エロ司

本邦唯一の「サラリーマンヒッピー」による、今を見据えて生き抜くためのコラム。

エロ司

本邦唯一の「サラリーマンヒッピー」による、今を見据えて生き抜くためのコラム。

マガジン

  • しりとり手帖

    • 34本

    しりとりをしながら、最後の音節で始まる言葉をテーマにした何かを担当メンバーが発信します。

最近の記事

  • 固定された記事

「生きる才能」

 THE BACK HORNが好きだ。自分にとってその感情は「好き」という言葉では足りないくらいで、敢えて陳腐な表現を使うなら「彼らの音楽に救われた」と言って差し支えないだろう。かれこれ十年以上使い続け、殆ど自身のペルソナと化しつつあるこの「エロ司」というHNも、元を辿ればVo.山田将司の名前から拝借したものであるし、所謂邦楽ロックと呼ばれるジャンルの中で、明確に箱単位で好きだと言えるバンドはバックホーンだけだ。俺にとってはナンバーガールもエルレガーデンもミッシェルもブランキ

    • どうにもならないピカレスク

       先日、そんな内容のポストが自分のタイムラインを流れていった。確かに自分も同じようなことを常々感じながら日々を過ごしているし、コロナ禍の頃であれば間違いなく共感していただろう。しかし今の自分には寧ろ「そこ」に留まっていることこそが、彼らの「生き辛さ」を加速させているということがはっきりとわかる。我々が社会の中で幸福に生きていくためには、この自己憐憫の自縄自縛状態から抜け出し、"普通"の人々といかに共存していくかを考えていくことが肝要なのだ。  まず第一に「"普通"に生まれ、

      • 「あなたにとってポルノグラフィティとは?」

        「僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったっていうのに 僕らはこの街がまだジャングルだった頃から変わらない愛の形探してる」  1999年9月8日、とあるバンドが「アポロ」という楽曲で鮮烈なメジャーデビューを果たした。バンドの名はポルノグラフィティ。ゼロ年代を生きていた人間で、彼らの曲を全く聴いたことがないという者はほぼ皆無だろう。それほど爆発的に、彼らは売れていたのだ。新曲を出せば何かしらのタイアップが付き、街中やお茶の間では常にどこかで彼らの楽曲が

        • 愛という字は真心で恋という字にゃ下心

           そんなことを桑田佳祐は「SEA SIDE WOMAN BLUES」で唄っていたけれど、いよいよ自分には「恋」というものがわからなくなってきた。誰かのことを「好き」と思う感情は自分にもあるし、一緒にいて楽しい人とか、顔がタイプな人とか、体つきが好みな人というのもしっかりいる。そしてそれらをある程度言語化することもできる。しかし、これらを向ける対象に抱くものが「恋愛感情」なのかというと、自分にはどうしても疑問符がつく。なぜなら今までの経験の中でこれらの要素が自分の抱える孤独を根

        • 固定された記事

        「生きる才能」

        マガジン

        • しりとり手帖
          34本

        記事

          報道されないY型の貴女へ

           いわゆる「セクシー女優」が社会の表舞台に堂々と出てきていいものか、という話。それこそ自分は「中世ヨーロッパにおける"娼婦"の社会的意義」などというテーマで卒論を書いていたこともあり、この手の話についてはほんの少しだけ蘊蓄のようなものがあると自負しているので、少し私見を述べてみようかと思う。まず卒論のテーマを考える上で自分が興味を持ったのは、性的領域において禁欲を是とするキリスト教、中でもとりわけ厳格なカトリックの教義が支配的な価値観として浸透していた中世ヨーロッパ世界におい

          報道されないY型の貴女へ

          優しさだけじゃ人は愛せないから

           「人から"優しい"と言われるような人は生きづらく、性格が悪い人ほど生きやすい世の中になっている。」時々、そういった旨のポストを目にすることがある。このような「良い人ほど損をする」的な言説は、潜在顧客である「繊細で優しい生きづらさを抱えた人々」に向けられたものであり、実際に多くの共感を呼んでいるわけだが、果たして本当にそうなのだろうか。自分も人から長所として「優しい」を挙げられることが多いタイプの人間であるが、同時に「あなたのそれは優しさではなく弱さだ」という手厳しい指摘も頂

          優しさだけじゃ人は愛せないから

          実家暮らしのトポフィリア

           自分は「帰省」を知らない。両親共に横須賀出身で、親類の殆どは神奈川に集中しており、実家は母方の祖父母との二世帯同居。そして何より自分自身が未だ実家に暮らしているということが大きいだろう。帰省に関しては門外漢でも、寄生に関してはちょっとした権威である。冗談はさておき、そういった経緯から自身の「帰省」に対する憧れは人一倍強いものがあったと思う。蝉時雨を遠くに聞きながら畦道を行くと優しい祖父母が笑顔で迎えてくれる、そんなありきたりな心象風景。しかし、自分にとって旅とはずっと、あら

          実家暮らしのトポフィリア

          着こなし 担当:エロ司

           肌を撫でるレーヨンの質感と、その間を吹き抜ける清風。夏は嫌いだが、敢えてひとつ好きなところを挙げるとするなら、三十枚近い柄シャツコレクションの中から一枚を選び、袖を通す瞬間を挙げるだろう。自分の所持している柄シャツは、着て街を歩けばどこで売っているのかと人に問われるような珍奇かつ淫靡な柄のものばかり。さすがにオーダーメイドというわけにはいかないが、柄シャツの柄選びと私服のコーディネートは、自分にとって文章や写真に並ぶ自己実現の手段であると言えよう。  そんな前置きで始めて

