『バカ』の壁

 どうやら現職の静岡県知事が「野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいはモノを作ったりとかと違って、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです。」と発言して、それが差別発言にあたると炎上していたようで。個人的にはそりゃ燃えるわな、という感想しかないのですが、ひとつだけ確実に言えるのは本邦においては「知能/知性」が人間のあらゆる能力の中でも特権的な地位に置かれている、ということですね。例えば、人種なり出自なり所属に基づく差別の場合、そもそもその差別構造自体が否定されるのに対し、今回のような「知能/知性」が絡んだケースの場合、「農業や酪農やモノづくりに携わる人間は知能が低いと言いたいのか」だったり「農業や酪農やモノづくりは事務仕事とは違うレイヤーに属する知性を使う仕事である」といった否定の仕方になるんですよ。そう、ここでは「知能/知性が高いことは良いことである」という価値判断自体はそのまま保存されていて、発言自体を批判している人々においてもその部分に関しては概ね同意しているように見受けられるわけですね。ただ、それでも筆者は他の差別と同様に、「知性の高低によって人間の価値が決まる」という知性主義的な価値観自体がそろそろ見直され始めても良いのではないかと思っています。

 本邦の知性至上主義的な価値観が端的に表れているのがSNS等の言論空間における「バカ」という言葉の氾濫です。親密さの婉曲表現の一形態でもある一般的用法における「バカ」とは異なり、議論における「バカ」という言葉は、議論または会話が成立しない原因を対立者の知能/知性の低さに帰することで、議論の継続不可能性を強調すると同時に、自身の知的領域における優位性と論理的正当性を補強する効果を期待して使われるものである。しかし、思想信条や党派性などの要素が絡む「知性/知能」の高低とは相関性が低そうな議題においても「バカ」という言葉が多用されているところを見ても、もはや「嫌い」や「気に入らない」とほぼ同程度の意味に形骸化していることがわかります。言葉としては「反知性主義」などがその典型ですね。

 たとえ自身と思想信条や立場が異なる相手、さらには自身に損害を与えようとしている相手であろうと、その原因を対象の知性/知能の低さに帰してしまうようなやり方は道徳的・倫理的な意味ではなくシンプルに有効性の面において損失である、というのが筆者の考えです。そもそも相手を「バカ」と揶揄する時、そこには常に「そうではない自分」が対置されているわけで、こういった思考の癖がついてしまうと、公共善の実現や真理の探求ではなく、自身の有能さを誇示する(もしくは無能を否認する)ために議論するといった転倒が起こります。こういった単純な二項対立の図式を作り自身を常に優位側に置く啓蒙主義的な論法はSNSでもたびたび散見されますが、これこそが本邦において「政治的な発言」が敬遠される最大の原因と筆者は見ています。また、知性の高低という縦軸の座標に、相手だけでなく自身を配置してしまうことも「バカ」を使うことのデメリットのひとつと言えるでしょう。このような相対的評価の世界においては、常に他人と自分を比べ続けることになり、そこに精神の安寧はありません。もちろん資本主義社会に生きている以上、この相対的評価の世界から完全に脱却することは不可能ですが、それが全てだと思い込むことは、本来備わっている筈の自身の可能性や能力を見落とす結果に繋がりかねません。

 上記のような知性主義的価値観を無意識に内面化することの危険性に気付いてからは、意識的に「バカ」という言葉を使わないよう今日まで投稿を続けてきたわけですが、万が一使いたくなるような局面に遭遇した時には「これがこの人の合理的な判断なんだろうな」と考えるようにしています。この考え方は特定の振舞いをすることが合理的になるよう設計された環境に身を置く時、人はほぼ確実に合理性に傾くという筆者の経験則に基づいていますが、筆者自身は合理性に迎合することを「悪徳」や「低劣」とは認識しておらず「自然状態」と考えているため、二項対立は成立しません。対立者の言動は一見、悪意や害意が働いているように見えるものの、それらも「合理」によって駆動させられていると考えれば、怒りは次第に薄まっていきます。なぜならそこに相手の「意志」は宿っていないのですから。風に飛ばされてきた葉っぱが、顔に当たったようなものです。

 もちろん、知性主義によって守られてきたものも数多くあると思うので、その全てを否定するつもりはありません。ただ、様々な権威が解体され、旧来の伝統的な価値観が見直され始めている現代にあって、知性の無謬性を盲信し続ける態度には、いつか限界が来ると考えています。たかだか「バカ」と言わないくらいでは世界の趨勢を変えることはできないのかもしれませんが、合理が支配する世の中でそんな「バカ」をやっている人間がひとりくらい、いたっていいと思うんです。







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