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君はロックを知らない

 今朝、中学時代の担任のエピソードをツイッターに投稿したのだが、実はこの担任と自分との間には浅からぬ因縁がある。人生の第一期「スクールカーストウォーズ」において、彼女は自分の前に明確な「敵」として立ちはだかった初めての大人であり、卒業までその立場を頑なに貫き続けた人だった。そして彼女のその選択が、当時の自分にとって「最も忌むべき偉業」であったことは疑いようのない事実だ。今回はそんな彼女と自分の戦いの日々とその顛末を、ここに記してみようと思う。

 その教師は俺たちが二年に上がった年に赴任してきた。鳴り物入りで中学へと入学した自分たちの学年は、一年の時点で前評判通りの"成果"を次々と挙げ、「学校」というものを完全に理解した気になっていた。身も蓋もない言い方をすれば「舐めていた」のである。突出した"不良"の絶対数こそ多くないが、個々の"悪意"のアベレージが高い、うちはそういうタイプの強豪校だった。ゆえにクラス替えを経た二年の新学期においても「どんな奴が来ようとチョロい」といったような、どこか弛緩した空気がクラス全体に漂っていた。しかし、今回赴任してきたその教師は、これまで俺たちが対応してきた大人とは明らかに「異質」の存在であり、それこそが俺たちの中学生活における最大の誤算になろうとは、この時はまだ誰も想像していなかった。既に学園ドラマの導入のごとき様相を呈してしまっているが、これは異色の経歴を持つ新任教師が破天荒な指導で荒れたクラスを立て直していくといった痛快物語の類では決してない。誰からも愛されず、理解されず、それでも最後まで己の「教育」を完遂した、一人の"難攻不落の女傑"の記録である。

 その教師が赴任してきてわずか数日後、授業中に騒いでいた俺と他数名は彼女に廊下へと呼び出され、横並びに立たされた上でハッキリとこう告げられた。

「私、あなたたちのこと嫌いだから」

瞬間、困惑が理解を音速で追い越していった。これが伝統的なラブコメの筋書きなら「おもしれー女」となる所かもしれないが、思春期も真っ盛りの俺たちの心に芽生えたのは、「やってやろうじゃねえか」の方の「おもしれぇ」であったことは想像に難くない。今ここに、開戦の火蓋が切って落とされた。ラブコメ路線を捨てバトル展開に舵を切った以上、自分たちをコケにした代償は高くつくということを哀れな新参者に教えてやるのが学園ドラマにおける問題児の責務だ。こうして俺たちのそれからの日々は、低地に高々と聳え立つ彼女の鼻っ柱をどうにかへし折るべく費やされることになったのである。

 その後、思春期の巧言にまんまと唆され「反骨」の意味を完全に履き違えていた俺たちは、使える限りの手段を用いて彼女を追い出そうとした。「死ね」「チビ」などといった直接的な暴言に始まり、配られたプリントを目の前でビリビリに破いたり、授業や面談をボイコットしたり、柔道の投げ技を掛けたり。挙句の果てには小学校時代に悪童を転校に追い込んだ逸話を持つ、規格外のモンスターペアレントをけしかけたこともあった。しかし彼女は終ぞ、その膝を折ることはなかった。庇護対象という弱者性に物を言わせ、多勢で一人の人間を徹底的に排撃した俺たちと、一歩も退くことなく毅然と立ち向かい続けた彼女。立場の非対称性こそあれ、果たしてどちらが「権力」でどちらが「反骨」だったか。今となっては一目瞭然だろう。

 極めつけは三年のクラス替えだ。あの日呼び出され「嫌い」と明言された数人の中でただ一人俺だけが、引き続き彼女が担任を受け持つクラスに編成されていた。意味が分からなかった。あれだけ拒絶の意思を互いに剥き出しにしていたのに。俺だけが奴の呪縛から逃れられないと、悪友たちに嘆いていたことを覚えている。学年が三年に上がっても、彼女の強硬的な姿勢は全く緩和する素振りを見せなかった。俺が母親の怒りを買い、弁当の中身を白米のみにされた時には「教育の邪魔をするな」と言ってせっかくおかずを分けてくれようとしている友人の厚意を阻止したり、合唱コンクールの時は、他クラスで昼飯を食べていたことがバレて、皆が教室で優勝の喜びを分かち合っている時に俺だけ教室の外に締め出されたり。こうして書き出してみると、全て見事なまでに自業自得なのだが、もはや見栄と判別のつかない意地だけが、仮初の反骨を弄ぶ自身にとって唯一の拠り所になっていた。

 そして卒業式、ついに彼女は俺たちに「絶対にここには戻ってくるな」と言い放った。卒業したヤンキーの先輩がやってきて、生活指導の先生が説教しつつもまんざらでもない様子で昔話に花を咲かすというような光景が、ある種の伝統となっていた節が自分の中学にはあり、そういった「卒業アド」に対する憧れは俺たちの中にもしっかり根を張っていた。そんな折での「二度と来るな」発言である。こいつはどこまで俺たちの邪魔をするんだと、ハラワタの煮えくり返るような思いでその刺々しい残響を聞いていた。しかし、この時の彼女の本意は既にツイートでも述べたような「ノスタルジーに安住するな」という旨のものであり、この「困難や不本意に直面した際、過去に逃げるのではなく現実の中から次善を模索する」という行動様式は、今後の人生の重要な局面において紛れもない指針となったのである。

 卒業から数年後、実家に一葉の手紙が届いているのを発見した。手に取ってみると、その担任から俺の母親へと宛てたものだった。手紙には、離任することが決まったという報告と、あの頃は何度も心が折れそうになっていたが、あなたの支えで職を続けることができたという感謝が綴られ、俺の活躍と健康を祈る言葉で結ばれていた。実は俺の母親は、殆ど四面楚歌の状態であった彼女に対して好意的な立場を貫いた唯一の保護者サイドの人間であり、当時の俺はそのことも非常に苦々しく思っていたのだ。しかし、これを読む限りでは彼女もまた、人並みの繊細さを持つ一人の人間だった。ただ誰よりも強固な教師としての矜持と信念が、"難攻不落の女傑"という像を俺たちの眼前に結んでいたに過ぎなかったのだ。

 俺はずっと、あなたのことが大嫌いだった。でも今は、あの時のあなたと同じような戦場で、同じような敵を相手取って戦っている。己が矜持と信念を貫くこと。あなたがその体を張って教えてくれたことが唯一の武器だ。気づいてしまえばなんてことはない、ただの同族嫌悪。かつてスーパー銭湯で受付のバイトをやっていた頃、偶然客として来店したあなたがカウンターに立つ俺の姿を認めた瞬間に見せた、憑き物が落ちたように嬉しそうな顔が、今でも目に焼き付いている。二十五を過ぎてフリーターに甘んじている、かつて「嫌いだ」と言い切った元教え子に、どうしてあなたはそんな顔を向けることができるのか。おそらくはその顔こそが、あなたという人間の本質なのだろう。溢れんばかりの慈愛を嚙み殺し、命を削る覚悟で、あの戦場に踏みとどまっていたのだろう。もし次に会うことが叶うなら、その時は自分の本を渡したい。彼女の担当教科は国語。「今は俺も戦っています」という行間に託したメッセージを、きっと掬い取ってくれる筈だから。








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