          着こなし 担当:エロ司

          生きるに値しない命

           先日の「死刑執行の当日告知は違憲」という死刑囚の訴えが棄却されたニュースを受けて、死刑の是非や死刑囚の人権についての見解を表明するポストがちらほらタイムライン上に見受けられました。  自分はというと、これまで死刑に関する全ての議論について単純な性善説と性悪説の対立構造だと認識していたこともあり、性悪説に基づく犯罪の抑止力としての死刑の運用に長いこと肯定的な立場を採ってきましたが、最近はそこに少しずつ変化が表れてきています。以前までの自分の「死刑」に対する認識は「凶悪な犯罪

          生きるに値しない命

          『バカ』の壁

           どうやら現職の静岡県知事が「野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいはモノを作ったりとかと違って、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです。」と発言して、それが差別発言にあたると炎上していたようで。個人的にはそりゃ燃えるわな、という感想しかないのですが、ひとつだけ確実に言えるのは本邦においては「知能/知性」が人間のあらゆる能力の中でも特権的な地位に置かれている、ということですね。例えば、人種なり出自なり所属に基づく差別の場合、そもそもその差別構造自体が否定される

          『バカ』の壁

          愛の脱走

           発達障害をはじめとした先天的な動作性の欠如やある種の精神の繊細さに対する理解が社会に浸透してきたことによって、SNSなどの言論空間において「逃げてもいい」という旨の言説をよく見かけるようになった。重度ADHD診断済みの筆者にとって、そのような論調が優勢となることは本来好ましい筈であり、筆者自身が土壇場で「逃げる」という選択を採ったこともこれまで少なからずあったわけだが、この手の言説に対しては何とも言えない違和感を拭い去れずにいる。なぜなのか。それはきっとこれらの言葉の殆どが

          Who killed His Majesty The Emperor?

           今、X上でにわかに「自己肯定感」が話題になっている。話を掘り下げていくとどうやら"なぜ「自分が人から大切にされる価値がある」と思えるのか教えてほしい"という内容のポストが発端のようだが、個人的な肌感覚としては「自己肯定感」という概念自体が自己肯定感の低い人間特有のものであり、いわゆる”自己肯定感の高い人間”というものは、初めから存在しない可能性が高い。一見対極のように見えるが、実は全く別の存在である"彼ら"にその源泉を問うてみたところで、我々が生きていく上で有用な知見は殆ど

          Who killed His Majesty The Emperor?

          「デリヘルなんです。」

           都心では新型コロナウィルスが猛威を振るい始めていた昨年のGW。俺は矢面に立つ覚悟ひとつぶら下げて、五日間に渡る一人旅を敢行した。春先に完成した自著を友人の営む古本屋に届けに行くついでに、瀬戸内の町々を徒然に巡ってみようと衝動的に思い立ったのだ。尾道で深夜の商店街の静謐を軽やかに乱してみたり、キャリー片手に因島を徒歩で縦断したり、古色ゆかしき今治の街並みの猥雑を堪能したり、道後で懐かしのストリップ観覧に興じてみたり、瀬戸大橋線の車窓から望む島々の湛える神秘性に恍惚としたり。こ

          「デリヘルなんです。」

          real emotion

           「エモい」という言葉が人口に膾炙するようになって久しい。おそらくその源流は音楽にあり、十年ほど前からライブハウスや終演後の居酒屋などで局地的に耳にしていた言葉ではありましたが、まさかここまで覇権を握ることになるとは想像だにしていませんでした。実際のところ、自分の中の「エモい」は未だに「eastern youthを評する時に用いられる語彙のひとつ」という認識で止まっています。「一切合切太陽みたいに輝く」とか「雨曝しなら濡れるがいいさ」とか好きです。  とはいえ、手掛けている

          real emotion

          心中したいならONE PIECE

           ワンピースが好きだ。「ワンピースが嫌いそう」というパブリックイメージを逆手に取り、「こう見えてワンピースが好きです」的なギャップを演じていると見せかけて実は本当に好きなのだ。小学生の頃、誕生日に単行本を1〜10巻まで買って貰ったことに始まり、今は無き地元の東映劇場へ「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」と同時上映だった「劇場版 ONE PIECE」を観に行った時には、最初は渋々の同伴だった父が思わず「面白いな」とこぼしている姿を見て、子供心ながらに「どうだ、ワンピ

          心中したいならONE PIECE

          君はロックを知らない

           今朝、中学時代の担任のエピソードをツイッターに投稿したのだが、実はこの担任と自分との間には浅からぬ因縁がある。人生の第一期「スクールカーストウォーズ」において、彼女は自分の前に明確な「敵」として立ちはだかった初めての大人であり、卒業までその立場を頑なに貫き続けた人だった。そして彼女のその選択が、当時の自分にとって「最も忌むべき偉業」であったことは疑いようのない事実だ。今回はそんな彼女と自分の戦いの日々とその顛末を、ここに記してみようと思う。  その教師は俺たちが二年に上が

          君はロックを知らない