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駆け抜けた人たちのこと

本日は成人式。そして、先日は父の命日。新年を迎えて少しすると、今は亡き人のことを思い出す。それが、わたしの毎年の決まりだ。

まず、わたしは成人式には出席しなかった。引っ越し族だったヒガシノ家。そもそもわたしの生まれは「兵庫」だったが、その後は神奈川、東京で学生時代を過ごす。そして最終的に、住んで1年ほどの何のゆかりもない土地で成人の年を迎えたのだった。もちろん成人式に行っても知り合いが一人もいないので、出席は見送った。いや、たとえ学生時代を過ごしたあの場所にまだ住んでいたとしても、結局は式に参加しなかったであろう。

それでも、なぜか中学の同窓パーティーみたいなものには参加したのであった。そこには、中学の部活動(吹奏楽部)を共にした友人たちもきていた。吹奏楽が苦手になるほど、友人関係をこじらせた部活の相方的友人もきていて、少しだけ緊張を覚えたのも懐かしい。そこでは始終和やかにパーティーが進み、何名かの旧友となんとなく言葉を交わしてその場を過ごした。


そのパーティーが中盤になった頃、当時生徒から人気の高かった男性教師が祝いの言葉を述べる、という場面になる。授業の面白さと、どの生徒にも等しく接する姿勢が人気の理由だったが、わたしは唯一といえるほど彼に好かれていない生徒だったし、わたしは彼の”好きな生徒を囲い込む癖”がなんだか嫌だなあ…と思っていた。

そんな男性教師のお言葉がはじまる。成人おめでとう、これから楽しいことがたくさんある、苦難もある、それを乗り越えてこそ最高の喜びが……彼が話した言葉は何一つ覚えていないのだが、きっとそのようなことを述べただろう。というのも、わたしは彼から衝撃の言葉を受けて、それ以前・以降の言葉がまったく耳に入らなくなってしまったのだ。

「できれば、今ここにいない”Tくん”とも、一緒に成人式を迎えたかったんですが…」

心がザワッとした。Tくんとは小学校が一緒だった。同じクラスだったこともある。彼はバスケットボールが好きな小柄な男の子で、上に目つきの悪いお兄ちゃんがいた。でも、兄弟仲良しだった。Tくんはお調子者のように見えたが、少し落ち着いているところもあって、心根は良い人だったと思う。わたしが掃除の時間にTくんの机を代わりに後ろに下げていたら「ヒガシノ、ありがとう!」とわざわざ声をかけてくれたこともあった。(委員会かクラブ活動か何かで、Tくんは机を下げ忘れていたようだ)


――そんなTくんが「今はいない」…?わたしは近くにいた、中学でTくんと同じクラスだった友人を捕まえて小声で話を聞く。

「川で溺れて亡くなっちゃったんだって。溺れてる友達を助けようとしたらしいよ」

それを聞いてまず、Tくんらしいな、と思った。中学に上がると、男子生徒たちはみなよそよそしくなったり、悪ぶってみたり、みんな変わっていく。Tくんも当然、そんな感じだった。でも、心のなかは変わっていなかったんだろうなと、嬉しくなった反面、何も知らなかった状況が悲しくて仕方がなかった。

当時のわたしは、なぜそんな大事なこと知らせてくれなかったんだ!と大いに憤慨し、悲しくなった。しかし、今考えれば同じ小学校だったメンバーにまで訃報を知らせることには膨大な労力がかかるし、まして、わたしは特別Tくんと仲が良かったわけではない。(ただの同じ小学校だった一人、だ)だからきっと、Tくんと同じクラスだったメンバーだけで、彼を送ったのだろう。


けれどわたしはそれ以降、そのTくんのことしか考えられなくなってしまった。パーティーは間もなく終わり、浮かれた同期たちが”二次会”に行こうと誘い合っている。部活動で相方だった友人も、「ヒガシノちゃんが行くなら、あたしも行く」と言って聞かない。わたしは早くこの場を去りたかったので、「じゃあわたしも二次会に参加する」と嘘をつき、相方がほかの友人と喋っているところを見計らってパーティーを抜け出した。

しかし、どうしてもそのまま真っ直ぐ帰る気にはなれなかった。いろいろと逡巡したあげく、当時通っていたカトリック教会に足を運んだ。もちろんお御堂は締まっているが、わたしは外にあるマリア像のもとへ行き、Tくんのことをお祈りした。外は少し風があり、パンツスーツにパンプス、薄いコート…という格好なので、芯から凍えるようだった。でも、このどうしようもない悲しみ、動揺、形容しがたい気持ちをお祈りをすることで、わたしはどうにか落ち着きを取り戻したのだった。


これが、わたしの成人式の思い出。
あれから8年経ち、わたしは今度こそ大切な人たちの死に立ち会うことにもなった。一つとして同じ悲しみ方はなく、その都度、いろんな方向からいろんな気持ちが押し寄せてきて、それについて、何年も何年も考えている。

去年のわたしは、父の命日に寄せて、
”絶対に明日も彼らが生きている”など、絶対が約束された世界はないのだと痛感した。(中略)だから、相手に好きと伝えたり、それを形にしたり、「気持ちを伝え損ねた!」なんてことがないように、日々愛情を伝えながら、生きていきたい
バカ娘元気に生きる/2019年1月12日)

と書いている。それは今も同じ気持ちだし、2019年はそのように生きてきたと思う。(しかしそれが、また新たな壁を作ることもあるのだと、そんな風に感じたのはまた別の話…。)


命はアッという間に駆け抜ける。そして、少しばかり早く駆け抜けすぎてしまった人たちが、わたしのなかには何人かいる。そんな人たちの顔を、今日は一人ひとり思い出し、そしてこれからも一日一日を後悔のないものにしていきたい。

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