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祖母とおじちゃん

田舎の祖母は、離婚していて祖父と一緒には暮らしていなかった。
幼い私は「田舎には、おばあちゃんの家と、おじいちゃんの家がある。」とだけ思っていて、それが当たり前なんだと思っていた。

物心ついた時には、祖母の家に行くと私達姉弟には“おじちゃん”という存在の人がいて、一般的に祖父がしてくれるであろうことは全て“おじちゃん”がしてくれた。

遊びに行った時にプールに行きたければおじちゃんが車で乗せて行ってくれたし、お正月のお年玉はおじちゃんが誰よりも高額くれていた。
基本的にかなり寡黙で、武士みたいな人だ。

これが普通だと思っていたから、段々大人になって

『もしかして、おじちゃんってばーちゃんの彼氏なんじゃ?』

と思った時は驚いた。

小さい頃からなんとなく一緒に住んでいる人だと思っていたし、当たり前過ぎて何も疑問を持たなかった。家族の大人たちは全員おじちゃんを家族として接して一緒に食卓を囲んでいた。

段々大人になって、『じゃ、なんで結婚しないんだろう?』と思った。

何となく聞けなかった。もしかしたら離婚経験のある祖母が結婚したくないと言ったのかもしれない。(そういえば、祖母はおじちゃんを名字にさん付けで呼んでいたなぁ。)
でも2人はずっと一緒に住んでいた。
しかも、喧嘩をすると激しい。
結構頻繁に言い争ってるから、仲悪いんだろうか?とすら思った。

この良く分からない関係を、20代の頃の私は、『変わった関係だなぁ』と『そこに、恋愛感情はあるのかい?』と不思議に思っていた。

10年以上前、おじちゃんが重い病気になって入院した時も、祖母はずっと付き添っていた。

退院した後もおじちゃんは祖母の家にずっと住んでいたけど、ある時ちゃんと自分の家が他にある(家があるだけで家庭はない)という事が分かって、私はますます2人の関係が良く分からなくなった。

おじちゃんが毎朝仕事に行く時に、お弁当を作って持たせる祖母。
それをもらっていき、しっかり食べて帰ってくるおじちゃん。

そして、そんな日々が続いていく中、祖母がALSという難病にかかってしまった。

段々筋肉が衰えていき、動かす事が出来なくなっていく病だけど、どこから発症するかは人それぞれ。
祖母は、口やのどの周りから発症した。

祖母はとんでもないお喋りな人で、少しは黙ってて、と母が怒っても数分も我慢できないぐらいマシンガントークを続ける人だった。
それを活かしてか、若い頃自分でスナックを経営していて、かなり人気者だったと聞いている。
私も数えきれないほど笑わせてもらったし、祖母から教えてもらった事は山ほどある。
私は祖母が40代の頃に出来た孫だったので、おばあちゃん!っていう程年寄だとも思えず、「つけまつげ」とか「ネイルアート」とかは最初は祖母に教えてもらったものだ。

そんな祖母が、口からALSの症状が出るなんて、神様は酷いなと本気で思ったし、段々話せなくなるのはお喋り好きな祖母は凄く辛かったに違いない。
全く話せなくなってからは、意思を伝えるのも大変だったと聞いている。

自分が衰えていく姿を絶対に周りの人に見せたくなかった祖母は、病室に入れる人間を制限していて、私は結局1度も直接会う事が出来なかった。

病室に入って良いのは、祖母の娘たち(母と妹2人)と、おじちゃんだけだった。
私は、『私達孫にも見られたくない姿は、おじちゃんには見せても良いんだなぁ。』とぼんやり思った。

そして月日は経ち、物凄くたくさん雪が降った日に、祖母は亡くなった。

祖母の葬儀は、これまでの人生で見た事が無いぐらい“明るい”葬儀で、出席者が全員祖母のエピソードを語っては、泣きながら爆笑していた。後にも先にもあんな葬儀に出席した事はない。
おじちゃんは、黙ってビールを飲んでいた。

そして、火葬場で最後のお別れをする時、祖母にはみんなが順番に挨拶をした。
その時も、おじちゃんは何を言ったかもこっちが覚えていないぐらい、普通に祖母に挨拶をした。

その後少し経って、お経を読んでもらった後棺が扉の中に入っていく時。

それまで全く目立った事を言わず、泣いたりもせずいたおじちゃんが、祖母の棺に手を添えて、ずっと離れなくなった。
棺が中に入るのを、止めようとしていた様に見えた。
顔を下げて、泣いている様だった。

仕方なく係の人がおじちゃんの手を取って、棺から離し、棺は扉の中に消えていった。

私はあの時に初めて、この2人は私が想像しているよりも強い絆で結ばれていて、愛があったんだと思った。
そんなことは、2人だけが知っていれば良いんだな、と思った。

おじちゃんは祖母よりも(かなり)年下だったので、まだまだ元気に暮らしている。
だけどきっと今日も、祖母を思い出しているんだろうな、と思う。


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