見出し画像

”浮かばれ”させよう。

先週のお話の続きなる。現在わたしは「引っ越し」の真っ最中だ。本日(月曜)に段ボールに入った荷物や細かいものを運び出し、明日はベッドや棚といった大ぶりな荷物を運ぶことになっている。

23時過ぎ、明日に向けての最終荷造りを終えた。ポスター類が剥がされ、5年振りに白い壁が現れると、まるでビジネスホテルのようである。引っ越した当初より格段に荷物は増えていて、なんとハンガーが60本もあった。母が会うたび言っていた「あんたは洋服が多いんだから、整理しなさい」という小言は当たっている。

少し格好悪い告白をすると、昨日と今日の夜、部屋で見つけた煙草を吸った。ヘビーではなかったものの、わたしは煙草が好きだった。寒い日はホットレモンや紅茶を飲みながら、暑い日はお酒を飲みながら、日々の様々な出来事を添えて煙草を味わったのだった。昨日は飲みかけのワインを、今日は日本酒を一瓶片手に、約1年ぶりにこの家での「習慣」を再現してみた。

正直、煙草は3口ぐらいでお腹いっぱいで、残りは肺に入れずに吸った。とはいえ、歩行者が通るとサッと身を隠したり(一階に住んでいるため、立って喫煙していると目が合ってしまう)、ボーッと目の前の大家さんの家の灯りを見ていたりしていると、これまで自分がこのベランダで過ごした素敵な心地がよみがえってくる。嗜好品として好きだった煙草だけど、喫煙への執着が根本的にない今は、再び喫煙者になることはないだろう。だからこそ、友人と喋りながら吸った楽しい時間や、一人しょんぼりしながら吸った時間を思い出し、それを真似し、胸がいっぱいになった。


引っ越し先は近所であるし、何一つ心配などないけれど、やはり心の整理がついていないことがある。先週の記事にも書いた、二人の友人のことだ。

一人は絶対に会えない状態であるのに、いまだにわたしは「どこかで生きているのでは」と思ってしまうことがある。自分の目で見たものしか信じない、となぜか頑なな気持ちが出てしまうのだ。わたしはその友人の母とも会い、話を聞き、現場の写真まで見せてもらったのに、子どものように事実を拒絶する。いつかまたフラッと現れた時のために、ここに居たい。そんなことを考えてしまう。

また、わたしのギターを持って消えた友人に関しても同じことだ。生存率としてはこちらの方が高いと思うが、これだけの月日を経ても会いに来ないということは、やはり何かがあったはずだ。仮にギターを売ってしまった、あるいは壊してしまったからと言って、姿をくらますような人間ではなかったからだ。だからこそ、この家でまだ待ち続けたい気がしてしまう。

わたしは少し気難しい性格なので、人と懇意な関係を築くことが苦手だ。だから、時間をかけて「あなたが好き」という関係を築けた相手は、本当に大切に思っている。不器用な人間にとっての友人とは、それほど”重み”のあるものなのだと、強く実感している。


引っ越しを機に、そんな友人たちの喪失感を呼び覚まされたのだろう。わたしは率直に言って、今とてもナイーブな心もちだ。だけど、それも今日で最後にしたい。これがいわゆる”浮かばれない”というやつなら、早く彼らを浮かばれさせよう。そして、これからの日々で関わりを持つ人たちと、その気持ちをちゃんと大事にしたい。

と、力強い主張をして良い顔でお手洗いに行くと、便座カバーのない便器のつめたさに悲鳴を上げた引っ越し前夜でした。おやすみなさい。

#エッセイ #煙草 #タバコ #喫煙 #禁煙 #引っ越し #荷物 #家 #部屋 #友人 #友達 #ギター #人間 #時間 #浮かばれない #死 #夜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?