していることもちゃんと出てきてこそ、真の心理的安全性が出来上がってくるのかなと、そう思いました。

としぞう>
そうですそうです。不安に気づいた上で、チーム全体の生産性を上げるために心理的安全性を高めようとし続けることができれば、最初のうちは不満とかを言われたりするのですが、続けていくうちに感謝ももらえるし生産性も上がってくる。心理的安全性レベルが上がるとさらに心理的安全性が上げやすくなる良い循環に入ります。
逆に、原始人に流されて不安を正当化して、心理的安全性を高めるのはやめようと思ってしまうと、そのときに不満を言われることはないのですが、言えない不満が徐々に蓄積してきて、心理的安全性レベルが下がり、たまった不安が大きな不満になって訴えられたり、陰口で言われたり、コミュニケーションがうまくとれず事故やミスにつながったりします。そうするとさらに心理的安全性を高めるのが怖くなって悪循環にハマってしまうんですよね。

りお>
鬱憤も含めて一旦出してしまえばいいんだ、むしろ、そこに鬱憤や不満があるなら出さなければいけないのだということがわかったら、とてもすっきりしました。

としぞう>
「心理的安全性を高めて本音で話すとチーム崩壊するんじゃないですか?」と聞かれることは多々あるのですが、実際に聞いてみるとお互いのことを大事に思っていることは多いんです。もちろん、すでに崩壊していたチームが本音を言うと崩壊する可能性はゼロではないですが、そんなチームであれば崩壊するのは結局時間の問題です。むしろ、崩壊しかかっていたチームであれば心理的安全性を高めることで一度鬱憤を出すとリセットどころか、雨降って地固まるみたいに、より心理的安全性が高いチームになることが多いんですよね。なので、心理的安全性を高めようとして原始人が出てきても「心配しないで大丈夫だよー」と自分の脳内の原始人に言ってあげて、りおさんができることから心理的安全性を高める工夫をしてみてください!


仙人>
良い気づきですね。
鬱憤とか不満に関して、"アサーション"との関連で言うと、心理的安全性が低いうちは"みんなこう思ってます、僕だけじゃなく"が大体枕詞ですね。
つまり“群れからの阻害を恐れる原始人が言っています"
"私は"、このような感情を抱いています。"私は"このようにしたいのですが。は鬱憤や不満と本質的な中身は変わらないですが、その個別の感情のシェアであり、出来事から独立しているのですよね。
この、"共通の出来事"と"人"を分けていく行動習慣、共有した慣習の継続的構築が安全性の基盤態度ですね。
なので、言語変化としては、主語が小さくなる。
"会社が","みんなが","あなたが"から、"私が"、へ。です。

りお>
みんなが使う主語が小さくなってくるというのは、計測可能でとてもわかりやすいですね!仙人ありがとうございます!


以下余談:投影感情について
仙人>
人は自分が思っていることを相手に投影します。自分が組織に対して不満や破壊的なことを思っているから、部下がそう考えているんだと想定するというもの。自分が管理に対して持っている反発を投影する。計画的な管理というのは所詮強迫に似ていて、予測出来ないものを予測可能にするために的外れなマイクロマネジメントに帰着して、混乱を大きくします。マネジメントは計画通りに逐一進めるのではなく、予測誤差を折り込んで辻褄を合わせるための差配なので、ズレて当然、そのための対話です。
広く言うと忖度も投影ですよね。確認もしないまま前提する。それをお互いにするから的中したように見える。予言の自己成就ですが、この場合の予言は人間関係にのみ向けられて、実際の組織環境と関係ないので茹でガエルになる。忖度とは未来予測であり、つまり不可能である。でも人が予言に熱狂するが故の結果はある訳で。
心理的安全性の誤解は、管理にも通じますが、人が人の振る舞いを予想できるという信念の誤解でもありますよね。
投影感情は要するに自分が感じている不安を他のもののせいにするということ。リーダーが心理的安全性を高めても不安がゼロだと思うのは予期できないわけですからあり得ない。自分が不安と認められないところから始まってしまうんです。「もしかして自分は意見を言われるのが不安なのか?。いやそんなはずはない。私はリーダー失格であるはずはない。私は感情が安定しているリーダだ。じゃあこの不安は何だ?そうだ私はチームのことを考えているんだ。心理的安全性を高めるとチームが不安定になると思って不安になるんだ。論理的に考えても、言いたいことを言ってチームがまとまるはずないじゃないか。うんそう考えると自信がついてきた。」って無意識が働いてしまう。勘違いもそこからきてしまうんですよね。どんなに心理学で証明されたといっても「本当にそうなの?」「日本でもそうなの?」いろんな疑問が浮かびます。逆に識学みたいに「あなたが間違っているのではありません。従業員たちが錯覚しているだけです。その錯覚を解くことが必要です。」と不安を解消する方向のアイディアであれば、心理学的な証明が全くなくても「そう考えると不安がなくなった。その方がうまくいくに違いない。なぜならば〜〜〜」となってしまう。心理的安全性が勘違いされやすい部分ってこの辺りから来るから、なかなか難しいんですよね。

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